巫女にならなかった少女
祖母の家で、止まっていた記憶がゆっくりと動き出す。
失われたはずの神事、そして選ばれなかった巫女の話。
その断片の中に、私の知らなかった風守町の過去が、確かに混じっていた。
*
一瞬、部屋の空気が重くなったような気さえした。
「昔はね……夏に強い風が吹く日があったんだよ。」
祖母は遠い目をしながら、ぽつりぽつりと語りはじめた。
「『風の巫女』の務めは、本当は私がやるはずだった。でも、うちの父さんがそんな風習はもう古いって……十八で、隣町の剛さんに嫁がされてしまったんだよ」
「その代わりに選ばれたのが、ちよちゃん……まだ十三だった」
祖母の瞳に、すっと涙がにじむ。
「ちよちゃんって……誰?」
「お父さんはとても怖かったんだ。目が怖くてね。」
会話がかみ合わないながら、断片的に伝えてくれた祖母の話はこうだった。
祖母は、本来「風の巫女」として神事に関わるはずだったらしい。
けれど、曾祖父の一言で、その話はなかったことになった。
十八で、隣町へ嫁ぐことが決まったのだという。
代わりに選ばれたのが、当時わずか十三だったチヨさん。
「……ちよちゃん、春の嵐の日に、崖から……落ちたって……」
祖母の言葉はここで終わった。
私はただ、その手をそっと握ることしかできなかった。
祖母の体は、少しだけ震えていた。
その震えが、冷房のせいなのか、記憶の底に残った痛みなのか――わからなかった。
*
夕方、母が帰宅した。
私は祖母との会話の断片を思い出しながら、母に尋ねた。
「ねえ、お母さん。この町の昔のこと……風守神社の歴史をちゃんと調べたいんだけど、どこに行ったらいいかな?」
「そうねぇ……郷土資料館に行ってみたら? 神社の古い記録もあるかもしれないわよ」
母の声は明るかったけれど、胸の奥で、小さな風が渦を巻いているような感覚があった。
ただの興味じゃない。
私は、この町の中に今も残っている風の名残に、もう一歩、踏み込んでみようと思った。
祖母の手の温もりと、ちよという少女の物語を胸に抱きながら、
私は翌日、郷土資料館へと向かった。




