風の巫女と約束の地
図書室に入るなり、私は迷わずカウンターへ向かった。
昨日のことが、頭から離れなかった。
棚から落ちた本。
神社の由来。
そして、あの貸出カードに記されていた名前。
答えが欲しい、というより――
確かめずにはいられなかった。
*
「昨日の本……神社の由来が書かれていたあれ、借りられますか?」
椎名先生は一瞬、目を細め、記憶を辿るように視線を泳がせた。
「ああ……それ。
『風守神社由縁』という資料だったと思うわ」
いつもと変わらない口調。
けれど、言葉を選んでいるような間があった。
胸の奥がざわつき、私は思いきって尋ねた。
「先生……高梨葵さんって、生徒のこと、ご存じですか?」
しばらくの沈黙。
それから、椎名先生は小さく頷いた。
「……あなたが拾ったあの貸出カード、十年前の記録なの。
私が、この学校に通っていた頃のものよ」
一呼吸置いて、続ける。
「高梨葵は……私の親友だったの」
その声は静かだった。
けれど、その奥に、長い時間をかけて沈めてきたものが滲んでいた。
*
先生が語ってくれたのは、
この土地に古くから伝わる「風の巫女」の話だった。
《風の巫女の伝説》
かつて風守の地では、風の神に祈りを捧げる神事が行われていたという。
災厄を鎮めるため、選ばれた娘が巫女となり、風を通して神と人をつなぐ役目を担った。
――そう語り継がれている。
けれど、ある年。
巫女に選ばれた少女は、神の声を聞きすぎたとされ、
春の嵐の夜、風守神社の崖から身を投げた。
*
「葵はね……その崖で亡くなったの」
事実を告げるような言い方だった。
でも、言葉の端がわずかに揺れていた。
私は、昨日の出来事を思い出しながら口を開いた。
「……昨日、私、あの神社で……崖から落ちそうになったんです」
椎名先生の表情が、はっきりと変わった。
「……お願い。
もう二度と、風守神社には行かないで。
絶対に、近づかないで」
気づいたとき、椎名先生の両手が、私の肩を強くつかんでいた。
その指先は冷たく、かすかに震えていた。
理由を語る代わりに、ただ必死に止めようとする――
そんな声だった。
私は、小さく頷くことしかできなかった。
「……はい」
その瞬間、
胸の奥に、冷たい空気がすっと流れ込んできた。
それは恐怖でも、拒絶でもなく――
何かが、静かに距離を取ったような感覚だった。
まるで、風がひとつの話を終え、
次の場所へ向かったかのように。




