夢のはじまり
風守町には、かつて「風の神」を迎える神事があった。
風の巫女がその儀式を担い、旧暦七月五日には、風を鎮める祈りが捧げられていたという。
だが、戦後を境にその神事は途絶えた。
町には、行き場を失った風だけが、静かに滞るようになった。
すべては、ある夏の午後。
一人の少女が、風に気づいてしまった日から――
再び、動き始める。
*
布団に入り、枕元のスタンドライトを灯して、お気に入りの本を手に取る。
昼間に図書室で読むのとは違い、夜は心を落ち着けるような物語を選ぶと決めていた。
ちょうど一区切りを読み終え、本を閉じて、ライトのスイッチをそっと押す。
暗闇に包まれた部屋で、タオルケットに身を沈め、目を閉じた。
――「おまえならわかる」って。
おばあちゃん、ほんと適当なこと言ってくれるなぁ。
今日あったこと、今まで調べてきたことが、頭の中で絡まり合う。
なかなか眠れそうにない――そう思っていたはずなのに。
気がつくと、まぶたの裏に、静かに光景が浮かび始めていた。
――ああ。
寝ちゃったんだ、私。
夢だとわかっていた。
それでも、不思議なほどはっきりとした意識があった。
そして、その夢の中で、私は――
巫女として神事に臨む、もう一人の自分の視線を通して、その場に立っていた。
目の前には、石で組まれた荘厳な祭壇。
周囲には、神官らしき男たちと、数人の巫女たちが並んでいる。
そして中央には、白い装束をまとい、静かに祈りを捧げる「私」がいた。
その装束も、所作も、今の神社で見るものとはどこか違う。
けれど、違和感はなかった。
――そうあるべき姿だと、体が知っているようだった。
祭壇の中心には、円い鏡のようなものが据えられている。
四方に立つ巫女たちは、それぞれ異なる方角を向き、意味のわからない古い言葉を唱えていた。
中央の「私」は、唇をすぼめ、
音にならない口笛に、静かに息を通す。
次の瞬間、空気が震えた。
風が、生き物のように渦を巻き、
すべてが、鏡の中へと吸い込まれていく。
祭壇に据えられた円い鏡は、
神を迎えるための門だった。
巫女たちの詠唱が高まり、
笛に息が通されるたび、風は鏡へと導かれていく。
風が通り、
神が降りる道が、今まさに開かれようとしている。
そのことを、夢の中の「私」は――
疑いようもなく、知っていた。




