27話 Scene of despair(絶望の光景)
【桶狭間/今川群本陣】
抜刀からの斬り上げが――今川義元の右腕を切断した――
「グッ!!」
義元は、腕を切断されたお陰で、体が防御陣の歌術束縛から解放され、体が自由になった。
だが、まだ魂魄聖輪光の呪詛治療がダメージを与え続けている。
本来ダメージを与える術ではないが、強力な呪詛の解呪なので激烈な苦痛となっている。
現実世界に置き換えるならば、麻酔無しでの超難度の手術中なのだ。
「グガガッ……!! こんな……モノッ……!」
「好機! 止めだァッ!!」
腕を切断できた。
魔刀でなくても、人間形態なら殺せる千載一遇の好機である。
「カァッ!!」
裂帛の気合とともに――返す刀で――義元の首を狙う――刃は義元の口に滑り込み――顔を上下に両断した――のは信長の脳内での光景だった――
信長は――首に向かって刀を振る――義元は治療で苦しむ中――膝を曲げ――
ガキン!!
「えっ? ……は!?」
信長は眼前の光景が信じられず、思わず刀を手放してしまった。
義元が歯で刃を受け止めたのだ。
「お、おひははっはは…ッ!! グググッ!! グオオオッ!! ガァッ!!」
刀が悲鳴をあげながら変形し砕かれ、魂魄聖輪光を腕力で引き千切った。
5節完全詠唱歌術に抵抗して見せたのだ。
「し、真剣白刃取りッ!? 歯でッ!?!?!?」
一方、信長と帰蝶は、義元の斬撃を受け止め嚙み砕く咬合力と精神力、反射神経にに驚いていた。
腕を切断された体で、魂魄聖輪光の激痛の中で刀を嚙み砕き、魂魄聖輪光を引きちぎった。
人間形態でだ。
これでは何の為の昼間訪問なのか分からない。
人間形態で、人間の能力を超越してるのは聞いているが、想像の遥か上だった。
しかし、それもやむを得ない話。
信秀や勝家はどうしても8次元の常識で話すし、信長と帰蝶は違和感を持った事にしか反応できない。
話に出なかった部分については、対処ができないのだ。
「ハァッ! ハァッ! グゥッ……! 信長に斎藤帰蝶! 次元違いでも悪鬼羅刹、奸佞邪智は変わらぬか!! ウェアウルフになって初めて命の危険を感じたぞ……ッ! しかし、いかに魂魄聖輪光とは言え、よくぞ解呪ができると知っていたな? 5節完全詠唱歌術なら出来ると踏んだのか!?」
「そうだ。以前織田家で解呪に成功したのだよ」
この以前は、失敗した歴史の事だが、義元には理解できない話だ。
信長はバレない様に精一杯虚勢を張る。
「不思議に思ってな? 噛みついた者が呪いに感染するなら、今頃、日本全国貴様の眷族じゃなきゃおかしい。それはつまり裏を返せば、貴様が直接噛むか、貴様から噛まれた2世代目までしか呪いをかけられないのではないか? つまり世代に限界があり、呪いは弱まっている。ならば、魂魄聖輪光で解呪できると踏んだ訳よ!」
虚勢で何とか喋りきったが、膝が震えているのは、聖衣で隠れていて助かった。
「ほう。見事な推察だ。正解だ。第三世代になると噛んでも呪いには感染させられん。精々狂犬病にさせるぐらいか」
一方で、義元は本気で褒め、本気で恐怖を感じていた。
腕を落とされるのは当然、命の危険を感じたのは本当に久しぶりなのだ。
ところが信長と帰蝶は別の事に衝撃を受けていた。
「きょーけんびょー?」
「キョーケン……病? なんですか、それは?」
「ッ!? 狂犬病も知らずに乗り込んできたのか!?」
今度は義元が驚いた。
「平手ェッ! 織田家ではそんな事も教えなかったのかッ!?」
「あ、いや、知っているとばかり……!?」
義元が平手政秀を叱責する奇妙な光景がそこにはあった。
信長も本当は『狂犬病』の症状は知っている。
ただ、『狂犬病』という名前を知らないだけで、野生の動物に襲われ、時間の経過後に狂い死ぬ事は聞いた事があり、まだ宗教の呪縛に捕らわれている信長は、呪いか何かだと思い込んでいただけだ。
なお、狂犬病は発症したら致死率100%なので、呪い以上に脅威であるのには変わらない。
「グァァァ……」
一方、魂魄聖輪光の治療を終えた者は全員倒れ気絶した。
今川、織田陣営かかわらずだ。
解呪には成功した様だが、その怨霊的な呪詛を治療するのに、意識を保てない苦痛が伴ったのだ。
立っているのは、今川義元と、織田信長、斎藤帰蝶、平手政秀、四聖の巫女だけだ。
「雪斎和尚でも耐えられぬか! 成程? ワシ1人対信長、帰蝶、平手、四聖の巫女か。人数の有利をこうも簡単に崩されるとはな! しかし違う次元の信長と帰蝶よ。狂犬病も教えてくれぬこの次元の織田家なぞ、見限って我が眷族にならぬか?」
切断され流血が止まらぬ腕で、信長たちを指さした。
指がない腕で、その幻覚を見せる覇気であった。
「何じゃと!?」
「正直、見事な手際だ。この次元の信長と帰蝶の様な悪辣な気配は感じられぬ。さっき悪鬼羅刹、奸佞邪智と言ってしまったが、次元が違うなら常識も違うのだろう。これが戦略と見た。どうだ? 我が呪詛がこんな簡単に破られるとは予想外。死なすには惜しい」
(簡単な訳があるか! これは想定外と言うのだッ!)
100年前に殺されて、100年間しごかれて、魂魄聖輪光なら解呪が出来る事を前提に立てた戦略だ。
本当なら、義元も倒れていなければならない。
気絶した者はすぐに復活する。
個人差はあるが、織田勢が早く起きてくれれば、倒れている今川群の首を叩き落して終わりの予定だったが、まさか義元が抵抗しきるのは想定外だった。
「……残念ながら、そうもイカン事情があってな?」
事情とは、もちろんこの次元で英雄になって3次元の元の肉体に戻る事だ。
配下になっては英雄にはなれない。
「今川義元! 観念して大人しく討ち取られるがよい!」
信長が精一杯の虚勢で、マズイ事態を察知されないように演技する。
「そうか。断るなら容赦はせんッ! 昼間に来て、腕を落とした程度で勝てると思っているならその思い違いを後悔するがいいッ!!」
「なにッ!?」
昼間なら勝てる計算で来たのに、腕まで落として、まだ隠し玉があるのは想定外である。
しかも現状、1対7でその発言。
信長は猛烈に嫌な予感に襲われ、冷や汗が流れ落ちる。
それもそのはず。
義元の足元に周辺から神気が集められ、足へと流れ込んでいた。
「さて、こうなると『清衣』が邪魔だな」
義元は上半身の着物『清衣』を脱ぎ捨てた。
ガッシリと鍛えられた裸体が露わになる。
余談だが兤陽神が作った着物だから『聖衣』。
義元は水灑神が作った着物だから『清衣』だ。
同音異義語なので信長と帰蝶には、何の事か伝わらなかった。
そんな事よりも只事ではない神気で動揺してしまっていた。
「いくぞ! 『陽光を 遮りし闇 宵闇に!』」
義元は左手で印を結び歌術を唱え始めた。
「こ、これは!?」
左目から血を流し、渾身の術が失敗し狼狽する帰蝶。
この隙に攻撃すればよいのだが、それは義元の歌術による神気が許さなかったので、余計に狼狽する。
長い歌術を唱えると、先ほどの帰蝶の様に、神気が溢れ、妨害が難しいのだ。
「地響き!? 渦巻く闇!? 何だ!? バーバチカの歌術か!?」
必勝の策を携え、腕を斬り落としてなお、義元から発せられる圧力と恐怖に慄く信長。
そんな非常事態にさらなる追い打ちがかかる。
「『光滅ぼし 闇の世界へ!』」
「5節完全詠唱歌術だとッ!?」
かつて帰蝶が単独で行使し、四肢爆散に等しい死と引き換えに成功させ、信秀が大量の供物や触媒を用いて、やっと成功するかしないかの賭けにでて、本来なら失敗した5節完全詠唱歌術。
先の帰蝶も触媒と杖を使って、それでも目が潰れた。
神ならファルファッラが散々単独行使してきたが、それは神ゆえの特権。
それを義元は、腕を切断された重症の状態で、いとも容易く、何の犠牲もなく供物や触媒もなく完成させた。
「『遮断光払法ッ! 暝朧神バーバチカッ!!』」
術を完成させると、その神気で本陣の屋根が吹き飛んだ。
同時に日の光が差し込んでくる。
「その術は……あっ!?」
信長と帰蝶はこの世界にある歌術を(使えるかは兎も角)覚えさせられた。
だから百人一首の様に、早ければ1節目、遅くとも3節目までには術を特定できる。
できるが、何のために存在するのか分からない術は、早々に頭の隅に追いやられ、遮断光払法も頭の隅にあったのだが歌術名を聞いて、やっと思い出した。
しかし――
「でもその術は……何の為に?」
イマイチ、ピンと来ていなかった。
実際問題、何の被害も無い、意味不明の歌術だ。
「殿! その術は!」
帰蝶は何かに気が付いたのか叫んで警告する。
左目からの流血が痛々しいがそれ所ではない緊迫感だ。
「ククク! もう遅い。絶望と共に死ねッ……! 異次元の信長よッ! グオォォォッ!! カァッ!!」
義元が腕を広げ、太陽の光を体全身で浴びる。
それと共に体が二回りほど大きく膨れ上がり、全身から漆黒の毛が生え揃い、顔も狼そのものに変身した。
白目は青く光り、黒目が血のように赤い。
頭部から背骨のライン、尻尾にかけて毛の一部が紫に輝く。
体格も信長より3回りは大きい。
大きさは力だ。
初めて見る妖怪変化に、信長と帰蝶は度肝を抜かれた。
「遮断光払法は昼夜逆転術! 義元は今、日の光を浴びてその姿に!!」
「あッ!? そう言う事か!! 義元の感覚では夜になったのか!!」
信長は己の失態に悔しがるが、5節完全詠唱歌術に割り込める隙は無い。
例え知ってた所で意味はなかった。
「ククク! その通り! 8次元の信長に授けられた我が弱点を補う歌術!」
二足歩行の狼となった義元は、信長を無視して四聖の巫女の所まで行くと、巫女を皆殺しにするかと思いきや、腕を拾って右手にくっつけた。
すると、切断部が融合し、人の腕だったモノが、ウェアウルフの手になった。
「安心しろ。四聖の巫女も平手も殺さぬ。噛んで我が眷属とするからな。だから信長と帰蝶のサポートは自由にしていいぞ? それでも信長と帰蝶は殺してみせよう。ウェアウルフを舐めている様だから、織田家に今一度絶望を与えてくれる!」
義元はウェアウルフらしく遠吠えをしたが、その咆哮は『ワオーン』などと可愛らしいモノではなかった。
激甚災害のごとく、山肌を崩壊させ、木々をなぎ倒し、残った本陣と気絶した武将、そして信長達を吹き飛ばした。
これは『ウォークライ』と呼ばれる一種の歌術だが、属性神や創造新、運命神、時空神の3柱神の加護を受けていない、人間が独自に開発した『気功歌術』の一種だ――突然時間が止まった。
《ビビってるわね?》
《そ、そんな事は無い》
《え、えぇ!》
《足が震えてたわよ?》
《いいや! 震えてない! 見てみろ!》
《時間停止中だからね?》
信長が虚勢を張るが、ファルファッラが即座に斬って捨てた。
《攻略法は教えないけど、一応勝てると思ったから下界に降ろしたんだからね? 負けた場合は……わ か っ て い る わ ね?》
《グググ……!》
《そんな……!》
前門の虎、後門の狼、ならぬ、前門のウェアウルフ、後門のファルファッラ状態で、信長と帰蝶は逃げ場は無いと悟った。
《よく考えなさい。じゃあね。見守っててあげるわ》
その言葉と同時に時間が動き出した。
「チクショウ! やりゃあ良いんだろうッ!? やりゃあッ!!」
「そうですッ! 倒せば万事解決ですッ!!」
「おぉッ!?」
ウェアウルフ義元は、突然の怒声に驚き歩みを止めた。
自分じゃ無い、誰かに向けられた怒りであるのは分かったが、その相手は流石にわからない。
「何だ? 呆けた訳では無さそうだが……。この形態になったからには歌術は通じぬぞ? 刃物の類もこの毛並みが弾き飛ばす。倒せば万事解決? この姿を見てなお舐めるとはさすが信長と帰蝶か。次元が違っても信長と、
帰蝶であるのは変わらん様だな?」
「まじん、まじょ? この次元の信長、帰蝶と一緒にしてもらっては困る! 3次元の戦い方を見せてやろう!」
そう信長は言ってのけたが、自信は無い。
ただし可能性はあるとも踏んでいた――




