第二十四話 老婆アンガヤ
塔の内部はひんやりとしていて適度な室温と湿度が保たれていた。どうやって換気しているかわからないがゆるやかな風の流れがある。
白妖精や岩妖精達、昼の眷属的な美的感覚からすると、なかなかの悪趣味なデザインだ。
しかし、意匠の割に意外にも塔の内部はその辺の貴族の邸宅より清潔だった。ここは病的なほどに滅菌されていた。
「外はちょっと怖かったですけど中はきれいじゃないですか」
おっかなびっくり警戒しながら歩いていたメドニアは穏やかな表情になり背伸びをする。そんなリラックスした様子とはうってかわって、グリンの方は表情が強張っていた。
「なんかムズムズする……」
「え、どうした?」
「なんかここ、落ち着かないな。掃除のし過ぎで気分が悪い、どうもこの辺がざわざわする」胸をさするグリン。
「え? わたしは何も感じませんけど」とメドニア。
「掃除のし過ぎ? サンドルクの大通りも掃除されててピカピカだっただろ、どうしたんだ?」ハンクは相棒の様子を訝しげに眺める──
「ん〜……ここはなんか嫌だ」
グリンは謎の違和感、そして不快感に苛まれ、歩みが遅くなっていく。
「やっぱり帰る」
「何言ってんだ今更──大丈夫相棒、何も無い、ってホラ」
ハンクも気付いてはいないが、この部屋では魔術による『外来者の身体検査』が行われていた。
天井から照射された光がグリンの衣服や表皮に激しく反応した。人一倍異変に敏感なグリンはこの反応に不快感をおぼえ、むず痒い感覚に見舞われたのだろう。
「確かに掃除が行き届いてますね」
メドニアは純粋な好奇心から照明用のランプ置場の裏を小指で擦って汚れや埃が手袋に付いていないか確認した。
「わあ」
汚れがまったく付着していないのを確認するとグリンの顔の前に突き出した。
「ほらほらグリンさん、ホコリ一つありませんよ。こんなとこも掃除されててすごいですね」
喜ぶメドニア。荒事や屋外活動向けの骨格体力を持ちながら、本人の趣向は完全に内向き、いわゆるインドア派である。
「何が嬉しいんだおまえは。そんなとこまで掃除をするとか最早病気だ」
「でもホコリっぽいよりは絶対いいですよ〜」
その無邪気な表情に何故か対抗心を燃やしたグリンは闇妖精の地下都市の衛生意識について語りだす。
「廊下はともかく、生き物はちょっと汚れてるぐらいでちょうどいいんだよ」
「ええ」
「何でもピカピカにすると身体に良い成分までなくなっちゃうからな。やり過ぎは良くないんだぞ」
「そうなんですか?」
返答に詰まるメドニア。
ハンクは入口で立ち止まるふたりを促して奥へ進む。円筒形の外壁に沿うように半螺旋状の階段を登る。
「あ、今からちょっとしたチェックがあるから。おとなしくしてるんだぞ」
すると、部屋の前に大柄な羊の獣人が仁王立ちしていた。
胸板は厚く、首周りも太い。見るからに用心棒だ。
「やあボリッシュ」
「ハンクさん……おひさしぶりです」
立派な角の持ち主はハンクに向かって金属製の筒を向ける。
「……」
筒は噴霧機のようでポンプを押すと筒の先からシュ〜ッ、と半透明の白い粉が吹き出てハンクの頭の上からゆっくりと降り注がれた。ハンクは無言でそれを受け入れたあとで「どうもどうも」と羊獣人に会釈した。
次に羊獣人はグリンの前に立つ。
「ん?」
グリンは怪訝そうな眼差しを羊に向ける。
羊は頭の上から振りかけるのではなく、筒の先をグリンの顔面に突き付けた。
「おい、まさか──ぎゃーっ!?」
逃げ出そうとするグリンをハンクは押さえつけた。容赦なく粉を吹き掛ける羊。
グリンは粉がかかる直前で頭を引っ込めたのでハンクの腕にも結構な量がかかって真っ白になる。グリンはハンクの手から逃れるために暴れたがメドニアも加わってふたりがかりでガッチリと押さえ付けられた。
「ひ、ひえっ……!?」
情けない声を上げるグリン。
羊は有無を言わさず何度も何度もポンプを動かして念入りに粉を吹き掛けてくる。
当然、微細な粒子はスカーフの中にも滑り込んでいった。
「ゔぇっ!? 何してくれたんだコイツ! 口の中にも入っただろふざけるな!」
狂ったように身をよじり、拘束から脱出すると、グリンはスカーフをおろして唾と一緒に口内に入り込んだ粉を吐き出した。
「ぺっぺっ──!」
「もう〜グリンさん汚い!」
「いやいや、落ち着け落ち着け! 身体に害は無いから──これは浄化の効果がある調合薬で──」
「俺は職業柄、体臭も抑えてるんだからな? こんなの必要ない!」
食ってかかるグリン。
ボリッシュはまったく動じずにゆっくりと喋り出した。
「あなた……すごい変な菌、たくさん持ってた。正体不明の雑菌はこの先には持ち込んじゃダメ……あと、今度唾吐いたら、あなた、強制退場……気を付けてね」ボリッシュは憐れむような瞳でグリンを見下ろす。
「んぐぐ……退場って俺をつまみ出すって意味か」
「そのとおり」グリンと睨み合うボリッシュ。
脇に控えていたリス獣人が立て掛けてあったモップでグリンの吐いた唾を拭い取っている。
「やりたきゃ今すぐやってみろ、おまえなんかに捕まるもんか」
「……そう思うなら今すぐ唾を吐いて……そしたらお望み通り塔の外に放り出してあげる」
「え?」
「…………」温厚そうな瞳と固く結んだ口許から醸し出される強者の気迫。
「う……」
グリンの顔色がだんだんと変わってくる。にらみ合いは完全にグリンの負け──眼力勝負で負けたので口うるさく騒ぐ事でしか対抗出来ない。
「く、くそ〜! おいちょっと何とか言えこのヒツジ! 勝負しろ──イテッ?」
歯軋りするグリンの頭をポカッと小突くハンク。
「何の勝負するんだよこのおバカ! すまんね、ボリッシュ。こいつほんと血の気が多くて」
「ハンクさん……友達は、選んだ方が、いい」
「ハンクおまえどっちの味方なんだよ!」
「いやもうおとなしくしてくれ相棒、頼むから」両者の間に入って場をとりなすハンク。
リス達が掃除を終えたのを確認した羊獣人はメドニアの前に行くとブーツにごく少量の粉をふりかけた。
「あなた……とてもキレイ好き、歓迎します」
「わあ、ありがとうございます」
羊獣人の執事とメドニアはにっこりと微笑み合う。
ハンクに促されてグリン達は身に着けていた武器を獣人達に預けた。
グリンはブーツまで脱がされ隠し持っている五芒星手裏剣や小刀の類を一旦没収された。
グリンの地肌の色を見た羊獣人は、首を傾げたあとで急に驚いたように肩を跳ね上がると、目にも止まらぬ機敏な動作で金属筒を掴んでグリンにだけ白い粉を追加で吹き掛けてくる。
「ゲフッゲフッ!? もういいだろこの野郎!」
グリンは咳き込みながらヒツジに抗議する。
「おまえ──地下都市に住んでる闇妖精族だったのか。俺達が知らない菌持ってたの、納得。不潔だと思って。誤解してた、ごめんね」
ボリッシュはグリンの目線に合わせるようにしゃがみこんで深々と頭を下げた。
「いや、謝る気があるならなんでまた粉かけた?」
「……なんか足の裏とか汚かったから、つい……」
ボリッシュはニヤッと笑うと舌を出した。
「ケンカ売ってんだろコイツ!」
──
消毒が終わった後、また少し歩いたが、グリンはまったく面白くないようでひとり憤慨していた。
「俺は魔法道具を買い付けに来ただけなのに! こんな扱いはあんまりだ」
「あのな? ここは医薬品の製造もやってるから。清潔にしなきゃならんの!」
「俺はね! あのヒツジの舐めた態度が気に入らないの! あいつらヒツジだって身体中毛むくじゃらで汚いじゃないかバカヤロー!」
「いい加減で落ち着け……そもそもちゃんと説明してやらなかった俺が悪かったよ相棒。もうこの辺で機嫌を直してくれ」
「ハンクに謝られてもなぁ〜、あの獣人め、絶対俺のことおちょくってる……! くそ、早くどっかで水浴びしたい」
自分だけが粉まみれにされて面白くないグリンだったが、いつの間にか粉は嘘のように消えていてまだら模様のようになっていたグリンの衣服は元通りになっていた。
「ええ……あれ……?」
「ホラ、な? そんな大騒ぎする事は無かったろ?」
「う、うーん……」
着古した衣服から発生していた苔生したような臭いは消えたが、そんなに不快でも無い。
ハンクとメドニアが、消毒のあとむしろ快適そうに歩いているのを見て、グリンはひとりで騒ぐのが恥ずかしくなってきた。
「うう〜」
怒りの矛先をどこに向けたらいいのかわからなくなったグリンは、モヤモヤとした気分のままハンクの後に続く。
上の階に上がると視界が開けて大きな空間に出る。そこはまるごと作業場になっていて、ざっと二十人ほどが並んで種々の材料を大きな擂り鉢で磨り潰したり、鉄釜で何かを煮出したりしていた。
グリン達はハンクを先頭に部屋の中ほどまで進む。
中央の柱には成分化合表、霊糸変換の基本、そして今週のノルマが貼り出された大きな掲示板が立て掛けてあり、その横には蒸留・抽出装置、万力台や大きな包丁が備え付けてある作業台があった。
そのごてごてした作業台の主は、背もたれの大きな椅子に前のめりになって腰掛けている大柄な老婆だった。
人間族のようだが血色はあまり良くない。まるで闇妖精族か不死族のように白く、やや病的だ。その白さのせいで加齢による黒染みの斑点がより強調されている。
「やあアンガヤ、肌の調子がいつもより悪くないかい? 仕事のやり過ぎじゃないか。たまには休んだ方がいいぞ。」
アンガヤと呼ばれた老婆は顔を上げ手を止め、口を開く。
「ヘッ! あたしの顔色はいつもこんなんだよ! そういう『坊や』の方は肌ツヤがいいじゃないか、元気そうで何よりさ。また何か買いに来たのかい? ほらほらお前達、お得意様が来なすったよ──ぼーっとしてないで白湯の一杯ぐらい──いやさ、あたしの分も合わせて四杯、準備しな」
若い頃は背が高かったのだろうか、やたらと長い背を丸めた老婆。身奇麗ではあるのだが、妙に胡散臭い。
アンガヤの横にいた小間使いのリス獣人達は主人の大声を受けて慌てて奥に引っ込んでいく。尻尾をカットしたリス獣人ふたりは、薬品調合作業をしている人間族の助手達の間を器用にすり抜けていく。
皺くちゃの老女は客人であるハンク達を無視して小休憩、パイプをひといき、ふたいき楽しむと、真上に煙を吐き出した。
そしてやりかけの仕事、薬品の調合を再開した。助手達に運ばせた複数の材料を小匙で秤に乗せて計量する。手元が微かに震えているので、少しハラハラとさせられるが不思議と薬品はこぼれていない。
「すごい量だな。医薬品でガッポリ儲かってるみたいで何よりだ」
「ヘッ、馬鹿言うんじゃないよぉ! こんなのは無能な宮廷魔術師の連中が暇つぶしにやってりゃいいのさ。あいつらがサボるせいで近頃はこんな治療薬やら害虫駆除薬やらの依頼ばっかりで──こんなんじゃあたしの知的好奇心が満たされないんだよ! ほんと退屈さ!」
ハンクは気圧されて二の句が告げなかった。
「ええと──」
「ああ! あたしったらダメだね。お客様に愚痴っちゃって──さあさ、ハンク坊やの御用を聞かせておくれ。あたしゃあんたみたいな客が大好きさ! 秘匿の巻物の追加かい? 弱体化の魔法薬かい? それとも──未登録の魔法の武器を御所望かい? ヒヒヒ!」
あまりに早口でテンポよく喋る老婆、さきほどの羊獣人とは対象的だ。
「今回は俺の用事の前に──こっちにいる俺の連れの相談に乗ってもらおうと思ってね──」
「ええ? 相談──ああ、あたしゃてっきり後ろのでっかい戦士の武器を探しに来たと思ったんだけどね! そっちの闇妖精の子供のほうかい? 妖精の弓より上等なヤツとなりゃ高くつくよ?」
グリンはフードを目深に被り肌を隠していたが、老女は少年が人間族でないことを察知していた──まあ、もしかするとボリッシュとのやり取りが、この老女の耳に入っていただけかも知れないが。
グリンはスカーフを下げ肌を露出させた。
「ふふん鋭いな、確かに俺はヴァーレの斥候、青のグリニエル。闇妖精だ」
グリンが青白い肌を晒した瞬間、部屋中が静まり返る。
闇妖精、と聞いて助手達は先ず、チラリチラリと仕事の合間にグリンを覗き込む。そして手を止めて後ろできょろきょろしている挙動不審の長身の戦士を物珍しそうに眺め始めた。
「カァーッ! ヴンッ、ゲフゥン!」
アンガヤと呼ばれた老婆は、わざとらしい咳払いをして助手達を仕事に引き戻す。
「ほお〜、ふう〜ん──ヴァーレの軍隊、黒竜連珠の隠密かい──ああ、そういやちょろちょろ、ちょろちょろすばしっこい間諜が出入りして情報を抜かれて困ってる、って話を弟子連中から愚痴られたことがあるね──まさかおまえさんが? へえ──おやおや、お人形さんみたいな綺麗なお顔をしておいでだ。闇妖精族なんてのはみんなぎょろ目のボロ雑巾みたいな顔かと思ってたけど、意外だねえ」
老女アンガヤはしばらくグリンを観察すると薬の調合作業に戻る。そしてハンク達の方を直視せず、視界の端に置いたまま話を続けた。
途中でやめられない類の作業なのだろうか。
────
──ちなみに『ぎょろ目』は『小鬼』と並ぶ闇妖精の蔑称である。
闇妖精族の男達は栄養価の低い地下の食物でも身体を維持できるため他種族と比べて痩せている。筋肉も引き締まっていてすじ張った細身であり、遮光レンズが備わっている都合上、瞳の部分だけがやたら大きく見える。人間族の美醜基準でいうと醜くみすぼらしい外観であり、忌み嫌われる理由のひとつになっている。
しかしながら──
よく人間が『痩せぎすのぎょろ目』と呼び卑下する闇妖精達は社会的地位が危うい者達だ。
彼らは大抵が戦場の最前列に駆り出された罪人達だ。一部を見て印象を述べているだけで、種族全体の実態とは異なる。栄養状態の良い中間層や裕福な貴族階級、そして脂肪を溜め込み易い成長期の女子供は適度な肉付きをしている。
グリンの幼馴染ザライアは特別肉付きよくふっくらとしていた。グリンは彼女の見た目が好きだったが、闇妖精族の美醜基準的にみても、彼女はちょっと太り過ぎだったかも知れない。
自由民のキグニアや、ハラグ子爵のような貴人は、男性であっても白妖精族や人間族から見てもすらりとした長身痩躯の外見の者が多い。
逆に、女性である妖精王バラクベルは男性的な雄々しさを兼ね備えたタイプの美女だと言う。
───
「忙しいところ悪いなアンガヤ。実は俺は魔女から狙われている。やつらに対抗するための魔道具を揃えたい──」
グリンは良く通る声でアンガヤに用件を告げた。
「ほお〜坊や、闇魔女と揉めたのかい。そりゃ難儀だね」
「そういうあんたも魔女なんだろ? 魔道具の他にも魔女を出し抜く方法について、色々と助言が欲しいんだが」
「は? あたしが魔女の仲間だって? しかも闇魔女の? あんなのと一緒におしでないよ。あいつらは悪魔の情婦、ただの淫売さ。偉大なる魔術師アンガヤ様の印象が悪くなるよ──二度とあたしとあいつらを一緒にするんじゃないよグリン坊や。大魔術師と呼びな」
彼女の両目は常に目盛りの動きを追いかけているが、グリン達の動きも把握している。アンガヤは直接目で見なくても室内で起こっている事が手に取るようにわかる。
複数の使役動物(おそらくはネズミ)と契約して常に塔内の情報を収集している。
「わかったよ偉大な魔術師アンガヤ」
「そうそういい子だねえ! しかしなんだね闇妖精が人間のあたしに魔術について『教えてくれ』ってえのかい。おかしな話もあるもんだよ。妖の術はあんた達の得意分野だろぉ?」
「俺は魔術も精霊術も不得手なんだ。人それぞれ長所短所はある」
「ありゃまあ坊や、そんなだと故郷では相当な苦労をしてきたんじゃないかい? でも安心おし、この大魔術師アンガヤ様の魔法道具さえあればあんたでも人並み以上になれるよ」
「苦労だって? バカ言え、俺はヴァーレでも『特別優秀』だったんだぞ」
「宮廷魔術師や国軍を困らせてた間諜の正体が坊やだっていうならまあ、本当に優秀なんだろうさ、ヒヒ」
調合が一段落ついたのか、助手のひとりに薬瓶への封入とラベル貼りを指示すると老魔女は道具を片付けた。
「どれどれ……」
ぐいっと一杯、リス獣人の淹れた白湯を飲んでひと息つくとアンガヤはグリンを観察するために椅子から立ちあがる。割としっかりとした足取りで歩いてくるのは意外だった。
「人間族じゃあるまいし。何にも魔術回路を持たない妖精なんて逆に珍しいじゃないかい──まあちょっと見せてみな」
老女アンガヤはグリンの遮光レンズを上げさせて瞳の奥を覗いたり、指に長い針のような物を立ててその目盛りを見ていた。
唾液を薬品に浸したり、耳垢を採取したり、湿布を額に貼って叩いてみたり──
「ほらね。やっぱりあるじゃないか……力強い流れを感じるよ? この子には確かに、なにかある」
「おっ……?」
検査されている間、グリンは不安そうにそわそわしていたが、思わぬ言葉に機嫌を良くして顔をほころばせた。
「俺もひと目見た時からコイツにはなんかある、とは思っていたよ。でもまあ……魔法の才能じゃないと思うけど」とハンク。
「ヒヒ、魔術の専門家のあたしぐらいになるとわかるんだよ、適正が! この世の者もあの世の者も、お天気もね、霊糸の組み合わせで何でも説明できるんだよ──」
へえ! とハンクとグリンは感嘆の声を上げた。
「──と思っていたんだけど──ねえ……」
アンガヤは低く「ウ〜」と唸り、顔を顰めた。
「なんだよ。なんだか風向きが悪くなってきたな」
「いやまあ、その。何かの特別な力の流れはあるんだよ。それがなんだか──」
アンガヤは悔しそうに首をひねる。
「え?」
老婆は騒々しく棚をひっかき回すと、羽根ペンとインク、そして分厚い帳面を開いた。グリンの検査結果を書き留め、口を開かせて舌の奥の細胞を苔汚れと一緒に調薬スプーンでこそぎ取り瓶に入れた。ラベルには日付と一緒に「??? ヴァスカ 子供 グリニエル」と書き記す。
「ふん、まあなんだわからなかったのは悔しいがね。生きてる闇妖精族のサンプルを沢山取れただけでも良しとするかねぇ」
「何が良しなんだ。結局何もわからないじゃないか」
落胆するグリン、アンガヤは少年の頭をその皺くちゃの手で軽くぽんぽんと叩いた。
「まあまあちょっとお待ち──あんたには何か他人とは違う取り柄があるってことさ! ノルトハウゼンもそうだったからあんたもその口さ」
「それって弓を使うヤツの事か?」
「ほお〜、ノルも有名になったもんだ、妖精族にまで名前が売れてる」
「へえ、魔法騎士ノルトハウゼンと親しかったのか。初耳だな」
「ヒヒヒ、親しいも何も、あたしの魔法道具の助けがなけりゃ駆け出しの頃のノル坊は何にも出来なかったからね! よっこらしょ……」
アンガヤは帳面やインクを引き出しに仕舞いこむと椅子にどっかりと腰掛けるた。調剤道具一式を肘で雑に脇に寄せるとパイプに火をつけ、リス獣人に白湯のおかわりを命じた。
「知り合いなのか? どれぐらい親しい?」
少し前にリーンフェルトの鮮やかな魔法矢を間近で見た時の記憶がよみがえる。グリンは身を乗り出してアンガヤに尋ねた。
「親しいも何も無いさ。白妖精族を凌ぐ魔法騎士様、だなんて偉そうにしてるけどね。無名の頃、小便臭いガキの頃から面倒見てやったのはあたしさ。まあ、親代わりみたいなもんだよ」
「おお〜」
素直に感心するハンク達と対象的に、退屈になったメドニアは、少し前からアンガヤの話を聞くのをやめていた。
彼女は壁に掛けてある武具の類が気になって仕方が無かった。立派な細工がされた新品の篭手を手にとって物色し始める。助手のリス獣人は青褪め、メドニアに注意をしようとしたが、見た目が厳つい彼女を怖がってなかなか声をかけられないでいた。
「ふうん、そうだね。会いたきゃ呼んでやろうか──特別に」
「えっ、呼ぶ?」
「ああそうさ、お代は──そうだね。紹介料として後で血液を少しもらうけど。それでいいかい?」
アンガヤは満足そうにパイプをふかす。
「それは助かる! 紹介してくれ!」
グリンは飛び上がって喜んだ。




