第224話
不穏と言うべきか。何やらあまりよろしくはない空気の流れを感じるわけである。まだまだ、道中であるというのに、あたりからは、うろうろと何かが這いずっているような、そんな感覚だろうか。警戒心を一段ずつ上げていくわけだが、それを気にすることはなさそうで、確かに近づいてきているのである。あからさまな敵意をむき出しにしているというのに、それを無視できるというのはどれだけ図太い性格をしているのか、それとも気づいていないのか。どちらにせよ厄介なことには変わりはない。
誰がいるのか。どんな存在がいるのか。馬車の周囲を囲むようにしている。人間であれば楽だろう。そうでないほうが戦いづらかったりする。馬車を止める。動くことが無意味にしかならないのだから。すぐそばにいるのだ。むやみに動いてしまえば、おそらく敵であろう存在に余計に近寄ってしまうことになるのだから。それはならない。どんな存在が相手であろうとも、用心しておくに越したことはないのだから。
気配をまだ殺しているつもりらしい。敵の数はもう完全に理解できているのだから、意味はない。見つけているのだ。奇襲にはならないだろう。むしろ、まだ見つかっていないとでも思っているのか。もしかしたら、ここで今日は野宿をするのだとでも勘違いしているのか。どちらにせよ、浅はかだろう。そこで思考を止めてはならなかった。常に最悪を想定していなくてはならない。それが出来ていない時点で、彼らに勝ち目はないだろう。それと同じくして、俺たちも最悪を想定しなくてはならない。例えば……自分たちよりもあまりにも圧倒的に格上なあまりに、隠れるということ、奇襲をするということを必要としないとか。ならば、今もまだ隠れていないで、堂々と戦いに来てもらいたいところではあるが。
「残念だな。あまりにも杜撰だ。これがもし人間の計画であるのだとすれば、そこまで人間の知性というものは落ちぶれているのかと嘆かなくてはならなくなってしまう。それだけはないと思いたい。出来ることならば、知性のかけらもないような脳みそが腐り落ちているのではないかというほどに間抜けな面をさらした、不快害獣でも現れてくれればいいものだが……」
「アラン様、残念ですが盗賊が相手でしょうな。獣であろうともここまでの阿呆ではございますまい。むしろ、積極的に逃げようとするでしょう。本能で、アラン様の強さを理解できるのですから。ですから、これほどの力を放ちつつも、感じ取ることの出来ない相手というのは、あまりにも未熟な人間……盗賊ということになるでしょう。たいていが学もないスラムの人間なのですから」
御者に諭されてしまった。残念で仕方がない。これほどまでに知性のかけらもない人間がいるのだと思いたくはないのだが、彼ら自身が俺の願望を否定して、踏みにじってくるのである。嘆かわしくて仕方がない。これほどまでに残念に思うことはないだろう。どうにかして、全ての人間に学を与えたいのだが、それは難しいことなのだと、実感させられるわけであった。
これ以上ここに居たとしても、相手も動こうとはしない。ただ睨み合っているだけでもいいのだが、彼らのために時間を無駄に消費してしまうことを良しとするだけの、おおらかな心はありはしない。ゆっくりと、魔力を研ぎ澄ませていく。切れ味を鋭く、研いでいくのだ。ピンと張られたように、綺麗な線となっている。これを、彼らの中の一人へと飛ばす。ふうわりと飛んでいくように、溶けこむようにいなくなり。そして、そこから気の流れが消える。死んだのだろう。すうと、生気が消え去るのである。踊るように死んだことであろう。張り巡らされた糸は鉄よりも硬く、容易に人の首をはねることが出来る。
雰囲気が一つ焦りを持ったようになっている。ざわざわと声を荒げないようにしながらも、意志伝達を行っているらしい。残念ながら、仙人の耳はとてつもなく優れているので、会話の全てがほとんど丸聞こえなわけだが。しかし、ようやく彼らは攻撃を受けたことに気づいたようだ。俺たちが相手のことに気づいていないわけではないのだと、むしろ、自分たちの位置を掴まれていると理解できたらしい。影から飛び出てくるように、それと同時に馬車へと襲い掛かるように。
それではいけない。ただ一直線に来るというのであれば、そこに仕掛けを作ればいい。軌道上に罠を仕掛けてしまえば、それに自然と引っかかってしまうのだから。素直な動きである。それは戦場という場において、最も愚直な行為なのだ。自分だけを死に陥れるのであれば、かまいはしない。しかし、そうはならない。味方を、仲間を巻き添えにするようになるのが、常なのである。むしろ、そうなることを目的として罠は設置されるものなのだから。それを理解しなくては、生きていくことは難しい。
あと少しで馬車に到達するというところで、地面を軽く爆発するような衝撃が彼らに与えられる。地雷とでもいうべきか。威力は大したことはない。運が悪ければ、足が消しとぶ程度である。そうではないとしても、傷ついてしまう。あまりにも弱い兵器だ。しかし、機動力がそがれた生き物が生きていくことは難しい。なす術もなく殺されるのがオチなのだ。移動できるというのは、最も優れた戦略を要するのである。逃げるのか、攻めるのか。それすらも、足がなければ決断することもできないのだから。恐ろしいことである。戦場でその場にい続けるということこそが最も恐ろしい。いつ敵が来るのかわかりはしない。そんな恐怖と常に戦わねばならないのだから。いっそのこと自決でもした方が楽になれることだろう。俺はそんな行為を認めるつもりはさらさらないが。
今回の地雷は、土と火の因子を混ぜ合わせることで、爆発させている。設置型の魔法というのはあまり得意ではないのだが、この程度であれば、中学年のころには、たいていの学生が教わる基礎である。出来ないわけではない。得意ではないし、好きではないというだけでしかない。あまり美しくはないのだ。卑怯みたいで好んで使いたくないが、今回の場合であれば、多くの人間を足止めするのに使える。利便性と、自分の感情を秤にかけた時に、感情を捨て去ることも時には大事だろう。……好きではないが。
彼らは慈悲もなく足を傷つけられて地面に横たわっているばかりである。呻くように、叫ぶように、呪うように、言葉を連ねている。それもまた趣を感じなくはないが、あまり聞いていても心は気持ちよくはないだろう。むしろ、この惨状を引き起こした俺自身に虫唾が走っている。どうにかして、懲罰してやりたいのだが、これを決めたのは自分自身でもある。難しい話だ。自分で決めたことをどうして、自分が裁けようか。他人でなくては、自分を裁くことは出来はしない。であれば、ハルたちにでも裁いてもらえばいいのだろうが、彼女たちはこのような惨状に対する嫌悪の心が俺よりも少ないので、きっと無罪放免であろうな。そう確信するのであった。
どうやら、戦闘不能となった敵の数は半分もない。まだまだ平気で動くことの出来る相手の方が多いのだ。さすがに、学生レベルの魔法では殲滅することは出来ないということである。むしろ、そのことにほっとしている。この魔法は脅し以上の価値を持ってはならない。今まさに、それ以上の価値を否定されているのだから、喜ぶべきであろう。とはいえ、どうやって倒すべきか。普段通りにあっけなく、スパンと首をはねて殺してしまってもいいのだが、アオの目の前でそれをするということがあまり好ましいことではない。とはいえ、彼がまだ龍の姿でしかいられなかった頃には当然のように、血祭のように上げていたことは間違いないのだが。おそらく、今は人の姿をしている、しかも幼児だからだろう。
俺は、意識を外に向けつつもアオの様子を見る。すると、いないのである。突然に消え失せているのだ。どこへ消えたのか。先ほどまで俺と一緒に馬車に乗っていたはずである。それがあまりにも突然に、俺に悟られることすらなく消えるなんてありえることだろうか。あってはならないはずだ。もしかしたら、敵の中には空間か、時空か、どちらかを歪めるようなものが潜んでいるということだろうか。なのだとしたら、アオはその者に囚われてしまったということになる。それは危険なのは間違いない。さすがに、そう簡単に死ぬことはないだろうが、怖い目にあわせるつもりもない。すぐにでも助け出す。
その意気込みのままに、目を外へ向ければ、その決意を吹き飛ばすかのようなものが広がっている。むしろ、気づかなかったことに恥じなければならないだろう。まさかのことだからだろうか。少しも気にしていなかったからこそ、あり得ないと一蹴していたからこそ、思い至ることがなく、意識のはずれに存在してしまっていたのかもしれない。
アオは馬車の外に飛び出していて、俺たちを守るようにして仁王立ちをしているのだ。なにをしているのかと、今すぐに中に入れと叫びたくなるがそれを拒否するかのように固い表情を見せているのである。任せろと言わんばかりであった。であれば、俺は父親として彼に全てを任せてみたいと思うのも無理はないだろう。
「だ、大丈夫なのでしょうか。アオ様はまだまだ幼いようですから、あのまま放っておかれてはなす術もなくやられてしまうのではないでしょうか……」
「大丈夫だ。アオは強い。なにせ、俺の息子なのだからな。むしろ、今まで過保護に育ててきたのだから、ここで一つ厳しくいくのも悪くはないだろう。この出来事がこれからのアオをより成長させるためのものであると信じてみたいのだ」
御者は不安そうにこちらを見ていて、何か言い足りないようではあるが、どれだけ説得しようとも俺が動くことはないとわかったみたいである。諦めたようにイスに深く座り直したのだから。確かに、俺だって大丈夫かと思わないでもない。しかし、それでは今まで頑張ってきたアオの努力全てを無駄にする、意味のないものとみている、そう取られてしまっても仕方がないことだろう。だったら、俺はただ信じて待てばいい。それが彼のためであり、俺の信頼なのだから。
ゆっくりと一歩前に踏み出した。その瞬間に倒れている男の中の一人が足首を掴んだ。どうやら、倒れている敵に対する警戒を欠いていたようだ。だから、隙をつかれるように、掴まれてしまう。それは反省点だろう。しかし、そのミスを修正するように、足を振る。それだけで、男は肉片へと変わってしまう。ただの蹴りの威力、それだけで男の肉体が耐えられる限界を軽々と超えていくわけなのだ。
まっすぐ進んでいる間に、邪魔になりそうな男たちは踏みつぶされて蹴り飛ばされて、かろうじて人らしいものが残っているばかりである。あたりには血だまりがかろうじて残されており、そこに人がいて、生きていたのだろうという痕跡のみとなっている。そのせいもあって、アオ自身も真っ赤に染まってしまっている。彼の幼子とは思えないほどにしゃんとした顔が血に赤く染まっていく、その光景というのは退廃的な美しさというものを見るにふさわしい。
その行動が彼らに恐怖を植え付けられるのだ。その場で立っているだけだというのに震えが止まらないようで、ガタガタと音を鳴らしているのだ。今すぐにでも逃げ出したいという衝動を無理やりに抑え込んでいるのだ。相当な心意気と言うべきか、胆力というべきか。どちらにせよ、なかなか見どころのあるやつらであろう。しかし、今はそれを捨て去ってでも、逃げなければならなかった。生きるという、生きたいという本能の叫びにおとなしく耳を傾けていなくてはならなかった。
瞬間である。少しの瞬きも許されることはない。もう見失ってしまうのだ。そして、視界のはずれから一人一人と殺されていく。頭には届かないからと、下半身を完全に破壊するのだ。砕けるというものではない。消え去るのだ。またが腰のあたりから胸のあたりまで裂けるわけなのだから。裂け目から内臓がどろどろとこぼれているのである。血なまぐさくきつい臭いがあたりに充満してきている。この時点で、匂いを頼りにして、周囲を認識することは出来はしない。鼻を壊しにかかってきていることだろう。
まだ目は生きているようだ。見つけた直後に仲間を巻き込むような形で魔法を発現させている。そこまでは良い。優れた速度だ。時間がかかることはあり得ない。瞬間を求められている戦場では、これ以上にない合格点を与えられることだろう。スラム出身の人間だとは思えないほどの魔法の腕前であった。だが、その一段上にいるのがアオの魔法であった。そもそも、彼の魔法は認識と掌握、そして発現が起きる。想像から、創造。そして発現というプロセスの数倍の速度で処理されているのである。実質魔物と変わりはしない。本能で魔法を扱えるのだ。理性によって扱っている人間が太刀打ちできることはない。彼は、胸を貫かれ絶命するのだ。
そこから先は、蹂躙か。それとも虐殺か。誰もなす術など持ち合わせてはいない。そして、逃げられはしない。哀れにこの地で死の迎えを待つのみとなっているのである。たった一人の幼児に殺されたという記憶が、魂の奥底まで刻みつけられて、それは消えることのないトラウマとなるかもしれない。そう思うと、あまりにも可哀そうなことである。そんなことを、ふと思うわけであった。




