第223話
手紙が届いた。ムルーシェア共和国からのものである。国をまたいだ手紙というのは相当な金がかかっているので、それをわざわざ俺に送ってくるというのは、重要な用事でもあるのだろう。差出人はキーリャであった。久しぶりに聞いた名前である。狐の獣人の彼女からの手紙。ずいぶん昔にこの国へとやってきて、それっきりだ。連絡も何もしていなかったし、してこなかったものだから、すっかり記憶の片隅に置かれていたものである。しかし、今まさに彼女からの手紙をもらったということで、しっかりと呼び起こされている。そのわずかな雰囲気を感じ取ったようで、ハルに睨み付けられてしまったが。ただ、手紙の中を見たりはしていない。俺が醸し出した雰囲気を感じ取っただけでしかない。それはそれで恐ろしいことではあるが。それだけ俺のことを知られているというわけである。
手紙の内容からしてみれば、この国に遊びに来てほしいということだそうだ。簡潔にして、要約してしまえばという話ではあるが。明らかに、それだけを目的とはしていないのだろうというのが伝わってくる。この手紙に込められている感情がそうではないのだと伝えてきているのだから。助けを求めているかのような。
彼女は今もまだ俺のことを英雄であるかのような、ヒーローであるかのような、そのような目で見ているのだろう。だからこそ、俺に助けを求めている。それならば、俺はどうする。どう動けばいい。簡単な話であった。助けに行けばいい。それだけしかないのだ。それこそが最も求められていることであり、誰もが望んでいることであるのだ。
すっと立ち上がると同時に、ルーシィに押さえつけられる。どうやら、気づかない間に俺の後ろで手紙を盗み見ていたようである。そして、俺と同じ結論を出したらしい。だからこそ、俺を押さえつけるのだから。そうでなければ、俺の行動の真意を見ることは出来はしないのだ。
俺は彼女の方へと視線を向ける。それだけである。しかし、不気味なほどに、真っ黒な瞳に吸い込まれるのではないかという恐怖を感じてしまった。彼女の、どうにも読めない表情というものの怖さを久しぶりに味わった気がする。これほどまでに、感情を読み取らせないような、隠ぺいするような顔つきであっただろうかと思うほどに。何もない顔なのである。無表情とはまた違っているのだが、それに感情があるように見えないほどに、無機質なわけであった。
「行くつもりでしょう? あの女のところに。あたしたちを置いていっちゃうのかな? 一人で向かっていくのかな? それは許されることなのかな? アランの中では許容されるようなことなのかな? しかも、この女って助けを求めているんだよね。そんなところへ一人で行っちゃうんだあ。明らかに、アランのことを狙っているようなねちっこい文章だというのにさあ。すごいねえ……あたしはそれを許容することは一切できはしないんだ。出来るわけがないよねえ。だから、嫌だといっても、無理だといっても、ついていくからね。どこまでも永遠にね」
「そこまで言わなくたって、皆を連れていくに決まっているさ。なにせ、表向きでは遊びに来てほしいだけなのだからね。であれば、それにふさわしい感じでいなくちゃあならないだろう? だからこそ、俺とその妻であるルーシィたちで共和国へ向かうのさ。それは当然のことじゃあないのかい? だろう?」
別に、彼女の圧力に負けてしまったわけではない。屈したわけではない。ただ、それが最も自然であるかのように装えるだろうということなのである。どうやら、キーリャとしても、助けを求めているということを悟られたくはなさそうな雰囲気なわけである。俺に対して、都合のいい英雄として扱うのが申し訳ないと思っているのか、情勢がそれを許しはしないのか。どちらにせよ、異国の人間にまで頼らなければならないような事態が彼女の中で起きていることは間違いない。それを救いに行くだけという話なのだ。簡単であろう。ただ、その簡単は奈落の底まで深い地獄の中における、簡単でしかなさそうだということなわけであるが。
それを聞いたルーシィはにんまりと笑みを浮かべて静かに俺から離れる。納得してくれたということだろうか。ただ、全てを見透かされているようなそんな感覚を覚えてしまうわけだが。別に何かを見られたとしても困ることはないと思っているのだが、それだとしても、中を隅から隅までのぞき込まれてしまうということは、それなりの不気味さを覚えてしまうというのもある。俺は自分自身の妻に対する評価をしていないと思うのだが、何と言うべきか……彼女自身も、あえてそういう評価をされるような態度を見せているのではないかと思ってしまう。自分に、俺に対して自信があるからこそ、出来るのではないかと。絶対に嫌われることはないと。だからこそ、ここまで脅す様なことが出来るのではないか。実際に、俺は彼女のことを愛せなくなるなんてことは永遠に来るはずがないのだから。間違いではない。
彼女が離れた後、ゆっくりと自分の首をさする。何故だか首を絞められてしまったかのような気がしたのであった。ただそれだけである。
当然、今すぐに出発できるわけがない。他の四人にも伝える。当たり前の話だが、アオだって連れていく。親子なわけだしな。家族旅行に置いてけぼりというわけにはいくまい。これで、六人。大人数に見えるかもしれないが、家族旅行としてみれば、いたって平凡な数であろう。むしろ、少ないかもしれない。二桁人数で旅行をすることがざらなのだから。
その話を伝えている途中でアキが帰ってきた。その瞬間に俺の妻たち全員の顔が面倒くさそうに苦い顔をしている。明らかに聞かれたくなかったと言わんばかりであろう。たしかに、彼女もついていきたいというに決まっているだろう。そうではないと考える方が難しいかもしれない。当然彼女が加わることで、最初から話すこととなる。なにせ、興味津々に聞いてくるのだから。それも全て、彼女たちが露骨な顔を見せたからだろう。何でもないように振る舞っていれば、気にも留めなかっただろうに。
「……なるほどですね。そうして置いていこうとしていたということですか。なかなかに、卑怯で姑息な手を使うことですね。そうまでして私を陥れないと、あなたたちではアランとの愛を独占できないということなのでしょう。可哀そうな女どもです。ですが、そうなるとますますついていきたくなりますね。実質、私も家族みたいなものでしょう。なにせ、どれだけの月日を一緒に過ごしてきたのかという話なのですからね。正直なところ、ほとんどアランと夫婦であるといっても過言ではないでしょう。であれば、ついていくというのも当然の話ですね」
「いいえ、とっても過言よ。なにせ、あんたとアランは愛し合っていないのだからね」
「へえ、それを理由にするのですか。それは不可能ですよ。なにせ、アランは全ての人を愛していますから。ということはそれには私も含まれるというもの。そして、私は当然アランのことを愛しています。これでありながら、愛し合っていないとはどうやったら言うことが出来るのでしょうか? 無理でしょう。つまりは、私もついていくことが出来てしまうわけです。残念でしたね。恨むなら、人を愛せないという概念が存在しないアランを恨んでください」
ハルは罪を擦り付けるようにして俺を睨んでくる。確かに、俺のせいで負けてしまったようなものだが、そもそもの話、婚約していないのだから夫婦ではないだろう。形式的なものとしての感覚が薄い、ゴブリン出身だからこそ、そういうところを突くことが出来ないのかもしれない。夫婦というものの概念的なものをより重視しているのかもしれない。だからといって、それが悪いとは言わないが。むしろ、彼女が俺のことを夫だと思ってくれている理由が、愛し合っているからなのだと理解できるからこそ、それにより愛おしさを感じることは間違いないだろう。
結局ハルが負けてしまったので、アキもついていくこととなった。別に悪いことではないだろう。むしろ、頼りになるというものである。キーリャからの助けがどれほどの困難なものかわかりはしない。であれば、出来る限り力のある人がついていくべきであろうから。
そういえば、俺は今まで王国の外から出たことはなかった。初めての国外旅行ということか。感情が昂ってきているような気がする。それを誰にも悟られないように、静かにおとなしくしておくべきであろうか。目ざとい人は気づいてしまいそうだが。たとえば、俺の妻たちとかが。
そんな準備をしているある日のことであった。俺は唐突にルイス兄さんに呼ばれたのである。もしかしたら、急に仕事が出来てしまったというのだろうか。それは困る。出来るだけ短い期間で終わるような仕事であることを祈るばかりであった。
「ああ、アラン。すまないね。急に呼び出してしまって。キーリャ嬢から手紙が来ていることだろう。その返事はどうなっているんだい?」
「彼女が誘ってくれたのだからね。共和国の方へと家族全員で出かける予定だよ。でも、どうして兄さんがそのことを知っているんだい。まだ教えていなかっただろう?」
「いろいろとあるんだよ。しかし、共和国へ行ってくれるというのなら、これ以上僕から何かを言うことはない。楽しんできてくれると嬉しい。しっかりとね」
何か言葉を含んでいるようであったが、その言葉がわかりはしない。明らかに隠し事をしているというのはわかっても、その中身がわからないでいるのだから。だとしても、深入りはしない。少なくとも、隠しても大丈夫だと、隠すべきなのだと思ったからなのだろうから。俺と兄さんとの仲ならば、言うべきだと思ったのなら、ちゃんと言ってくれるはずである。それだけの信頼があるのだ。
それに、共和国への旅についてのことを聞いてきたということは、それに関係した何かがあるということである。であれば、向こうについた後にでも、キーリャから何か話があるかもしれない。ということもあって、特に気にすることはないと結論付けたわけである。
準備が終わり、出発日となる。七人もの人数を一台の馬車で運ぶことは出来ないので、二台の馬車を用意してある。兄さんに頼んだら貸してくれた。普通の馬車を。最初に貸そうとして来たのは王族が乗るような馬車であったために、即刻変えさせた。どうして、男爵家の三男ごときに最上級の馬車を使わせようとするのか。普通の神経であれば、そんなことはしないだろうというのに。
山を越えた先に共和国はある。しばらく時間がかかるだろう。のんびりと旅の景色を楽しむとしよう。俺の馬車には他にはアオしか乗っていない。他に誰が乗るかで喧嘩が起きるので、そうなることは仕方のない事であっただろう。
アオは身を乗り出すようにして、風景を眺めている。まだ何も変わりはなく、ただ平原が広がっているというのだが、それでも何か楽しんでいるようであった。何か目に見えないものでも見ているのであろうか。
その時、アオは手を出して何かを摑まえるかのような動作を見せる。最初は空を掴んだだけのようで、手を見つめて残念そうに溜息を吐いている。しかし、二度目ではしっかりとつかまえることが出来たようだ。とても喜んでいるようで、ニコニコとした表情を見せているのだから。俺に見せびらかすように手のひらを広げているが、俺にはそこになにがいるのかがわかりはしない。
それに気づいたようで、アオは掌に魔力を流していく。すると、手のひらが光り輝いてきて、それに合わせるようにその上に乗っている何かが形どり始めるのだ。今まで透明で見えなかったものが姿を現しているのである。あまりにも、消えてしまいそうなほどに透き通りつつも、しっかりと形としてそこに残っているのだ。
どうやら、虫のようである。昆虫であろう。六本の足と、頭と胸と胴体。そして、羽根が生えている。しかし、その昆虫に心当たりがない。全くもって心当たりがないのだ。しかも、生気を感じないのだ。生命体であれば、たとえそれがどんな存在であろうとも、気を持っているというのに、それがないのだ。あり得るだろうか。あり得はしない。あり得てはならない。
「お父さん、これは生き物じゃあないよ。言霊だよ。意思が自我をもって、動いているんだよ。今もこのあたりにはうじゃうじゃいるよ。どうやら、たくさんの念が込められた場所みたいだねえ。色んな念が、言霊が飛び交っているんだもん。こんな光景は初めて見たよ」
「言霊か……ここには、それだけの念が渦巻いているんだな」
ただの平原でしかないというのに。それだけの意思がここにとどまっている。魂ではない。生命ではない。それとは切り離されてしまった、また別の存在。それが依代を持たずに、彷徨っているのだ。幻想世界と現実世界を行き来しているかのように。
俺もまねするように手を伸ばしてみる。そこにはなにもかすりはしない。何もいない。でも、いるのだ。




