迷い そして 戸惑い
「そんなことが……」
「何で断ったのさ?」
「だって……私、その人と話したこともなかったんだよ?」
どんな人なのかも分からないのに、いきなり付き合うことなんてできない。
そう話す椿に、由梨は不思議そうな顔をした。
「そんなの、付き合ってみてから知ればいいじゃん?」
「会った感じ、悪そうな人じゃなかったけどな。格好良かったし……」
真美もそう言っていたが、椿にとってはそういう問題ではなかった。
とにかく、松井と付き合うつもりはないことを、二人にはっきりと伝えた。
「仕方ない……彼にはそう言っとく」
「うん……お願いします」
「椿……本当は好きな人がいるんじゃないの? 実はその人のこと、待ってるんじゃない?」
由梨の勘は鋭い。
好きかどうかは分からないが、確かに気になる人はいた。
椿は少しためらった後、そのことを二人に打ち明けた。
「だ、誰?」
「夢の中の人……」
「夢の中……?」
椿は、毎晩のように見る夢に出てくる人物のことが、どうしても気になるのだと話した。
「何それ?」
「私にだって分からないよ……」
「ねえ、それって前世の記憶ってやつじゃない?」
「前世の記憶?」
夢に出てくる男性の服装は、明らかに現代のものではなかった。
椿の話を聞いた由梨は、戦国時代か幕末の人物ではないかと予想した。
ちょうど日本史の授業では、幕末から明治維新にかけての歴史を学んでいるところだった。
(そのせいで、あんな夢を見るのかな……)
椿がそんなことを考えていると、由梨は嬉しそうに言った。
「きっとその人が椿の運命の人なんだよ!」
由梨はこの手の話に弱い。妄想癖があるというか、少し変わったところがある。
「由梨……もう少し現実を見ようよ……。もし仮にその人が運命の人だったとしても、その人を待ってたら、椿がお婆ちゃんになっちゃうかもよ!」
真美は呆れたように言った。
そんな話をした日の帰り、椿は下駄箱に入れていた靴の下から、一枚のメモ用紙を見つけた。
そこには宮代の名前と電話番号、メールアドレスが書かれていた。
椿が連絡先をスマホに登録すると、その日の夜、宮代からLINEが届いた。
内容は、先日の出来事についてのお詫びとお礼、椿が一人で帰ったことへの心配、そして今度会えないかという誘いだった。
「宮代先輩……」
どうしたらいいのだろう。
誰にも相談できず、一人で悩む椿。
会ってみたいという気持ちはあった。
あの時、宮代に抱きしめられても嫌な気持ちにはならなかった。
それに、あの悲しみを帯びた瞳の理由を知りたかった。
しかし、その一方で、会うことへの怖さもあった。
雅という先輩の存在も気になっていたが、それ以上に、自分に好意を寄せてくれている宮代の気持ちに応えられる自信がなかった。
結局、宮代からのLINEに返信しないまま、三日が過ぎた。
三年生と一年生では教室のある階も違うため、校内で顔を合わせることもなかった。
あれ以来、宮代から新たな連絡も来ていない。
このまま何事もなく、時間だけが過ぎていくのだろう。
椿はそう思っていた。
それから数日が過ぎた、ある夜のこと。
椿は夜の貸切練習を終え、一人、自転車で帰路についていた。
いつもなら人通りの多い大通りを通るのだが、翌日は英語のテストがあるため、少しでも早く帰宅したかった。
そこで、普段は通らない公園を抜けて近道をしようと、自転車を公園内へ進めた。
その時だった。
「参ったな~」
自動販売機の前で、大学生くらいの男性が困った様子で立っていた。
それを見かけた椿は、つい親切心から声を掛けてしまった。
「あの、どうかしましたか?」
「いやあ、自販機で飲み物を買おうとしたんだけど、百円玉を下に落としちゃってさ」
暗くて自動販売機の下を覗いても何も見えないという。
男性はジョギングの途中で、喉が渇いていたらしい。
「給水場なら、この奥にありますよ?」
「本当? 俺、この公園に来るの初めてで、よく分かんねえんだよ。案内してくれないかな?」
そう頼まれた椿は、何の疑いも抱かずに自転車を降り、男性を案内することにした。
給水場は公園の中央付近にある。
「ここですよ」
「本当だ。ありがとう~助かったよ」
男性が椿の背後でそう言った、その時だった。
突然、四人の男が茂みから姿を現し、椿を取り囲んだ。
「…………っ!?」
「なあ、尚人。雅が言ってた奴ってコイツなの?」
「ああ、間違いない」
(雅……?)
(雅先輩の知り合いなの……?)
どうして自分がこんな男たちに囲まれなければならないのか。
何の用があるというのだろう。
男たちはじりじりと距離を詰め、椿の逃げ道を塞いでいく。
「何? 何なの、あなたたち……!」
「悪いな。お前に直接恨みはねえんだけど、雅の命令なんだ」
「雅って……雅先輩?」
「お前があの男に近づいたのがいけねえんだ。恨むなら自分の行いを恨むんだな」
(自分の行い……?)
何を言っているのか、椿には理解できなかった。
尚人と呼ばれた男から離れようと、思わず後ずさりする。
しかし、その瞬間、背後にいた別の男に手首を掴まれた。
ガシャン!
勢いよく自転車が倒れ、椿は男に身体を拘束されてしまった。
「はっ、離して!」
「ふ~ん、思ってたよりいい女じゃん! 尚人、本当にやっちまっていいのか?」
「ああ……構わねえよ」
「…………!」
椿を拘束している男の周りに、他の三人が近づいてきた。
そのうちの一人が、椿の首筋に唇を押し当てた。
「…………嫌っ!」
ぞわりと全身に鳥肌が立った。
力いっぱい抵抗しても、男の力にはかなわない。
椿はそのまま地面に押し倒されてしまった。
「やだ……やめてよ!」
「そんな顔されて、誰がやめるかよ……」
「…………!」
男たちは椿の怯えた表情を自分たちに都合よく受け取り、さらに行動をエスカレートさせていった。
(誰か……助けて!)
椿が心の中で必死に叫んだ、その時だった。
「うわあっ!」
突然、男の悲鳴が響いた。
椿を押さえつけていた男たちが離れ、目の前から姿を消した。
恐る恐る目を開けると、椿を庇うように背の高い男性が立っていた。
「何だ、てめえは?」
「女一人に男が寄ってたかって、卑怯じゃねえか?」
背の高い男性は、低く凄みのある声で男たちを威嚇した。
その手には、竹刀と防具が握られていた。
「おい! 尚人、コイツもしかして……」
男の一人が、何かに気づいたように尚人へ声を掛けた。
「なるほどね……いいのか、お前。こんな所で暴行事件を起こしたら、インターハイ出場は取り消されるんじゃねえの?」
「それが嫌だったら、今すぐそこを退くんだな」
(インターハイ出場……?)
椿は目の前に立つ男性を見上げた。
背丈からして、宮代ではないことは分かる。
それに、この声には聞き覚えがあった。




