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動き出した歯車

「……村瀬さん?」

「…………」


村瀬は何も答えなかった。

地面に倒れたまま見上げる村瀬の広い背中が、一瞬、夢の中に出てくる男性の姿と重なった。


「村瀬さん、駄目です! 私のことは放っておいて!」

「ほら……その女だってそう言ってるぜ? さっさと家に帰りな!」


それでも村瀬は、椿の前から退こうとはしなかった。

竹刀を構えたまま、男たちを鋭く睨みつけている。


「コイツを見捨てるくらいなら、インハイ出場取り消しになったって構わねえよ! てめえら全員ボコボコにしてやるから、まとめて掛かってきやがれ!」


村瀬の挑発に、男たちは一瞬怯んだ。

しかし、再び村瀬に襲い掛かろうとした、その時だった。


「お巡りさん、こっちです! 暴行事件ですよ!」


声のした方を見ると、こちらへ駆け寄ってくる二人の人影が見えた。


「やべっ……逃げるぞ!」


そのうちの一人が警察官だと分かると、男たちは慌てて踵を返し、その場から逃げ出した。


「大丈夫!? 上條さん、しっかりして!」

「宇佐美さん……どうしてここに?」


宇佐美は椿と同じスケートクラブに所属しており、つい先ほどまで一緒に練習していた仲間だった。

宇佐美の家は、椿の家とは反対方向にある。

それなのに、どうしてここにいるのだろう。


「帰り道、君の自転車の後を不審な男たちがついていくのを見かけてね」


心配になり、後を追ってきたのだという。

そして、椿が男たちに襲われているのを目撃し、慌てて警察に通報したのだった。


その後、椿は近くの交番で保護され、村瀬と宇佐美も付き添うことになった。

警察官が椿の両親に連絡を入れると、仕事中だった母親が、すぐに迎えに行くと答えた。

母親の到着を待つ間、椿は警察官から事情を聞かれた。


「では、君を襲った男たちとは面識がないんですね?」

「はい…………」

「被害届を出すこともできます。その場合は、詳しいお話を伺うために警察署へ来ていただくことになりますが……」


被害届を出せば、警察は男たちの行方を追ってくれるだろう。

しかし、椿は被害届を出す決心がつかず、そのまま母親が迎えに来るのを待っていた。


「椿!」

「お母さん!」


一台のグレーの軽自動車が交番の前に停まった。

車から降り、青ざめた顔で駆け寄ってきたのは椿の母親だった。

よほど慌てて来たのだろう。仕事で使っているエプロンを着けたままで、髪も乱れていた。


警察官から事情を聞いた母親は、椿を助けてくれた村瀬と宇佐美に深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました」

「お母さん、お久しぶりです」

「あら? あなたは宇佐美君? 今日は娘が迷惑を掛けてしまって、ごめんなさいね」


母親は、椿が幼い頃から一緒にスケートの練習をしていた宇佐美とは顔見知りだった。

クラブでも何かと椿の面倒を見てくれる宇佐美には、日頃から感謝していた。


「いえ、上條さんを助けたのは彼ですよ。僕は警察に通報しただけです」


そう言って、宇佐美は村瀬を紹介した。


「まあ、本当にありがとうございます。えっと……」

「俺は村瀬紫狼と言います」

「村瀬さんね。娘を助けていただいて、本当にありがとうございます」


母親には、なぜ村瀬があの公園にいたのか分からなかった。

しかし、もし彼が助けに入ってくれなかったら、娘はどうなっていたのだろう。

そう考えるだけで、身震いがした。


「椿……今日はお母さんと一緒に帰りましょう」

「えっ、でも自転車はどうするの? 明日も学校があるのに……」

「お母さん、彼女は僕が送っていきますよ」

「宇佐美君……そうね。あなたが一緒なら安心だわ」


交番から椿の家までは、まだ少し距離があった。

それでも、幼い頃から娘を知る宇佐美が付き添ってくれるなら安心だろう。

母親は椿を宇佐美に託し、一足先に車で帰宅することにした。


帰り道、なぜか村瀬も一緒について来ていた。

椿を両側から守るように、宇佐美と村瀬が並んで歩いている。


「…………」

「…………」


何か話さなければ、間が持たない。

気まずい沈黙が続く中、椿が何か話題はないかと考えていると、家の近くまで来たところで村瀬が口を開いた。


「椿……今回のこと、宗司に言うぞ」

「えっ……」


その口調には、わずかに怒りが滲んでいた。

村瀬は、今回の事件に雅が関わっていることを知っていた。

先日、宗司と椿が一緒にいるところを、誰かに見られていたのかもしれない。

雅はこれまでも、宗司に近づく女子生徒を徹底的に排除しようとしてきた。


今回もその類いだろう。


これ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。

ましてや、宗司が椿に好意を寄せているのなら、なおさらだった。


「だっ、駄目! 宮代先輩には言わないで!」

「何でだよ! このままじゃお前、また狙われるぞ!」


宗司は、雅がこのような嫌がらせをしていることを知らなかった。

同じ道場で剣道に励む仲間が、そんなことをするはずがないと信じているのだ。

村瀬は、宗司から雅に直接注意してもらうのが一番だと考えていた。


「インターハイ前に、これ以上迷惑掛けたくないの! 私なら大丈夫だから!」

「椿……」


椿の真剣な訴えに、村瀬はそれ以上何も言えなくなった。

大切な試合に集中してほしい。

その思いが、痛いほど伝わってきたからだ。

そして、それは村瀬に対しても同じだった。

宗司、村瀬、雅の三人は、同じ道場で稽古を重ねてきた仲間だ。


椿は、自分のせいで彼らが仲違いすることを望んでいなかった。

試合に懸ける思いは、椿にもよく分かる。

だからこそ、自分のことで彼らに迷惑を掛けたくなかったのだ。

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