夢と現実
「も~、宗司! どこ行ってたの? 主役がいないんじゃ話になんないじゃん!」
「ごめん。少し用事を済ませてきたんだ。黙って出てしまって申し訳ない」
雅というのは宮代の幼なじみで、今回の女子個人戦の優勝者だ。
雅も宮代道場の門人で、幼い頃から宮代とともに剣術の鍛錬に励んできた。
可愛らしい容姿とは裏腹に、気が強く男勝りな性格をしている。
宮代と村瀬が戻ってからしばらくして、椿も人目を避けるように道場へ戻った。
そこで目にしたのは、宮代の隣にぴったりと寄り添う雅の姿だった。
二人の親しげな様子を見て、椿は何とも言えない複雑な気持ちになった。
(少し時間を空けて戻ってって……そういうことだったのかな……)
「椿! あんた、どこ行ってたの?」
椿の姿が見えなくなったことを心配していた由梨が、駆け寄ってきた。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってた」
「も~、心配したんだよ! 宮代先輩もいつの間にかいなくなっちゃうしさ~。まさか椿、宮代先輩と一緒だったってことはないよね?」
由梨の言葉に、椿はドキッとした。
まさか宮代に抱きしめられていたなどと言えるはずもなく、トイレに行っていただけだと誤魔化した。
「…………」
「雅先輩、宮代先輩に告白したことがあるんだけどさ。振られたくせに、宮代先輩の彼女気取りなんだよね」
「そっ、そうなんだ……」
雅は宮代の隣を陣取り、まるで恋人同士のように振る舞っている。
その様子を見ながら、由梨は不満そうに口を尖らせた。
「前にも宮代先輩に告白した子が、いつの間にか不登校になって、結局学校を辞めちゃったことがあるんだけどさ……その原因が雅先輩だって聞いたことがあるの」
「…………」
「だから、雅先輩がいる限り、みんな怖くて宮代先輩に近づけないんだよ」
由梨は「怖い、怖い」と肩をすくめた。
宮代は雅の告白を断ったものの、同じ道場で育った幼なじみということもあり、邪険にすることなく、以前と変わらず接している。
しかし、雅はそんな宮代の態度を自分への好意だと思い込んでいるのか、まるで彼女であるかのように振る舞っているのだという。
「宮代先輩も可哀想だよね……あんな人がそばにいたら、彼女なんかできないよ。しかも雅先輩、別に付き合ってる男がいるらしいんだよ? 一体何考えてるのか分かんない!」
宮代に振られたにもかかわらず、別の男性と付き合いながら、まるで宮代の彼女であるかのように振る舞う雅。
由梨の話が本当なら、随分と身勝手な話だ。
椿は雅に対して、あまり良い印象を持てなかった。
(さっきのことは、誰にも言わない方がいいかもしれない……)
宮代とは付き合っているわけでもなく、やましいことをした覚えもない。
しかし、雅の噂を聞いた今、余計な誤解を招くようなことは避けたかった。
「由梨、ごめん。明日も朝練があるから、そろそろ帰るね」
「えっ、じゃあ私も一緒に帰るよ!」
「ううん、由梨は航君と一緒に帰りなよ」
「駄目だよ! もうすぐ日も暮れるし、一人じゃ危険だって!」
由梨は心配してくれたが、椿はスケートの練習で帰りが遅くなることも多く、一人で帰ることには慣れていた。
「大丈夫だよ」と由梨を安心させると、椿は一人で道場を後にした。
その時、ふと誰かの視線を感じた。
しかし、椿は特に気に留めることもなく、そのまま歩き出した。
帰りのバスに揺られながら、椿は宮代との出来事を思い返していた。
(先輩は、ずっと前から私のことを知っていた……?)
宮代の言い方は、高校に入学してから知り合ったというものではなかった。
まるで、それよりもずっと以前から自分を知っているかのようだった。
(でも……どこで会ったんだろう?)
どれだけ記憶をたどってみても、宮代と会った覚えはなかった。
その夜も、椿は夢を見た……。
黒い筒袖の着物に袴を身に着け、黒羅紗の陣羽織を羽織った男性が、長い刀を手に佇んでいた。
桜の木の下で、長い髪を風になびかせている。
椿はその男性を必死に追いかけていた。
「待って……置いていかないで!」
しかし、いくら走っても追いつくことができない。
男性は空を見上げ、その瞳から血の涙を流していた。
椿には、その姿を遠くから見つめることしかできなかった。
「お願い! 私も一緒に連れていって!」
……
…………
やがて男性の姿は、舞い散る桜吹雪の中に紛れ、見えなくなってしまった。
そこで椿は目を覚ました。
窓から差し込む朝日も、聞こえてくる鳥の声も、いつもと変わらない。
しかし、胸には言いようのない虚しさが残っていた。
気づけば、頬には涙が伝っていた。
「私……何で?」
(あの人は……誰なの?)
問いかけたところで、答えが見つかるはずもない。
それでも、時間が経つにつれて沈んでいた気持ちは少しずつ落ち着いていった。
椿はいつも通り、学校へ登校した。
「おはよう~椿! 昨日は大丈夫だった?」
教室に入ると、由梨が心配そうに声を掛けてきた。
昨日、一人で帰った椿のことが気になっていたらしい。
「大丈夫だよ。本当に由梨は心配性だよね」
「だって、椿可愛いもん! 夜道で襲われたりしないか心配するのは当然でしょ!」
「またまた~。私なんか襲う人なんて誰もいないって」
十六年間、誰とも付き合ったことがなく、恋愛経験もない椿は、自分が誰かに狙われるような存在だとは思っていなかった。
「椿……あんたって馬鹿でしょ!」
そこへ、後から教室に入ってきた真美が、呆れたように口を挟んだ。
「馬鹿って何が?」
「そういうところがよ! あんた、自分の魅力をちっとも分かってないでしょ?」
「魅力?」
「そんなんだから、私らが苦労するんだって……」
椿は、自分に魅力があるとは思っていなかった。
それどころか、友人も少なく、学校では部活動にも所属していないため、周囲からどこか浮いているとさえ感じていた。
「別に……そんなことないよ?」
「いいや、ある!」
「それにあんた、この間、他のクラスの男子を振ったでしょ?」
「えっ……何で真美が知ってるの?」
椿は先日、他のクラスの男子生徒に呼び出され、放課後の校舎裏へ向かったことがあった。
「話って何?」
「か、上條……俺と付き合ってくれないか?」
「……えっ?」
「前から上條のこと、気になってたんだよ。だから、俺と付き合ってほしいんだ」
椿が彼と話すのは、これが初めてだった。
名前も、つい先ほど知ったばかりだ。
彼は松井和樹というらしい。
ほとんど面識のない相手から突然告白され、椿は返答に困ってしまった。
もっとも、付き合うかどうか迷っていたわけではない。
どうすれば相手を傷つけずに断れるのか、それを考えていたのだ。
「ごめんね……今は誰かと付き合う気はないの」
「他に好きな奴がいるのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「だったら……」
「ごめんね……私、習い事があるから……」
そう言い残すと、椿は松井の横を通り過ぎ、駐輪場へと向かった。
しかし、松井は椿の返事に納得できなかったらしい。
後日、真美や由梨に、椿との仲を取り持ってほしいと頼んできたのだった。




