再会
「ねえ由梨、航君のところに行ってあげなよ。彼も頑張ってたんだから」
「でも……そしたら椿、一人になっちゃうでしょ?」
知り合いの少ない場所で椿を一人にするのは申し訳ないと、由梨はずっとそばにいてくれたのだ。
そんな優しい親友の背中を押すように、椿は笑顔で言った。
「私はここでご飯食べてるから大丈夫。お疲れ様くらい言っておいでよ」
「そう? じゃあ、ちょっとだけ行ってくるね」
由梨は嬉しそうに、皆の輪の中へと入っていった。
楽しそうに話している由梨たちを眺めながら、椿は一人、黙々と食事を続けていた。
こういう時、個人競技は少しつまらないと思う。
椿が打ち込んでいるフィギュアスケートは、学校の部活動ではなく、クラブに所属して取り組む個人競技だ。
試合になれば、周囲は皆ライバルになる。
勝ち抜くために、他のクラブの選手からスケート靴や衣装を隠されるなど、嫌がらせを受けたことさえあった。
そんな経験もあって、椿には少し人間不信なところがある。
本当に仲の良い友達は、数えるほどしかいない。
いないというより、必要以上に友達を作ろうとしなかったのだ。
「今のうちにトイレに行ってこよう」
椿は立ち上がると道場を出て、廊下を右へと進んだ。
廊下の奥にあるトイレで用を済ませ、洗面台で手を洗っていると、背後から誰かが近づいてくる気配がした。
振り返ると、そこには宮代が立っていた。
「上條君……」
「あっ、宮代先輩もおトイレですか?」
宮代の邪魔にならないよう、椿が脇へ寄ろうとした、その時だった。
「いや、君が出ていくのを見つけて追いかけてきたんだ。上條君……少し話、できないかな?」
宮代は椿を連れて道場の外へ出ると、敷地の奥にある林へと向かった。
林の中は木々が生い茂り、昼間だというのに太陽の光がほとんど届かず、薄暗かった。
話なら道場の外でもできるはずなのに、何故こんなところまで連れてきたのだろうか……。
「あの……話って何ですか?」
「ねえ、君は……上條椿っていう名前なんだよね?」
「……? そうですけど?」
名前がどうしたというのだろう。
先ほどから宮代は、椿の名前を何度も確かめようとしている。
「同じ学校だったのか……何故、今まで気づかなかったんだろうな……その顔、その声……あの時のままじゃないか」
「あの……何のことですか?」
宮代は一人で納得したような様子だったが、椿には何のことだかさっぱり分からなかった。
話があると言っていたのに、一体何を伝えたいのだろう。
人目のない林の奥まで連れてこられたこともあり、椿は次第に不信感を募らせ、警戒するように身構えた。
そんな椿を見つめながら、宮代は寂しそうな笑みを浮かべた。
その表情があまりにも辛そうで、椿は何故か胸がチクリと痛むのを感じた。
「あの……先輩は私のことを知ってるんですか? 今、初めて会ったばかりなのに……」
同じ学校なのだから、どこかですれ違ったことくらいはあるだろう。
しかし、椿は学校の部活動には所属せず、地元のスケートクラブに通っている。
放課後はほとんど学校に残らず、練習のためにスケートリンクへ向かうので、他学年の生徒と交流する機会もほとんどなかった。
「初めて会った、か……そうだよね。君にとっては、僕たちは初対面なんだ……だけど、僕は……」
宮代は言いかけて、口をつぐんだ。
やがて、ためらうように手を伸ばし、そっと椿の頬に触れた。
「あの……?」
椿が戸惑っていると、宮代は愛おしそうに彼女を見つめ、その身体を優しく抱きしめた。
「……! みっ……宮代先輩!」
「ごめん……だけど、少しだけこのままでいさせて」
「…………」
突然のことに、椿の頭は真っ白になった。
何が起こっているのか分からず、どうしていいのかも分からない。
ただ、抱きしめられる直前に見た宮代のあまりにも真剣な眼差しが忘れられず、その腕を振りほどくことができなかった。
「やっと見つけた……ずっと、ずっと君を探していたよ」
「私を……?」
宮代の腕の中で、椿は不思議な懐かしさを感じていた。
(この感じ……どこかで……)
いや、そんなはずはない。
男性に抱きしめられたのは、これが初めてなのだから。
戸惑いながらも胸の鼓動は速くなり、緊張で身体が小さく震えた。
それに気づいた宮代は、そっと腕をほどき、椿から離れた。
「…………」
「………………………」
しばらくの間、二人は何も言わずに見つめ合っていた。
ほんのわずかな時間だったはずなのに、椿にはそれがひどく長く感じられた。
そんな二人の沈黙を破ったのは、宮代を探しに来た村瀬だった。
「宗司? そこにいるのか?」
「紫狼……」
「そんなところで何してんだ?」
声のする方へ振り向くと、村瀬がこちらに向かって歩いてきた。
宮代に近づいた村瀬は、その後ろに立っている椿の存在に気づき、思わず足を止めた。
「っ……悪い、邪魔したか?」
二人のただならぬ雰囲気を察したのか、村瀬は気まずそうに目を逸らした。
「いや、大丈夫だ」
「宗司……誰だ? その女」
「ああ、学校の後輩で、上條椿君だよ」
「上條……?」
椿の名前を聞いた途端、村瀬の表情がわずかに変わった。
しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐにいつもの落ち着きを取り戻した。
「宗司、雅がお前のこと探してたぞ。早く戻った方がいいんじゃないか?」
「雅君が? 分かった、すぐに戻ろう」
宮代は椿に向き直ると、少し時間を空けてから道場へ戻るよう、小声で告げた。
そして村瀬とともに、その場を後にした。
一人残された椿は、しばらくの間、林の中で呆然と立ち尽くしていた。




