平成の空
「もうすぐ春が来るね。桜、見られるかな?」
「桜か……そうだな。見られるといいな」
「この辺りは桜の木がいっぱいだから、きっと綺麗だよ」
春の訪れは、もうすぐそこまで迫っていた。
野営の焚き火を前に、二人は肩を寄せ合い、桜が咲いたら一緒に見に行こうと約束を交わした。
彼らと過ごした時間は、決して長いものではなかった。
それでも、彼らの生き様は私にとってかけがえのないものであり、生涯忘れることのできないものとなった。
【勝てば官軍】
そんな言葉を聞いたことがある。
歴史は勝者によって作り上げられ、敗者は歴史の闇へと葬られてしまう。
彼らのことをゲリラ隊だ、犯罪者だと言う人は沢山いる。
だけど私は、彼らが正義と信じ、歩んできた道を否定することはできない。
彼らがいたからこそ、今の私たちの時代があるのだから……。
…………………………………
部屋に朝日が差し込み、鳥のさえずりとともに目が覚めた。
「……また、あの夢?」
夢の中の私は、何故か羽織袴を身にまとっていた。
周囲には軍服姿の男たちが大勢いて、山の中で野営をしていた。
冬の厳しい寒さに耐えながら、焚き火の前で一人の男性に寄り添っている。
まるで誰かの物語を見ているように、私は夢の中の自分を眺めていた。
幸せそうに微笑んでいる自分は、きっとその男性のことが好きなのだろう。
けれど、はっきりしたことは何も分からない。
時間が経つにつれて、夢の記憶は少しずつ薄れてしまう。
それでも、最近は同じ夢ばかり見る。
あの男性は、一体誰なのだろう……。
「いけない! 約束の時間に遅れちゃう!」
椿は慌てて出掛ける準備を済ませると、家を飛び出した。
「椿~~! こっちこっち! 早くしないと試合始まっちゃうよ!」
そう言って遠くから手を振っているのは、クラスメートの由梨だ。
由梨は茶道部に所属しており、着物のよく似合う大和撫子。私もたまに顔を出して、一緒に活動することがある親友だ。
今日はもう一人の親友、真美が出場する剣道の都大会を応援するため、地元の総合体育館までやって来た。
「由梨、ごめんね!」
「大丈夫だよ! 試合はまだ始まってないから、急いで席に行こう!」
総合体育館の二階は観客席になっており、そこから試合を観戦できるようになっている。
インターハイ予選も兼ねた今大会には、残暑の厳しい中、大勢の人々が応援に駆け付けていた。
会場内は熱気に包まれ、女子の準決勝が始まろうとしている。
そんな中、ひときわ大きな黄色い歓声が上がった。
男子の決勝戦に出場する選手たちが、女子の試合を応援するために姿を見せたのだ。
「宗司様~~!」
「きゃ~~! 紫狼様~~!」
まるでアイドルのコンサート会場のような騒ぎである。
歓声の中心にいるのは、我が山村高校剣道部の三年生主将、宮代宗司と、隣の市にある私立松下高校の三年生主将、村瀬紫狼。
二人は男子の決勝戦で対戦する予定であり、幼い頃から同じ道場で鍛錬に励んできた幼なじみでもある。
「凄い人気なんだね?」
「そりゃそうだよ~。椿は授業以外、あまり学校にいないから知らないだろうけど、宮代先輩は学校でも大人気なんだよ」
宮代宗司は身長169センチと、それほど背が高いわけではない。
しかし、素早い身のこなしと技のキレは抜群で、何より面の下に隠れた幼さの残る顔立ちが、まるで王子様のようなのだという。
その強さと可愛らしい容姿のギャップが人気の理由なのだと、由梨は熱心に語った。
「へ~、そうなんだ~」
「そうなんだ~って、椿は興味ないの?」
「う~ん、剣道ってあまりよく知らないんだよね」
「剣道への興味じゃなくて、男のことを聞いてるの! 椿はフィギュア一筋だもんね……今はスケートが恋人ってか?」
そんなんだから彼氏ができないのだと、由梨は嘆いた。
確かに、私はスケートに夢中になるあまり、これまで男性にほとんど興味を持ったことがなかった。
彼氏を作ったところで振り回されるだけだし、正直、面倒くさい。
一緒に練習している男子もいるけれど、恋愛対象として見たことはない。
何度か告白されたこともあったが、結局、誰とも付き合うことはなかった。
「勿体ないよね。椿ってクラスでも人気あるのにさ」
「人気? まさか、そんな訳あるはずないじゃん」
「く~っ! これだから、毎回恋愛相談されてる私が苦労するんだよ」
椿と付き合いたいから仲を取り持ってほしいだの、何をプレゼントしたら喜んでくれるだの、本人ではなく由梨や真美に聞いてくる男子がいるのだという。
そんなことを初めて聞かされた椿は、驚きを隠せなかった。
「えっ! いつそんなことが?」
「ついこの間もね……。面倒くさいから、椿には片想いしてる人がいるって言っておいた」
「片想いって……そんな人いないの知ってるくせに」
「だったら、さっさと彼氏作りなよ~」
とはいえ、誰でもいいという訳ではない。
付き合うのなら、やはり自分が好きになった人がいいと椿は思っていた。
実は、少し気になっている人がいる。
ただし、それは現実の男性ではなく、毎晩のように夢に現れる人物だった。
最近、椿はよく同じ夢を見る。
背が高く、広い背中をした男性。
髪は長く、後ろ姿しか分からない。
それなのに、何故かその姿が忘れられなかった。
「あっ! ほら、女子の試合だよ!」
男子選手たちと入れ違いに、女子選手たちが試合会場へ入場してきた。
その中には、真美の姿もあった。
「真美~! 椿も来てるよ~! 応援してるから頑張ってね~!」
由梨が大きく手を振ると、それに気づいた真美も笑顔で手を振り返した。
「海堂君、あの二人は?」
「宮代先輩、お疲れ様でした! あの二人はクラスメートで、私の親友なんですよ」
応援に駆け付けてくれた親友たちを、嬉しそうに紹介する真美。
宮代は、その二人のことが気になったようだった。
「今、手を振っていたのが久保田由梨。その右隣にいるのが、上條椿っていうんです」
「上條……椿?」
宮代は上條椿という名前を聞いた途端、驚いたように目を見開いた。
何か思い当たることでもあるのだろうか。しかし、その理由は分からない。
「椿がどうかしましたか?」
「……あっ、いや、何でもない。海堂君も頑張れよ」
そう言って宮代は、真美の肩をポンと軽く叩いた。
真美は嬉しそうに返事をすると、試合に向けて気持ちを切り替えた。
一方、観客席では椿と由梨が、試合会場にいる真美の様子を眺めていた。
「あ~、いいな~。真美は宮代先輩と普通に話したりできて」
「由梨には隣のクラスに彼氏がいるじゃん。いいの? そんなこと言っちゃって。彼氏も剣道部だったよね?」
由梨には、中学生の頃から付き合っている彼氏がいる。
三人が同じ高校に進学したのも、実は偶然だった。
由梨は彼氏と同じ高校に通うため、椿はスケートリンクから近いという理由で、真美は剣道部の強豪校だったことから、それぞれ山村高校を志望した。
進学先を選んだ理由は違っていたが、三人とも無事に合格し、こうして同じ高校に通っている。
「いいのいいの~。彼氏は彼氏、先輩は先輩! どっちも応援したらいいんだよ~」
付き合いが長いと、そうなるのか……。
椿は由梨に気づかれないよう、そっとため息をついた。
これまで誰かを本気で好きになったことのない椿には、由梨のそんな感情がよく理解できなかった。
もっとも、椿自身が恋愛に対して悪い印象を持っているわけではない。
椿の両親はとても仲が良く、毎晩、母が父にお酌をしながら楽しそうに話をしている。
幼い頃からそんな両親の姿を見て育った椿は、夫婦とはそういうものなのだと思っていた。




