月の下の休息と届かぬ加護
蘇芳が右の翼を一振りすると、金色の光の粒が巻き起こり、川岸に鮎や鯉などの川魚が色々と跳ね上がって来た。
「うわあ、凄いっ、すお姉、凄い」
蘇芳の技に大いに驚き喜んだ弥太は、上がって来た川魚の全てに、変な暗い影のようなものが纏わりついているのに気付いた。
しかもその暗い影は、何やら蠢いているように見える。
「すお姉、この魚、食べてお腹壊さないの?」
「あら、何でよ。美味しそうじゃない。アタイからしたら、アンタの茄子の方がピカピカし過ぎて、お腹壊しそうよ」
~本文より
滔々と流れる川の流れに沿いながら、弥太は休まずに進んでいた。
辺りはとうに暗くなり、空には六分目くらいの月が輝いている。
水面には、月の雫のような輝きがキラキラと煌めいており、夜の帳の暗さがその美しさをひと際引き立てている。
そんな中、月の容を見て弥太は千吉を思っていた。
千吉、まだ寝ているよね。いい夢見ているかな?
おいら、千吉が起きた時に色々お話できるように頑張るからね。
怖いのぜんぶやっつけたら、起きた時、褒めてくれる?
(弥太は強い子、優しい子。無理はしないで、一休みしましょう)
ふわりと誰かが頭を撫でてくれたような気がして、
「うへへへ」
と弥太は声を上げて笑った。
「ちょっと、いきなり何うすら笑ってんのよ。きもちわるいじゃない」
蘇芳が直ぐ上を飛びながら弥太に当てこする。
「お腹空いたから、少し休もうと思って。すお姉、どう?」
蘇芳は応える前に高く飛んで辺りを旋回すると、一休みするのに程よい岩場を見つけた。
「この先の岩場が良さそうね。あんた、水の中でなくても寝られたりするの? 変な奴がうっかり出てきても、水の中だと上手くできないから、外に居て欲しいんだけど、どうなの?」
かなり、つっけんどんな物言いで、うっかりすると意地悪な物言いに聞こえるのだが、
「うん、おいら、何処でも平気ィ。ありがとッ! すお姉」
と弥太は明るく笑顔でお辞儀した。
弥太は蘇芳から漂う優しくて良い香りで、蘇芳がどういうつもりなのか何となくではあるが、よく分かっていた。
「ふ、ふんっ。そ、外で寝られるのなら、それでいいのよ。ちゃんと見えるところに居なさいよ。あと、お礼なんかイイから」
蘇芳は真っ直ぐな弥太の心根をもろに喰らって、大いに照れていた。
何よ。河童のくせに可愛いじゃない。
まあ、そうじゃないと、弟分になんかしないけどね。
「ここで一休みするわ。アンタ、食べ物は何かある?」
蘇芳は照れ隠しなのかどうなのか分からないが、急に親のような物言いになる。
「うん、これっ」
甲羅の隙間から、丸々とした艶の良い茄子を取り出した。
「瑠璃姫様と大きな龍の神様に貰ったの。すんごく美味しいよ。すお姉、一緒に食べよ」
「気持ちだけ貰っておくわ。青物には興味ないし。アタイ、その辺に居る沢蟹とか川魚とか適当に食べるから」
「おいら、捕ってこようか?」
蘇芳はすかさず勢いよく返事をした。
「自分で捕る。何か、アンタにそんな事させたらいけない気がするし、それにね、ほら」
蘇芳が右の翼を一振りすると、金色の光の粒が巻き起こり、川岸に鮎や鯉などの川魚が色々と跳ね上がって来た。
「うわあ、凄いっ、すお姉、凄い」
蘇芳の技に大いに驚き喜んだ弥太は、上がって来た川魚の全てに、変な暗い影のようなものが纏わりついているのに気付いた。
しかもその暗い影は、何やら蠢いているように見える。
「すお姉、この魚、食べてお腹壊さないの?」
「あら、何でよ。美味しそうじゃない。アタイからしたら、アンタの茄子の方がピカピカし過ぎて、お腹壊しそうよ」
「ええ、凄く美味しいよ。これ」
「まあ、お互いに食べるものは違うのは、当たり前でしょ。それよりほら、さっさと食べて、もう寝るの」
「うん、分かった」
弥太は、頷くと、近くの岩に腰かけて茄子を頬張った。
口の中に広がる紫色の豊潤な味と香りに、舌鼓を連打しながら、蘇芳を見ていた。
蘇芳は川岸に打ち上げられた魚に向けて嘴を開くと、大きく空気ごと吸い込み始めた。
ほどほどの数があった鮒に鯉に鮎等の川魚は、黒い影の部分から始まりその全てが火の粉となって、鱗の一枚さえも残さず、蘇芳の腹へと収まっていた。
「へえ、火ィのこぉにぃしてぇたべるうんだぁ」
もしゃもしゃと極上の茄子を味わいながら、話しかけているのか独り言なのか分からないような言葉を発する弥太へ、
「ほら、其処っ。食べながら喋らないっ」
と、釘をさすのを忘れない蘇芳であった。
弥太が蘇芳という伴連れを得て、三香月山の麓、鯉が淵の集落を目指し始めた其の頃、瑠璃姫と大天狗は、天と地の狭間の繋ぎである願いの大樹に巻き付いた蒼い巨大な龍と邂逅していた。
「主様よ。お久しゅうござりまする。再び相見舞えることが叶うとは思いませなんだ」
瑠璃姫は目の前に天を衝くように伸びる願いの龍樹に恭しくお辞儀をした。
「永劫に近い時を廻らねば許されぬはずの吾を、お救い下さりまっこと望外の喜び成れど、今は火急の折、礼を欠くことお見逃し願い奉りまする」
弥太を探しに動こうとした瑠璃姫を認めた龍樹は、巨大なその姿から溢れ出している神威の如き圧力をさらに強めた。
大天狗は龍樹から溢れる天の神気に当てられ動けずにいるところに、更なる神威の力が加わり、山が上から押し潰そうとしているかのような重さに圧されて、遂には地に突っ伏した。
「ぐっ、こ、これは……何とすれば……小娘……どの」
このままではその身が潰されかねないと大いなる危機を感じた大天狗は、とてつもなく重い圧力に何とか耐えながら、必死の形相で瑠璃姫に助けを求め見つめた。
瑠璃姫は弥太の許にすぐさま向かい、その全てを守り助けるつもりであったのだが、龍樹がそれをならぬと止めている。
その圧倒的な存在を見せつけ神威の一端を振い、瑠璃姫に対しその行いと考えを誡めている。
瑠璃姫は左手で震える右手を抑え、その全てを受け入れた。
「主様……弥太の行く手にはそこまでの……吾の加護を寄せ付けず、山神様や太郎治殿の守りの手すら及ばぬ、更には主様が介添えされるほどの、大きな天意が働いておりまするか……」
眉根に力を入れ小さく嘆息する翳りの有る余りにも美しい表情が、瑠璃姫の心情を大いに表していた。
瑠璃姫は、花飾りをつけた童女姿の天女を二人顕して傍に侍らせ、ふわりと宙に舞い巨大な龍の顔の前に佇んだ。
真っ直ぐに巨大な蒼い龍の澄み切った大きな瞳を見つめながら、
「吾が救われたのは、背負った運命に導かれし、弥太の魂がもたらしてくれたもの。ならばせめて、直にとは申しませぬ故、天意に背かぬくらいに、行く末を案じて些少でも何かさせてはくれませぬか?」
と、切に切に全身全霊をもって語り掛けた。
瑠璃姫から淡い光がきらきらと溢れ出でて辺りを照らし出した。
その光が瑠璃姫の甘やかな声が発する言の葉の韻に容を与えた。
神たる身が全霊をもってかけた言の葉は、辺り一面に甘やかで優しい香りを運び、百花繚乱の花吹雪が如き花弁を辺りに巻き起こし、美しく煌かせる。
巨大な蒼い龍の瞳が頷き、瑠璃姫はホッとした。
そして、今にも息絶えてしまいそうな大天狗に目をやると、
「必ずや思し召しに逆らうようなことは致しませぬ。故に、御許し下さりませ。あれなる大天狗は神ならぬ身。主様が顕現されただけでも大弱りな所に主様の神威がこれ以上加わりますれば、その魂魄まで木っ端微塵に四散するは必定にて、何卒大目に見て頂きたく」
と恭しく言上した。
途端に龍樹から溢れる神気は和らぎ、大天狗は何とか身を起こし、天を衝く巨樹に巻き付く蒼く輝く水の龍に声を掛けた。
「浄玻璃の姫御前を従える天の御柱様、お許しいただき感謝いたしまする。魔縁の者ではござらぬが、金剛身では有りませぬ故、御身の神気に抗えず塵芥になる処でござった」
大天狗は大きくはぁと息を吐いて、胡坐をかくと両の拳と高すぎる鼻の頭を地に擦りつけて龍樹に伏した。
「天地を貫きその間を取り持たれる御柱様。
この荒幡の権大師、天意に背くことなど決して致しませぬ。
しかし、それがしも羽は有っても地に住まうものなれば、大地の御柱様に望まれればこの手を貸すことも御座りまする故、その旨はお許しくださりまするよう、伏してお願い申し上げます。
そして何より、あの小さき河童にはそれがしは大いなる借りが御座ります。
あの者の身にその魂に危急な何かが訪れた際には、身命を賭して手を貸すことをお許し願えませぬでしょうか?」
大天狗は其の赤ら顔が青ざめて見える程、冷や汗をかいていた。
その気になれば大天狗の存在など無かったことにできる遙か高みの存在の、その意に反するかもしれない事を願い立てているのだから、無理もない。
しかし、龍樹はその言に何かすることも無く、静かにその姿を消しその気配を神気ごと持ち去った。
「はぁあぁぁあー」
荒幡の権大師は辺りをギョロ目で見渡して、大天狗らしからぬ間の抜けた安堵の声を漏らし、腰砕けに仰向けに倒れた。
龍樹の巨大な神気はもう無い。願いの大樹も浄玻璃の泉も姿を消し、泉があった所には輝く白砂が辺り一面に広がっていた。
その様相を見て瑠璃姫は、袖でそっと目を覆うと一粒の涙を零した。
「ほんに、ほんにこの日が……吾にこの日が参ろうとは……吾が許される日がこようとはの。弥太よ。全ては主のお蔭だと言うに、な」
天を見上げて溜息を一つついた後、彼方まで広がる産霊の森に目を戻し、
「天意により吾は汝をこの手では助けられぬ。吾の眷属は皆、蒼龍たる主様の眷属でもあり、使えぬ。なれど、まだ手はある。僅かではあるがな」
決意に満ちた表情で弥太が進んでいる方角を見つめていた。
弥太は元気よく進んでいた。
水の流れは清らかで気分よく、不思議とお腹も空いてこない。
美味しい茄子はやっぱりすごい。
疲れなんか吹っ飛ぶし、力も湧いてくる。
蘇芳に、
「アタイが一緒だってこと、忘れるんじゃあ無いわよ。いい?」
と何度も言われているから川床まで潜らずに我慢しているが、本当は声を上げながら跳びはねたり潜ったり水流に乗ったりして、力一杯泳ぎたい気分であった。
何れにしても、ご機嫌な子河童であることこの上もなく、
「そうだよー弥太はぁ強いこぉだあよぉー」
と調子はずれの唄を歌うほどであった。
蘇芳は飛びながら小首をかしげつつ、
「あの子、これから行くところも、これからする事も忘れてんじゃあないの?」
と呟いてしまうほどには元気いっぱいであった。
まあ、めそめそするよりはいいけどさ。
アタイが踏ん張らないとね。お姉ちゃんだから。
決意も固くしているところに、
「あれぇ、すんごくいい香りがする。沢山のお花の甘くていい匂いだぁ。すお姉、何か見える?」
間延びした弥太の元気な声が問いかけてきた。
「ホントにもう、世話の焼ける弟ねっ」
悪し様に言いながらもどことなく嬉し気な蘇芳は、
「春はこれからじゃない、そんなに沢山の花が咲いている訳―― って」
眼下に広がる色とりどりの花が溢れる丘を見つけて驚いた。
「ここにこんなの無かったような気がする……なあにあれ?」
「すお姉、見たいっ見たいっ、どっちに行けばいい?」
水の中から精一杯首を伸ばそうとしている弥太のあどけなさに、
「んーもう、先を急ぐんでしょ。少しだけよ」
蘇芳は目を奪われながらもそれを隠すために、出来るだけ素っ気なく、弥太の甲羅を掴むと優しく花々が咲き誇る丘へそっと下ろした。
「うわぁー、すんごく綺麗、ねえ、ねえ、これもあそこも綺麗でいい匂いしかしないよ。うわぁー」
弥太は綺麗な花を踏まないようにそぞろ歩きをしながら、鼻を拡げて大きく辺り一面に漂う気持ちの良い匂いを一杯に嗅いだ。
「はうわわわー」
小さなしっぽ迄ぷるぷるさせながら、花々の香りと美しさを堪能していると、何処からか楽し気で綺麗な歌声が聞こえて来る。
純和風のハイファンタジー。楽しんで頂けると、めちゃめちゃ嬉しいです。
また是非ご一読ください




