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天衣の向こうに  作者: しきもとえいき


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第6話 白い猫の頼みと命の水

弥太が目を覚ますと辺りはすっかり真っ暗であった。

 とはいえ月はぼんやりとかすみがかって出ているし、夜目も普通にきく河童にとっては、夜の闇など何の問題も無いはずだが、少し離れると薄らぼんやりと風景が闇に溶けてゆく程に暗い。


~本文より

 これだけの騒ぎの大元である肝心の弥太といえば、青く輝く水の珠に守られていた。更に、その珠を巨大な太郎治の緑の手が守るという、念の入った守られっぷりである。


 怪我の心配はおろか、音も聞こえない。見えるものと云えば、碧い水越しの空と、隙間から見える瑠璃の水神様のきらきらしたお顔だけ。何が起きているのかすらわからない。


「瑠璃の水神様ーっ、おいらここにいるよっ。太郎治、聞こえてる? これ何?」


 躰はある程度自由はきくのだが、あまり動けそうにない。珠の壁は柔らかではあるが強くてしなやかでとても抜け出せそうにない。


 碧い水の中で弥太はじたばたするのは止めて周りを眺めることにした。珠の中なのに水が流れ、岩砂が擦りあげるキラキラした音まで聞こえる。隙間からは西に傾きかけたお天道様が投げかけている光の束が水の青を彩る。


 あぁ気持ちいいかも、これ。


 静々と水が、冴え冴えとした水が躰にしみこんでくる。茄子もおなか一杯食べたし、こんなに気持ちいいと……あふぅ。


 水の珠が少し揺れたと思ったら、覆い隠していた緑色の壁がすっかりなくなった。目をまともに開けられない弥太は薄眼で周りを見た。


 あら太郎治が慌てた顔をしている。


 だいじょぉぶだよぉ。おいら、ほらぁへえきぃだってばぁ。少し眠たいだけ……あぁそういえば、せんきちに……あれを……


(弥太は強い子。心配しないで。今はすこしお休み)


 霞んでゆく景色の中、また遠くで優しい声を聴いたような気がした。



 弥太が目を覚ますと辺りはすっかり真っ暗であった。

 とはいえ月はぼんやりとかすみがかって出ているし、夜目も普通にきく河童にとっては、夜の闇など何の問題も無いはずだが、少し離れると薄らぼんやりと風景が闇に溶けてゆく程に暗い。


 躰を起こし辺りを窺う。寝床になっているのはさっきと同じ青い水の珠の中だ。

 この水の中に居ると不思議にすごく安心感がある。瑠璃の水神様はやっぱり凄い。

 あれこれ考えながら、弥太は水の珠から外へ出ようとした。すると、


「仮初めとはいえ外には出ないで。水の中から御覧なさい」


 何処からともなく声がする。いつも気づかない位の声が今ははっきりと聞こえる。聴きたくて聴きたくて求めてやまない、あの優しくて懐かしい物静かな声であった。


 何故だかわからないが、疑問にも思わずその声に従った。その声に従えば問題はないのだ。弥太ははっきりとそれだけは理解していた。


 内側から外を覗いてみる。外はやはり真っ暗だった。闇が濃い。いくら水越しとは言え河童の命でもある見通眼がきかない。ただの暗闇ではなさそうだ。


 しっかりと意識して目を凝らしてみると、少し大きな川べりで雪もすっかりなく、対岸の遠くでは誰かが火を焚いている。焚火の近くにいるのは人のようだ。一人ではないようで何人かいる。


 弥太ははっとした。人間には気を付けなければならない。さんざんぱらいろいろ言われた。やれ生き胆を抜かれるだのやれ干物にされるだのろくでも無い事ばかり。お蔭で、弥太の記憶に人間と会った覚えはないが、すっかり怖い生き物だと思い込んでしまっていた。


 そしてそれは大きな間違いではない。


 ただ人間たちの様子が少しおかしい。なにやら宙空にむかって叫んで、鉄の棒で何も無いところを叩いている。


 何か胸騒ぎがする。ここは良くない処だと身体の中の自分が言ってくる。目に見えるもの耳に聞こえるもの肌で感じるものその全てに嫌な感じだ。弥太は後ずさりをした。


 すると


「俺の呼びかけに応えてわざわざやって来て何びびってやがる。やっとこ繋げた命道だ。ほいほい切られて堪るか」


 何処からか声がする。きょろきょろしていたらまた声がする。


「おい。いい加減にしろよ。俺様の爪で引っ掻くぞ。ここだよここ。下だ」


 弥太が視線を下に向けるとそこには小さくて虎柄の白っぽい猫がいた。


「なんだよ。河童か。しかも小せぇなぁ」


 弥太よりはるかに小さな猫が見下ろされながらあきれ顔で弥太をなじる。


「おい河童。てめぇ大分子供のような、というかまんまガキじゃねえかっ。かなりやばい状況で必死だったのに、何でこの道がこんなオチビ河童に……」


 小さな白っぽい猫は自分もまだ子猫然としたあどけない顔をしているのに随分とした物言いだ。何やら頭を抱えてブツブツ言い始めた。


「いやいや待てよ。ちいせぇ河童とは言えだ。俺の呼びかけに応えて来てんだし、破邪の神水でてめぇの周りを覆い幽世の路に入り込んでくる芸当は、そんじょそこらの物好きの類には出来る事じゃ無ぇ」


 猫は顔を上げ「にゃがっ」と一声鳴いて


「ようしっ、仕方がねぇ。おい小せぇ河童。


 見ての通りだ。やばいんだよ。助けろ。俺だけならどうとでもなるが、ほれっ」


 猫が前足で指し示した方にはさっき見た焚火があり、その周りに人間たちがいる。


「あそこには坊さんと子供らがいる。いいか憶えとけっ。人間の坊さん三人とガキが二人だっ。まだ幼いガキの二人を護ろうと坊主三人が頑張っちゃあいるがもう持たねぇ」


 嫌な感じの風が吹いた。向こう岸の焚火の焔が揺れて少し小さくなる。その拍子に「ぎゃぁあぁ」と若い男の悲鳴がたち、あわせて「おのれっ及ばずかっ」と老齢な男の声に苦鳴が聞こえた。


 白っぽい猫は声のした方へ顔を向け、一瞬にして大きな白い虎へと変化すると雄々しく高々と吼えた。咆哮が辺り全てに鳴り響き空気すら揺らす。


 咆哮に怯むがごとく闇が一歩下がったように見えた。それにあわせて焚火の焔が少し大きくなり明るくなる。


 虎は前を見つめてしばらく低く唸っていたが、弥太に振り返った時には子猫の姿に戻っていた。


「胸糞わりぃ。坊さん二人はもう常世の闇に引っ張られ染まっちまった。せめてガキ二人に坊さん一人は助けたい。俺もこのままじゃ守り切れ無ぇ。だからてめぇが助けに来い河童」


 しばらく呆気に取られていた弥太もようやく自分を取り戻し


「助けにこいって意味が分からないよ。どうすればいいの? おいら」


 猫は踵を返すと焚火の方へ向かい空を走り出しながら告げた。


「いいかっ、七日の内だ。昇るお日様を真っ直ぐ見据えて、三香月山の麓、鯉が淵の集落の先の河原だっ。他に頼りになる奴等をみんな連れて助けに来いっ。七日たった夜が来れば同じことが起きて、今度はみな死んじまう。俺様だけではもう誰も助けられねぇ」


 猫は焚火の向こうへ消えてゆく。


 弥太は猫に向かい手を伸ばしながら


「おいらわからないってばっ」


 と叫ぶ。


「にゃーんっ」と猫の哭く声がした。


 同時に辺り一面はまた白い光に覆われて何も見えなくなる。


 


「わからないよっ」


 弥太は声を発しながら飛び起きた。勢いよく飛び起きたせいで覗き込んでいた大天狗の鼻に激突した。


「ぐぬぬっ」と大天狗が鼻を押さえる。太郎治は葉っぱに乗って弥太の目の前にやってきて心配そうな声を奏でた。


 瑠璃姫は、


「目覚めたか、弥太。まずはよかろ」


 弥太の手をぎゅっと握ると胸を撫で下ろす。


「だから言ったであろうが。寝ておるだけじゃと」


 大天狗は高い鼻をさすりながら言った。

 瑠璃姫はそんな大天狗の言に見向きもせず、弥太に痛いところはないか、辛いところはないかなど幼子を心配する母のようにあれやこれやと聴き尋ねる。

 一通り尋ねて安心して、


「幽世の風と匂いにまみれた眠りなどついぞ聞いたことは無い。誰が呼び寄せたのであろうな、荒幡殿」


 強い視線を荒幡の大天狗に向ける。

 今度は大天狗が瑠璃姫の言を無視して、怖い顔で弥太に話しかける。


「おい子河童。何があったか説明せいっ。貴様が変な匂いをさせて寝てしまったが故に、儂はもう少しで小娘殿に八つ裂きにされるところじゃったわ。あぁ、いやその前にじゃ」


 何かに気づいたらしく、懐をごそごそすると金の横笛を取り出した。


「子河童。いや弥太であったな。お前には助けられた上に迷惑をかけた。この荒幡の権大師受けた恩義に礼を欠くことなど在りはせぬ。これはその礼を容にしたものじゃ。有難く受けとれい」


 大きな突き出された拳に華奢で繊細なつくりの金色の笛が生えていた。


「おいら、何もしてないし、天狗さんに何かされたことも無いよ」


 弥太は首をかしげる。

 大天狗は凄まじい笑顔を浮かべた。


「そうであろう。そうであろう。儂はお前を傷付ける事等何もしておらぬな」


 瑠璃姫に流し眼をして咳払いしながら大天狗は続けた。


「がしかしな。お前は儂についておった穢れを浄めて傷を治した。穢れにつけられた傷はいかなる存在でも容易には治らぬ。知っておるか?」


 身を乗り出して聞いてくる大天狗に対して弥太はふるふると首を横に振った。


「修身修法、古今の神術に通じている儂ですら、秘儀の限りを尽くしても百、いやいや儂ならば十年、本復にかかろうかという傷を容易く治した上に、祓うのではなく浄化し昇解せしめたのじゃ、お前があの穢れを」


 大天狗はにんまりとやっぱり凄い顔で微笑んだ。


「それだけでも天晴れであるところにお前は浄化し昇解せしめたことにより、穢れの源が何なのかを儂等に示した。お陰でやり様も目処も立った。この権大師いくら感謝してもしきれぬ。せめてもの気持ちじゃ、受け取れっ。わが一族の秘宝中の秘宝、いらぬとは言わさぬ」


 大天狗は豪快に言い放つと弥太に笛を押し付けた。そして弥太を睨みつける。


「これはな、『金翅鳥の舞笛』という。持つだけであらゆる害意から持ち主を護る。また振れば疾風金剛、退魔の風に降魔の音をのせて奏でる妙のもの。身を護る術の一つも未だ無いお前には必要であろう」


 云われるがまま笛を見やる。金色の横笛『金翅鳥の舞笛』はピッカピカでとてもいい匂いをしている。 

 最初は少し大きすぎるかもと思ったけど、直ぐに手にしっとりとなじんだ。

 持っているだけで気分が良くなってくる。弥太は折角の笛なのだからと吹こうとしてみた。


 大天狗は弥太の首根っこをぎゅうと押さえながらも意外に優しく喋る。


「これ、容易く吹こうとするな。お主が吹くと何かが起こりそうな気がする。恐ろしいものにあって生命が危険な時に吹け。よいな」


 大天狗がギロリと睨みながら言葉を続けた。


「良いか、弥太。今後は『命の水』を、己以外の他のものに気安く使うのは止めい。『命の水』は自分の命を自分に還して傷を癒す秘術。他のものに施せば命は還らず、それ即ち己が生命を他のものにくれてやるのと同じ。弥太、お前が死んでしまう。故にならぬ、忘れるなよ」


 弥太は、大天狗の顔と言葉に似合わぬ優しさに、あぁやっぱりと得心した。ギョロメの赤鼻で口も大きく怖い顔だけど、優しい心根がずっと見え隠れしているような気がしていたのだ。


 弥太は嬉しくなった。優しい人が沢山増えれば悲しいことはきっと減る。少しでも悲しくて苦しいことが無くなれば。あの時のような苦しいのが無くなって行けばいいなぁ。


 あの時って? 苦しいのって、なんだっけ。


 ギュンと胸が疼く。

 何かを思い出しかけて胸が痛くなる。そう、あの時のあの――助けて欲しかったことを。

 息が苦しい。

 頭がズキンズキンと痛む。

 弥太は蠢く闇をいつの間にか見ていた。ねばねばしていて息もできない真っ暗な闇。


(振り向かないで。ほら前を向いて。しっかりと見る)


 優しい風が弥太の周りをふわりとまわる。

 弥太ははっとした。


「これっ、聴いておるのかっ」


 大天狗が怖い顔して弥太を覗き込んでいた。

 あぁそうだ。おいらはここにいたと大天狗の怖い顔に驚きながらも弥太はホッとした。

 瑠璃姫は弥太を庇うように抱き寄せて、


「大天狗なのか悪鬼なのか分別の付きにくい面構えで迫られて、驚くなというのが無理であろ。ただ少しばかり急がねばならぬようでな。弥太、今あったこと、主が感じたこと、全て語りとおせ。よいであろ」


 その綺麗な瞳で目を真っ直ぐに覗き込みながら話す。

 櫻の花ですら赤面し色濃く染まりそうな艶やかさを備えて。


 大きくコクコクと頷く弥太。頷くこと以外できなかった。弥太も男の子である。

 大天狗は歯噛みしながら高下駄を踏み鳴らし、目を見開き呟く。


「こずるい小娘めっ。儂を出汁にしよって」


 ふんっと鼻を鳴らして大天狗はどっかりと胡坐をかいた。


次回、なかよしが好きなコガッパの思いが千々乱れます。


此処まで読んで頂きありがとうございます。

また是非、お付き合いください。

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