第5話 大天狗と子河童と大地の詞
瑠璃姫は天狗の顔を見、眉をひそめて、
「あれはの、荒幡嶽の大天狗じゃ。吾とは相容れぬ乱暴者の礼儀知らず。主も気を付けると良い」
言い放つ。その言葉に気圧された弥太に、
「怖い? 齧られる?」
と真顔で訊かれ、
「気に入らぬものではあるが、大天狗と云われるだけのことはある。魔縁のものではない故そこは安心してもよかろ」
~本文より
楽しい時間は早く過ぎるものと相場は決まっており、人ならぬ身もそれは変わらない。
「無粋者めらが。弥太との楽しい語らいを、がなり声で邪魔するとは。恐れを知らぬものよ」
瑠璃姫は水面を少し睨めつけ、ほうと溜息をついて優し気に声をかけて、
「弥太、主の迎えが来た。しかし、な」
弥太の頭をそっと撫でる。
「主は直ぐに戻れぬやもしれぬ。でも心配はいらぬぞ。主には吾がいる。また山神様の御一党に主の大事な千吉殿も何れ目を覚まし駆けつけよう。よいな、忘れるでない」
弥太は、瑠璃姫の物言いがよくわからないが、なにか良くないことがありそうだと予感した。なので
「おいら、すぐ戻れなくても平気だよ」
瑠璃の水神様に心配をかけてはいけないと精一杯強がって見せる。怖がりの弥太はぎゅっと拳を握りながらそう言った。
瑠璃姫は目に優しい光を灯すと横たわる巨樹のうろを見やりながら
「吾は果報者じゃ。ほんにありがたきこと」
と呟き、ふうと息を吹きかけて水玉を作る。その水玉に泉の畔の風景が映し出された。
そこにはふわふわ飛んでいる葉っぱの上にいつもの真面目顔をした太郎治がいた。太郎治の隣に何やら大きい人影が見える。赤ら顔にそれは大きい見事な鼻。ぎょろりとした眼で辺りを睨めつける様な表情。天狗だ。
瑠璃姫は天狗の顔を見、眉をひそめて、
「あれはの、荒幡嶽の大天狗じゃ。吾とは相容れぬ乱暴者の礼儀知らず。主も気を付けると良い」
言い放つ。その言葉に気圧された弥太に、
「怖い? 齧られる?」
と真顔で訊かれ、
「気に入らぬものではあるが、大天狗と云われるだけのことはある。魔縁のものではない故そこは安心してもよかろ」
瑠璃姫は微笑み乍ら答えると、弥太の手を取り立ち上がる。冽とした碧き水が輝きながら身の回りを包み込み神々しさが溢れ出してくる。
「色々とせねばなるまい。参るぞ、弥太」
弥太は、相槌を打つ暇もなく瑠璃姫に手を引かれて水面へ出たと思ったら、二本の足で水面にすっくと立っていた。
水面に立つなんてことは河童の弥太をしても初めての体験で、驚いて目を丸くしている。あわあわして声をあげそうになり、それを何とか我慢して嘴をぎゅっと嚙んで泉の畔を見た。
風も無いのにゆらゆらと風に吹かれるように舞っている葉っぱがある。その葉っぱの上には見慣れた真面目顔の太郎治がいて、その横に薄墨色の着物を着た赤ら顔の大天狗がいる。矢張り目がぎょろっとして少し怖い。
「遥々ご苦労、太郎治殿。思うたより早かったの。それと権大師荒幡殿、久しいな。見栄が誇りの大天狗が情けない姿で吾の前に現れるとは。また叱られにでも参ったか?」
太郎治の真面目な顔はとても固くなっていた。かなりかしこまっている。
荒幡殿と言われた、赤ら顔にぎょろ目の大天狗は精悍な顔つきに凄味の効いた雰囲気を纏っている。腕を組みながら仁王立ちしているその姿は見るものに畏怖すら覚えさせる。ただ衣は所々裂け、手傷も負っており血も薄っすら滲んで只事ではない。
ふんっと鼻を鳴らし瑠璃姫から顔をそむけると、視線すら合わさず、
「相も変わらずの高飛車な物言い痛み入る。儂や儂の眷族のみであれば、わざわざここまで腹の足しにもならぬ小娘様の言葉を頂戴することなど必要無き事なれど、此度ばかりはしょうがない。小娘様のお力添えを願う」
怪我など意に介していないらしく、大天狗は一息に言上して、眉をひそめてまたまたふんっと鼻を鳴らす。
弥太は大天狗の言い回しにハラハラしていた。瑠璃の水神様が怒るか悲しむかもしれない。瑠璃姫の顔を恐る恐る見上げた。
「これはこれは見事な賢慮の口上、承りました。では吾の力で荒幡殿の今生への未練、きれいさっぱり跡も残さず浄めて差し上げ、心残りなく常世へ送って差し上げよう程に。それがお望みであろ」
瑠璃の水神様が言っていることはよく解らないが、矢張り怒っているのだろうか。何か言い方が怖い。ただ顔はにこやかなままだし怒っているようには全くもって見えない。
みんな本当は仲良しになれる。というか実は仲良しなのに何で自分の声を無視してわざわざ怖くするのか。みんな自分の声を聴けばいいのに。
弥太には意地の張り合いということなど思いも付かないのだ。ただただみんなが仲よくすることを願うだけ。
太郎治はそんな弥太を見てこくりと頷くと、葉っぱの上から飛び降りて片膝をつき瑠璃姫に額ずき、笛の音の調べのように語り始める。
瑠璃姫も外方を向いていた大天狗の荒幡殿も驚いた様子で太郎治を見た。
大天狗はひそひそ声で
「こ、これ太郎治殿っ。加勢はありがたいがお主の言はな……」
瑠璃姫は得意げな顔で
「事もあろうに太郎治殿に口上の助けを求めようとは。太郎治殿の言は大地の言。山神様以外聞き取れぬ。大分耄碌されたようだの。荒幡殿」
ころころとしかし少し棘ある笑い声をたて大天狗に放った。おのれしてやられたというような顔を大天狗がした丁度その時、
「うんうん。わかった。おいらが伝えるよ。瑠璃の水神様と大天狗さんに? 大丈夫」
弥太が太郎治と話しているのを、大天狗は驚愕の表情で、瑠璃姫は大輪の華を咲かせた満面の笑顔で、それぞれ見ていた。
「子河童っ、貴様は――何者じゃ」
「弥太。主は流石よな」
大天狗も瑠璃姫も感嘆感心一入で弥太を見た。太郎治は産霊の森の運び手で守り手。神域の気が凝った云わば神というか精霊というか、神域の森そのものの意思を集め形にした存在。大地と森の申し子で自然そのものと言っていい。その自然と対話出来うるものは正しく神であり、太郎治と話せるのは神域の守護神である山神様のみであった。今までは。
「瑠璃の水神様、荒幡嶽の大天狗さんに……太郎治ごんじょーつかいまります。姫さまにおかれましらは、かなぶんに……えっと、太郎治、難しいよ。もっとわかり易い言葉で……うん。わかった」
弥太は太郎治の話をたどたどしく伝える。太郎治の言っていることは分かるのだが言い回しが難しく理解できず上手く伝えられない。
大天狗はどっかと腰を下ろし神妙な顔つきで、瑠璃姫は嬉し気な微笑みを浮かべて弥太が伝える太郎治の言に耳を傾ける。
「太郎治がやすい言葉でごめんなさいって。この先の人里が例の黒くて怖いものに襲われました。それで大天狗さんが仲間と皆で人さとを護りました。天狗さんに怪我したものが沢山出ました。今回は護れましたが次はもう護れません。人が黒くなると国中が黒いもので溢れてしまうかもしれません。瑠璃姫様のお力添えをいただきます。ちがう? えっと、ごちそうさま? ちがう? ええっとぉ……お終い」
弥太は片手で拝むようにしてぺこりと頭を下げた。
しばらくの沈黙の後、肩が震えていた大天狗が我慢しきれず、谺する程の大声でがははと笑った。瑠璃姫は満足気に微笑みを浮かべて頷いていた。太郎治は生真面目な真っ直ぐな目で弥太を見上げていた。
弥太は瑠璃の水神様と大天狗さんが笑っているのを見てホッと胸を撫で下ろす。もう変な嫌な感じにはならなそうだ。
面白そうに嬉しそうに大天狗さんも瑠璃の水神様も笑っているので、つられて弥太も笑った。ただ何がそんなに可笑しいのか見当すらついていない。
瑠璃姫が弥太の手を引いて太郎治と大天狗の前まで進み出る。
「委細は承知した。荒幡殿に太郎治殿」
太郎治は片膝をついたまま頭を下げ、荒幡嶽の大天狗も居住まいを正して坐した。
「再び黒い災禍が沸き起ころうとは。残滓で在っても荒幡嶽の権大師殿に手傷を負わす程のもの。迂闊には立ちまわれぬな」
大天狗はぐっと身を乗り出し、
「故にじゃ、取りも直さずここへ来たのは。先の大祓えで彼奴等の大部分は祓えた。此度のことは残りの奴等を根絶やしにする絶好の機会でもある。あ奴等の中には瑠璃姫殿、お探しの核たる者らしき姿もあった。儂もあらん限りの力の全てを尽くす。ゆえにゆえに伏して合力を願う。この通りじゃ」
坐したまま両の掌をついて頭を下げる。誇り高き天狗の長がまさかの臣従に近い礼を尽くしたのだ。
「ほう、そこまでの……」
驚く瑠璃の水神様の手が離れた瞬間、弥太は水神様にぺこりと頭を下げて水に溶けたかと思うと、すいっと太郎治と大天狗の前へやってきた。
初めから見ていてずっと気になって仕方なかったのだ。
傷は深くなさそうだが黒いものが傷の近くを行ったり来たりしている。
あの傷は早く何とかしたほうがいい。
そしてとうとう口から水鉄砲よろしく勢いのいい大量の水を大天狗に吹きかけた。
全くの不意を突かれた大天狗は避ける間も無く全身に水を浴びた。
その瞬間じゅっという音と共に白い湯気が一斉に躰中から立ち昇る。
その湯気の量も尋常ではなく、巨大な湯柱をあげてその湯柱が散じて霧のように広く周りを覆い、一瞬にして大天狗が溶けてしまったのかと思う程であった。
たちまちにして大天狗の姿が真っ白く覆われて見えなくなる。
「かあっ!」
裂帛の気合が大天狗から発せられた。
雷が落ちてきたかのような轟音と共に周りの空気がビリビリと揺れ、大天狗を中心に強い風が巻き起こり渦巻いて辺りをびょうびょうと樹々は勿論のこと水面まで激しく揺らす。
降り積もっていた雪が舞い上がり飛礫となって、樹々にばしばしと襲い掛かる。
強い音を立てて枝葉を折り散らし、幹を砕き倒してゆく。
「荒幡殿。そろそろ収めるがよかろ。これ以上過ぎれば、吾の権能、主の血肉どころかその魂魄にまで披露いたそう程に」
髪の毛一筋すら乱さず瑠璃姫が凛と言い放つ。
轟轟とした風すら気にも留めずその声は辺りに静かにしっかりと響き渡る。
ひょぉと一陣の風が吹き抜けて、大風の渦は止んだ。
大天狗といえばぎょろりと周りを睨みつけている。
きっと引き結んだその口からは焔すら吹き出しそうな面構えだ。
その躰から立ち昇っていた湯気の大半は四散して数条の細い煙となっていた。
瑠璃姫は大天狗をねめつけている。怒りこそ感じないが、その瞳には見るものを畏怖させる厳しい光がある。
その意に添うようにゆらゆらと辺りが碧い光に包まれはじめてゆく。
ざぁっと風のように岩陰や雪庇の下から黒い影のような陰気の凝ったもの達が光に焼かれ、消滅しない様に逃げ出してゆく。
太郎治は困ったような顔で葉っぱにのりゆらゆら宙を漂っていた。
ただ太郎治のすぐ後ろに、大小様々な何千何万の蔦や蔓、茨が大地を割って蠢き、緑色の巨大な腕を六本も紡ぎだしていた。今すぐにでも戦に臨める姿で六本それぞれが合図を待っている。
あるものは大岩くらい砕いて粉々にしてしまいそうな重厚な拳を握り、あるものは巨大な槍とも見紛う棘をびっしりと生やした掌を開き、あるものは指先が鋭く尖った杭となって、大天狗を狙いすましている。
巨大な緑の腕のその全ては太郎治の腕であり太郎治をしてその形を成している。樹々や草花の植物の全ては太郎治の眷族であり、意志であり、躰でもある。太郎治が杜の運び手たる所以である。
瑠璃姫と太郎治の両方からの自分に対するその様を見た大天狗、荒幡嶽の権大師は面白くて仕方ないという表情で、からからと大声で笑った。
「争うつもりなど寸毫も無い。まずは静かに考えよ。いや考えずとも自明の理じゃ。天狗である儂が浄玻璃の降魔の金剛水をいきなり浴びるのはちときつい。年甲斐も無く慌ててしまうは無理からぬ事であろう。理解と許しを賜りたい」
大天狗は通力の源でもある羽団扇を地面に置くと、両の拳をつき深々と頭を下げた。一度ならず二度までも大天狗が手をつき頭を下げた。何よりも誇りを尊ぶ天狗の長が二度までも。
「ふむ」
瑠璃姫は得心し頷く。
太郎治はひと節謡った。
青い光はふわっと消え、蔓や蔦は地面の中に戻ってゆく
次回もまた、ご一読ください。
ここまでおつきあい有難うございます。




