第3話 白い鷹と不思議な泉
『穢れ』は生きているものを否定する。
命と生の営み全てを否とする道理など現世は勿論常世にも無い。
世の摂理から外れ過ぎているのだ。だから『穢れ』と皆が恐れる。
太郎治は『穢れ』のことを樹霊に言付けし山神様の元へ急ぎ疾らせると、弥太を探し出すためにすぐに飛び立ってきた。
~本文より
太郎治は、大事なお預かり様である弥太を探して飛んでいた。
燕の影の如く目にも追えない速さで飛ぶ葉っぱの上で、植物にしか聞こえない音色で語り掛けながら、弥太がいないかを尋ねて回る。
全ての草樹は太郎治の眷族である。
眷族たちは太郎治のその意に添って問いかけにあるがまま答える。
野に咲く小さな草花も齢千年をこえる大樹も、全てが太郎治の味方であり、目であり耳。
山神様のお導きにより間違いなく後を追っている。弥太の姿を捉えるなど容易いことの筈であった。
が、弥太のすぐ傍まで来ていたというのに、折悪しく弥太は魚たちにつつかれ、逃げ惑った結果、太郎治の目の届かない水の中の大岩の陰に隠れてしまっていた。
そのため太郎治は、とうとう弥太には気付けず、その水面を通り過ぎてしまっていたのだ。杜の運び手である太郎治も水の中は火の次に苦手とするところであった。
苦手なればこそしっかりと目配りをと思うのだが、やはりどことなく気が散ってしまい見落としがちになってしまう。
水面すれすれを飛び、弥太を探して下流へと向かう太郎治の表情は曇っていた。
その顔は強張っている。
先ほど、下流の大樹の森の遥か向こう側に黒い煤のようなものが立ちのぼっているのを見て取った。
あれは『穢れ』だ。太郎治が見紛う筈も無い。
『穢れ』が魂魄を汚し生気を喰らって啜るときに出る黒いものが、煤のようにあるいは煙のように立ちのぼっているのだ。
黒い煤は生命の活力に惹かれるように流れてゆき、その活力の源である憐れな獲物の魂魄と其の身を汚し、見るも無残な『穢れ』にして仲間を増やし、全てを灰色の淵に追いやろうとする。
『穢れ』は生きているものを否定する。
命と生の営み全てを否とする道理など現世は勿論常世にも無い。
世の摂理から外れ過ぎているのだ。だから『穢れ』と皆が恐れる。
太郎治は『穢れ』のことを樹霊に言付けし山神様の元へ急ぎ疾らせると、弥太を探し出すためにすぐに飛び立ってきた。
先の大祓いの時には沢山のもの達がその命を散らした。あるものは躰を捻られ引き裂かれ、あるものは生きながら頭から齧られた。無残な終わりではあるがそれらは至極真っ当なまだましな終わり方でもあった。
最も酷いのは『穢れ』に付け入られて『穢れ』に変容してしまうことだ。魂のほんの少しの綻びから入り込みいつの間にか真っ黒に染めあげ、新たなる『穢れ』へと仕立て上げる。
異形になったものの中には、生まれた時から共に居たものも、まだ幼く、これから育ってゆくべきものもいた。強いものや純粋無垢なもの達も大勢いた。『穢れ』になればもう元には戻せない。終わりの安寧を降すのみ。
太郎治は、守るはずだったものを己が手で粉々に打ち砕いたあの感触を片時も忘れたことはない。
『穢れ』は無垢なもの純粋なもので活力に満ちたものを特に好む。
そういうものの魂を傷付け穢れに変容させてしまうことを特に好むのだ。
活力ある幼きものは餌食にしやすい。
また幼きものを穢れにすれば、明日へ繋ぐ力をそぎ落とすことになることをも十二分に知っている。
だからこそ太郎治は急ぐ。
弥太は純粋過ぎて活力にあふれている。恰好の的だ。
誓いにかけて、拳を握る。
生命の輝きを汚されないために。
『穢れ』には葉脈の一筋すら奪わせない。
守り手たる己が役目を果たすのみ。
無垢なるものに安らぎを与えよ。
あらゆる生命に息吹と活力を与え育む『産霊の森』の運び手である太郎治の、決して揺らぐ事の無い心組みであった。
「い・や・だぁぁー怖いっ」
弥太は上空を滑空する大鷹の足元で喚いた。
甲羅をがっちりと鋭くて頑丈そうな爪で掴まれて身動きが取れない。手足をバタバタさせてみるものの届きもしないし、鷹も慣れたものなのだろう。一瞥だにしない。
弥太は攫われていた。真っ白の大きい鷹に。
照り付けるお日様の光を睨みながら弥太は喚いた。
「戻してよっ。おいら美味しくないよっ」
「おいらには山神様とか千吉とか太郎治とか凄い知り合いがいるんだよ。何か願い事があるんなら聞いてあげるから戻してっ」
などと、このままだと食べられてしまうと想い、弥太は必死に説得を試みていた。
いつもであれば手足や躰を伸ばしたり縮めたり、甲羅の中にある程度隠れたりできるが、今は身体中がピリピリしていて思うように動かない。
眼下には深い森の樹々のてっぺんしか見えず、先程までいた川の痕跡などこれっぽちも無く、もう何処なのかすら見当もつかない。
深みから川面に出て、お日様の煌めきを感じながら瀧をどう上がろうか考えていたところに、ガツンと背中の甲羅に衝撃を感じたと思ったらいきなり空へと舞いあがったのだ。
何が起きたのかすら見当も付かなかった。
キュイーと高く一声啼くと鷹は更に高く空へと舞いあがる。しっかりと弥太を捕まえたまま。弥太が手足をバタバタさせてもやっぱり全く意に介する風も無い。迷いなく羽ばたく。
今よりも遥かなる昔、一羽の鷹がいた。
その鷹は空高く飛んでゆくことが大好きだった。
何よりも好きだったのが抜ける様な青い空を、遠い遠い彼方まで、高きにみえる白い雲のその上を目指してゆくこと。
翼を力強く振るい風に乗って飛んでいた鷹はある日傷つき地に落ちた。
もうその翼に舞いあがる力は残されておらず、せめてもと樹の幹を支えとしながら空を見上げては飛びたいと願うだけだった。
とうとう動くことさえままならなくなり、空へただ空へと願い思う鷹の魂は、いつしかその躰を離れて高く空を舞った。
鷹の魂は疲れを知らず高く高く空を舞った。
日の光が、月光が、星の光が、稲妻が、雨の輝きが、その魂を幾度も照らし、休むことなく延々と飛び続けるその鷹の魂は、ついには光と共に常にあるようになった。
その姿に憐れみと感動を覚えた山神様は、光が鷹の魂と結びつき魂と翼が再びその形を成すように取り計らった。
鷹は再び形を得て前よりも力強い翼を手に入れた。何物にも遮られずどこまでも高く力強く飛んでゆける光輝く真っ白な翼を。
山神様に再び形ある翼を貰ったその鷹は以来神域一帯を己が根城とし、誰に言われた訳でも無いのに、空から神域を護る神の鷹となっていた。
「さっきから何度も言ってるけど、おいら悪い化けものじゃないってば」
びょおびょおと切る風の勢いに負けず、弥太は精一杯白い大鷹を説き伏せようとしている処に、キュチチキュチチと囀りながら、見たことのあるモズのつがいが飛んできた。
大鷹と弥太の周りを面白そうに小気味良く飛ぶ。
「ああっ、山神様のところで見たっ。良かった、お願い。おいらを山神様の所で見たってことを伝えて」
モズのつがいは首をかしげながらも弥太の言葉を聴きいれたのか「キュピキュピー」と鷹に向かって囀る。白い大鷹は不機嫌そうに「キェー」と一声発すると高い空から地上へと下り始めた。
弥太は泉の中にいた。
放り込まれた、と言うのが正しいかもしれない。
流れはなく、畔は樹々にぐるりと縁取られている。
千丈の瀧の近くの深くて大きな川の筈が、深くなくそんなに大きくも無い泉にすり替わった。
しかも泉の上では白い大鷹が悠然と舞っている。瞬きをしている間の出来事だ。
水がここの在り様を伝えてくれる。
でも何故泉に?
ついさっきまで、あの白い大鷹に攫われ、空を飛んでいた。
モズたちが何かを伝えたら、鷹は地上へ下り始めた。それなのに、気が付けばこの泉の中だ。
皿のふちをぴしゃんと叩く。
流されたわけでも、千丈の瀧から落ちたわけでもない。どうして此処へ放り込まれたのだろう。
水の陰すら映し出す、冽と冴えわたる青き水。
一点の澱みもない清浄すぎるその水は、柔らかな日の光で水の青を更に引き立て、見た目にも美しく、陰影を鮮やかに澄み渡らせる。
泉の真ん中、水底にどんと横たわる巨樹の根っ子辺りから滾々と水が湧き出ている。
水枯れなどには無縁そうだ。
弥太はその巨樹の上に腰かけ、澄み渡った青色の水に煌めくお日様を見上げながらぼんやりと考えていた。
たゆたゆと風に揺られてさざ波がおき、そのさざ波が点てる波紋が光の帯となり水面を飾る。
いつもの弥太なら「ほう」とか「はう」とか言いそうな情景だが、違うことで頭がいっぱいで目に入らない。
弥太は目いっぱい考えている。
どうやって帰るか。ここがどこでどちらに向かえばあの森へ帰れるのか。
元々が千吉との旅の途中で招かれた勝手すら判らない土地であり、この辺りのことは何も知らない。
どんな処で何があるのか、どちらへ向かえばいいのかすら知る術がない。
水に尋ねてみようとしても、此処の水はよそよそしく綺麗すぎて何も応えてくれない。
弥太が中にいることすら嫌がっているかのようだ。そんな水の中に居るせいか勘も働かず、何かと助けてくれるあの不思議な感じも全くやってこない。
弥太は困った。どうすればいいのか。
そして今、空とお日様を水面越しに眺めている。
千吉が言っていた。どうしても困ったことがあれば空を眺めて一生懸命考えろと。
それでもダメでどうしようもなければ『てんいをとえ』と唱えろと。
よく意味は分からないが千吉が言うことに間違いがあるわけがない。だって千吉だからだ。
「テンイヲトエ」
神聖な呪文のように厳かに弥太は唱えた。勿論意味など考えていない。
ただ唱えれば何かが起こるだろうと弥太は身構えていたが何も起こらない。
言い方が悪かったのだろうか。あれこれと考えて試してみる。
「テェンイーヲトエッ、て・ん・いを・とええっ」
声色をいくら変えて言い方をいくら変えても何か起こるわけでも無く、弥太はうなだれてしまった。
とっておきと固く信じ込んでいた呪文が役に立たず、どこに向かえば良いかすら分からない。
そもそもお腹が空いて何か食べたいと思っただけなのに、今こんなところにいるのだ。
「ねぇ、てんいをとえ、おいらどうすればいいんだろう。千吉、起きてくれないかな。おいら一杯困っているよ」
空を見上げたまま思いが言葉に乗る。
「ぶふーぅ」
弥太は口から息というか泡を吐いた。口を開けたまま水面を見上げる。
泉の水が舌の上に流れ込む。ここの泉の水はよそよそしいが味は抜群にいい。
甘みがあって爽やかではっきりとしている。しかし水だけではお腹は一杯にならない。
ここの泉の水が美味いばかりに、お腹が空いていることをすっかり思い出してしまったのだから余計だ。
弥太は力なく口ずさむ。
「お腹空いたよー元気な子ぉー」
「なんだ、童っ子。腹が空いておるのか?」
いきなり誰もいないはずの隣から声をかけられ、弥太はびっくりして
「うひゃぁっ」
と変な声を出して飛び上がった。
やはり河童である。水の中であるのに電光石火の目にも留まらない速い動きで、巨樹の下に腹這いに潜り込んだ。
「なあにっ、今の?」
目を見張っているといきなり目の前に、
「今度はかくれおにか? お腹空いたと云うたと思ったら、忙しい童っ子だ」
と、頬杖をついてニコニコしている女の子の顔があった。黒髪が長く、瞳の大きな綺麗な女の子だ。
次回、不思議な女の子とのやり取りを描きます。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
また是非ご一読ください。
少々長めですが、お付き合いくださいませ。




