↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天衣の向こうに  作者: しきもとえいき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/17

第14話 氷の花を掌に

ぴしり。


 女の子の指の間から、蒼い光が漏れた。

 それは光にしては細すぎて、傷口にしては透き通りすぎている。薄い氷に入った罅のようなものが、手の甲から手首へと走っていた。


「あっ、割れちゃうっ」


「見るな」


 女の子は手を隠した。


~本文より

 

「何もしてほしくない。お前に出来ることなんかない」


 白い女の子はそう言って、顔を背けた。

 言葉は冷たい。吹き抜ける風よりもずっと冷たい。

 弥太は嘴を小さく尖らせたが、それでも女の子の胸を押さえた手を見ていた。


「でも、おいらを連れて来たよ」


「うるさい」


「うん……」


 言われた通り黙ってみた。


 すると、氷の粒の擦れる音がよく聞こえた。さらさら、しゃらしゃら。

 女の子の周りにだけ、少し違う音が混じっている。


 ぴしり。


 女の子の指の間から、蒼い光が漏れた。

 それは光にしては細すぎて、傷口にしては透き通りすぎている。薄い氷に入った罅のようなものが、手の甲から手首へと走っていた。


「あっ、割れちゃうっ」


「見るな」


 女の子は手を隠した。


 その途端、足元にいた雪の結晶がひょょょうと細い音を立て、躰ごと傾いた女の子を支えるように浮き上がった。

 弥太は思わず両手を伸ばした。


 触ると凍る。

 さっきは怖くて、もう絶対触られたくないと思っていたのに、そのことを思い出したのは手を伸ばしてからであった。


「触るなっ」


 女の子の声で、弥太はぴたりと止まった。


「お前まで砕ける」


「……おいらも?」


 女の子は答えない。

 息をする度に、白い髪の先が細かな氷となって舞い落ちる。

 それを結晶たちが拾おうとして、忙しなく行ったり来たりしていた。

 弥太はどんぐり眼をぱちぱちさせた。


 この女の子は、おいらを凍らせたかった。

 でも、砕けるのはだめらしい。

 何だかよく分からない。

 分からないが、痛そうなことだけはよく分かった。


「おいらの水、少し使ってみる?」


「水は要らない」


「うん。でも、普通の水じゃないんだよ。痛いところに、ちょっとだけ」


「温かいものは嫌いだ」


 弥太は頭の命皿に手をやりかけた。

 そこには彩櫻姫の花びらが浮かんでいる。甘く温かな香りが、寒さから弥太を守ってくれていた。


 おいらには気持ちがいい。

 でも、この子には違うのかな。


 弥太は少し考えた。


 千吉と川で遊ぶとき、浅いところの水が温んでいると、冷たい流れの下へ潜ることがある。

  底の水はひんやりしていて、頬っぺたがきゅっとするくらい気持ちよかった。


 あの水なら、嫌ではないかもしれない。


「じゃあ、冷たいのにするね」


 弥太は掌を上に向けた。

 命皿の水を掬うつもりだったのに、皿の縁から細い流れがするりと伸び、右手に小さな水の珠を作った。


「はえ?」


 自分で驚いている。

 水の珠は落ちずに、ぷるぷると掌の上で震えていた。


 桜の花びらは命皿に残ったままだ。水の珠には甘い香りも、花の色もない。ただ澄んで、女の子の蒼い光を映している。

 女の子がじっとその水を見た。


「……凍るぞ」


「うん。凍っていいよ。おいらの手まで凍るのは、ちょっと嫌だけど」


 弱気なことを言いながらも、弥太は手を引かなかった。

 結晶の一つが、その掌へそっと近付いた。

 水の表が薄く白くなり、小さな氷の縁が出来る。弥太がびくりとしたのを見て、結晶は慌てたように離れた。


「あ、大丈夫。まだ痛くないよ」


 弥太が笑うと、結晶は女の子を振り返った。

 何も言わない女の子の代わりに、もう一度、小さく光る。


 頼む。

 その煌めきは、弥太にはそう聞こえた。


「うん。やってみる」


 女の子は唇を結んでいたが、やがて胸元から手を離した。

 細い罅が、透き通った肌の奥まで走っていた。

 弥太の笑顔が消えた。

 壊れかけた氷の下で、何かが必死に揺れている。

 消えそうで、消えまいとして、それでも少しずつ零れ落ちている。

 強い寒さはそこから出ていた。

 冷たくしようとしているのではない。

 留めようとして、留められないのだ。


「ここ、だよね」


「少しだけだ。それ以上近付くな」


「うん」


 弥太は両手で水の珠を支え、女の子の手首へそっと寄せた。


 ぴしっ。


 水はたちまち凍り付いた。


「ひゃっ」


 指先が痛い。怖い。逃げたい。


 でも、手を離したら、この子の中の光まで落ちてしまうような気がした。

 弥太は嘴をきゅっと結んだ。


 治って。痛いの、止まって。

 怖いから、早く治って。


 そんな、いかにも弥太らしい願いであった。

 凍った水は、女の子の手首に薄い膜を作った。

 その下で蒼い光が揺れ、流れ出ようとしていた冷気が、ゆっくりと内側へ戻ってゆく。

 弥太の指先から、痛みが薄れた。


 女の子が息を止めている。

 結晶たちも、誰一つ動かない。

 やがて細い罅の一つが、音もなく閉じた。


「あ、くっついたぁ」


 弥太の声に、女の子ははっとして自分の手を見た。

 罅はまだ幾つもあるが、そこから光が零れ落ちることはもうなかった。


「もうちょっと、いい?」


 女の子は黙っていた。

 その手を引かなかったので、弥太はもう一つ、水の珠を作った。

 今度は少しだけ上手に出来た。


 薄い氷が重なる度、罅の奥にあった光は落ち着いてゆく。

 弥太は夢中でそれを見つめ、女の子もまた、弥太の掌を見つめていた。

 女の子の胸元に残った罅だけは、中々閉じなかった。

 水を寄せると、そこだけが強く光る。

 凍った薄膜の下で、冷気が行き場を失ったように渦巻いていた。

 弥太は慌てて手を止めた。


「痛い?」


「……少し」


 初めて、女の子がそう答えた。

 弥太は困った。治そうとしているのに痛くするのでは、何をしているのか分からない。

 水を増やせばいいのだろうか。もっと冷たくすればいいのだろうか。

 考えると、命皿の縁がむずむずした。


 こういうとき、千吉なら何と言うかな。


 弥太は、川底の大きな石を思い浮かべた。

 石の下にも水は通る。急いで潜ろうとすると躰をぶつけるが、流れの通るところをよく見れば、小さな弥太でもするりと抜けられる。


 塞いでしまったから、苦しいのかな。


「ここ、流れたいんだねぇ」


 何が、と女の子が聞くより先に、弥太は水の珠を少し引いた。

 押さえ込むのではなく、罅の縁に沿わせる。

 薄い氷の下に、細い水の道が出来た。

 蒼い光がそこを通って、胸の奥へゆっくりと戻ってゆく。


 女の子の肩から、力が抜けた。


「あ、これなら痛くない?」


 小さな頷きが一つ。

 弥太はほっと息を吐いた。


「よかったぁ。おいら、間違えちゃったかと思った」


「間違えただろ」


「うん……そうだったねぇ」


 女の子が目を伏せた。

 笑ったわけではない。ただ、固く結ばれていた唇が、ほんの僅か緩んだように見えた。


 弥太はそれを見逃した。

 水の細い道が途切れないようにするので、それどころではなかったのだ。

 雪の結晶たちは、もう拾うもののない足元を離れ、弥太の手元を見守っていた。


 一つが傾くと、他のものも傾く。


 その光を頼りに、弥太は少しずつ水を動かした。

 女の子の指が、弥太の手の下にそっと添えられた。


 支えてくれたのだと気付いて、弥太は顔を上げる。


「お前の手が震えるからだ」


「うん。ありがとう」


「喋るな」


 弥太は黙った。

 嘴の端だけは、ちょっぴり上がったままであった。

 長い時間が過ぎたような気がしてたが、どれくらいそうしていたのだろう。


「もういい」


 冷たい声がした。

 弥太はびくりと手を引いた。


「痛かった?」


「違う。もう要らない」


 女の子は自分の手を握り、開き、また握った。

 氷の欠片は落ちない。

 白い髪も、風に揺れるだけになっていた。

 そして何より、凍える冷気がぴたりとなくなっていた。


 弥太はへにゃりと笑った。


「よかったぁ。割れなくなったねぇ」


「騒ぐな」


「うんっ」


 返事の方が大きかった。

 女の子は眉を寄せたが、雪の結晶たちは一斉に光った。


 ぴかぴか、ぴかぴか。


 日の光まで増えたようで、弥太は眩しそうに目を細める。


 嬉しいんだね。よかったねぇ。

 そう言いたかったのだが、急に足から力が抜けた。


「ありゃ」


 ぺたんと雪の上に座り込む。

 命皿の水が少し減っていた。花びらが皿の縁へ寄って、ひらひらと揺れている。

 女の子が目を細めた。


「そんなに出すからだ。馬鹿」


「うう。おいら、上手に少しずつ出来ないんだよぉ」


 女の子は指を一つ動かした。


 結晶たちが氷の壁へ飛んでゆき、その表を削る。薄い欠片が幾つも降りてきて、弥太の命皿の上で、水へと戻った。

 ひんやりと澄んだ水が皿を満たす。


「あひゃひゃ、気持ちぃ」


「動くな。零れる」


 弥太は慌てて頭を真っ直ぐにした。

 女の子はそれを見届けると、背を向けた。


「帰れ」


「え?」


「帰りたかったんだろ。早く帰れ」


「うん。すお姉が待ってるから……でも、おいら、まだ何もお話してないよ」


「することはない」


 やはり素っ気ない。

 さっきまで怖かった女の子は、今もあんまり変わらない顔をしている。

 それでも弥太には、少しだけ見ていて安心な顔になった気がした。


 弥太が立ち上がると、女の子が片手を差し出した。


「これを持っていけ」


 掌の上に、花が一つあった。

 氷の花だ。

 六つの花弁が重なるように開き、その端から更に細い結晶が伸びている。真ん中に蒼い光が宿り、女の子の手の上で、小さく明るく揺れていた。


「おいらに?」


「他に誰がいる」


 弥太は恐る恐る受け取った。


 冷たい。でも、痛くない。


 氷なのに、掌にぴたりと馴染む。落とさないように指を丸めると、花の奥の光も、そっと小さくなった。


「綺麗だねぇ。これ、溶けない?」


「お前が持っている間は、そう簡単には溶けない」


「じゃあ、お日様に見せてもいい?」


「好きにしろ」


「すお姉にも?」


 女の子は少しだけ黙った。


「炙らせるな」


「うん。それは、しないよぉ」


 弥太は花を目の高さに持ち上げた。


 青くて、白くて、空を透かすときらきらする。

 何ていいものを貰ったのだろう。

 お腹が空いても、これは食べないでおこう。


 そんなことまで考えている弥太を、女の子はじっと見ていた。


 その花は、女の子が己の内から分けたもの。

 その魂を、その命を、氷の花の形に結んだ分霊である。

 弥太の掌で揺れている光は、女の子の胸の奥に戻った光と、同じ息をしていた。

 小さな子河童には、そんなことは分からない。

 女の子も、教える気はないらしかった。


「なくすな」


 ただ、それだけを言った。


「うん。大事にするねぇ」


 弥太はにこりと笑った。

 女の子は顔を背ける。


「うるさい。もう行け」


 その声に応えるように、雪の結晶が幾つも弥太の周りへ集まった。

 今度の風は、乱暴ではなかった。

 足元の雪をふわりと持ち上げ、弥太の躰をそっと包む。来たときと違い、手も足もちゃんと動く。


「あ、ねえっ。おいら、弥太っていうのっ」


「ひょうめ。氷の芽で氷芽」


「そっかぁ。じゃあ、またねぇ」


 氷の壁が遠ざかる。

 白い女の子氷芽は、何も言わずに立っていた。

 その姿が見えなくなる少し前、弥太の掌で花が一度、ぴかりと光った。

 弥太は嬉しくなって、花を握った手を大きく振った。


(ほら。気を付けて。落とさないようにね)


 風が叱るように頬を撫でたので、慌てて胸へ抱え込む。


「落とさないよ。大事だもの」


 誰へともなく答えた弥太を乗せ、雪の風は川の方へ滑ってゆく。

 その先に、朱金色の光が見えた。

 あったかくて、眩しくて、少しだけ怒っているような光。


「すお姉ぇっ」


 弥太は声の限りに呼んだ。

 掌の氷の花を、胸にそっと抱いたまま。

 氷の花は寄り添うように光っていた。


子河童の真っすぐな思いが届いていくお話です。


次回もまた、ご一読ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。