第12話 送る光と氷の少女
「覚えはないが、どこぞの主でござったか。神変変化の通力の名残がある。力が及ばぬことを悟りながらも、穢れに立ち向かわれたか。ご立派じゃ」
大天狗は歯をぎりぎりと噛みしめながら、
「穢れの残滓如きに手を掛けられるとは何事ぞっ」
と吐き捨てた。
しかしそれだけでは飽き足らぬようで赤い顔を更に真っ赤にしながら足を踏み鳴らしている。
大天狗の赤ら顔はますます赤く、その眼光は更に鋭く険しくなっていた。
~本文より
「どうであろ。何か探り当てたることは」
忽然と中空に清らかな水の音と共に、鏡のような泉が浮かび上がり、その中から瑠璃姫が静かに輝く水玉と共に現れ、穢れとの戦いの痕を見分している荒幡の大天狗へと声を掛けた。
大天狗は地に伏した骸を睨みつけるように目を離さず、首を横に振った。
「残念ながらこれといったものは見つからぬ。いつもの如く気分がすこぶる悪いだけのもの。あえて謂うならこれくらいか」
ひょいと持ち上げたのは大きな鹿の穢れであった。
小山程の巨躯に大木の枝を広げたような大きくて立派な角を生やした牡鹿の骸は、背中や喉笛辺りからも角を生やした変わり果てた姿にも関わらず、どことなく威厳めいたものすら感じさせる。
瑠璃姫はその鹿に手を合わせ、骸から立ち昇る霊気に優しく語りかける。
「覚えはないが、どこぞの主でござったか。神変変化の通力の名残がある。力が及ばぬことを悟りながらも、穢れに立ち向かわれたか。ご立派じゃ」
大天狗は歯をぎりぎりと噛みしめながら、
「穢れの残滓如きに手を掛けられるとは何事ぞっ」
と吐き捨てた。
しかしそれだけでは飽き足らぬようで赤い顔を更に真っ赤にしながら足を踏み鳴らしている。
大天狗の赤ら顔はますます赤く、その眼光は更に鋭く険しくなっていた。
悔しい。そして腹立たしい。
沢山の命を穢れに奪われたこと。
そして、それを防ぎ得なかった己がこと。
何処までも誇り高い大天狗は甚く傷ついていた。
瑠璃姫は悲しくも優しい眼差しでその全てを見据え、音も立てずその鹿に歩み寄りその毛並を優しく撫でる。
「さぞや皆を守りたかったのであろ。憐れ」
瑠璃姫に撫でられた所から碧い炎が立ち、忽ちにして大鹿の亡骸を灰すら残さず燃やし尽くしていく。
「皆よ。穢れと成り果てし憐れなる山の命の皆よ。その穢れを燃やし尽くし、魂を再度輝かそう程に。浄玻璃の舞姫がここに説く。全てを浄めその魂魄をほどき送り参らせる」
瑠璃姫がポンと手をたたくと、穢れと化した亡骸全てに青い炎が揺らめき立った。煙も立てず熱くも無く、それでいてその全てを灰すら残さず燃やし尽くしてゆく。
「望まざる穢れへと否応なしに転じられたその命。せめて送らせ給い。根の国すら遠く離れた転輪転生王の御許へ」
瑠璃姫の透き通った声が朗々と辺りに染み渡る。一体また一体、青い炎が燃やし尽くす度に、小さな光の珠が炎から浮かび天へと昇ってゆく。音も立てず燃え行く遺骸から沢山の小さな光の珠が群れを成し蒼い空へと昇り消えてゆく。
その光景はとても美しく、ひどく物悲しい。
空へと往く光の珠を見送りながら、大天狗が言った。
「流石は、瑠璃姫殿。この通り礼を言う」
深々と大天狗は頭を下げると、瑠璃姫に背を向けながら告げた。
「征矢津彦……それがその鹿の名でござった。この地を和して獣たちを治めておった獣の主でな……賢くて……何をしても……怒らぬ…………面白味のない……懐の深い主で……土地神にもいずれなろうかと……楽しみにしておったのだが……」
天狗たちを束ねる山の長、荒幡の権大師は力なく呟いた。
「約定を違えて逝った馬鹿者を送って頂き、感謝に絶えぬ。この権大師、受けた礼は……か、必ずや……」
震え声の大天狗に知らぬふりの瑠璃姫は、ふらふらしている光の珠の一つを両手に受け止め、空へと放ち見送りながら思いの外優しい口調で言った。
「礼などいらぬ。荒幡殿。他の穢れも早う祓うてしまおう」
瑠璃姫は美しくも慈愛に溢れた眼差しを、空に昇る光の珠へと向け見送ると、今度は物憂げにため息を小さくついた。
弥太よ。吾が加護が天意により、直接及ばずとも……必ず護って見せよう程に。
それまでどうか、無事で居とうせ。
「ねえ、寒いよねぇ」
弥太が白い息を吐きながらそう告げた。
辺りは根雪と言うには余りにも多い氷雪が樹々と大地を覆い尽くし、川の水面迄凍り付かせている。
氷の瘤が冷気に晒され違う氷の瘤と重なり大きな大きな氷柱と化し、その氷柱から全てを凍てつかせようと、冷気が止めどもなく煙のように溢れ出で、更に周りのものを凍らしていた。
辺り一面が銀白色に染め上げられ、氷雪に覆いつくされている。まるで違う世界だ。
河童の弥太としては、水の中に潜りたいところではあるのだが、蘇芳がそれだと困るだろうとペタペタ氷上を歩いていた。
弥太は凍てつく冬の寒さで凍り付いた川の水でも気持ちよく感じるほど、寒さなど感じたことがなかったのだが、今は寒いと感じている。
最初はそれが新鮮で面白かったのだが、今は躰が震えてくちばしもカタカタと音を立て、甲羅の裏側まで何か痛い。
「そうね、これはあからさまにおかしいわね。産霊の森は出ていないのに、此処は何処なのよ」
蘇芳はこれまた空を飛ばず、躰から炎を噴き出し自分と弥太を温めながら隣を歩いていた。
蘇芳は蘇芳で、弥太の甲羅を掴んで空へ舞い上がりそのまま運ぼうとしたのだが、つるりと滑ってうまく掴めず、手足を掴んで飛ぼうとすると、今度は手足がびよーんと伸びて持ち上がらない。
短気な蘇芳が何度も何度も試し、結果、空に舞い上がることは叶わず、すっかりと諦め今に至っていた。
お日様は真上に輝く昼時なのに、氷原から舞い上がる冷気が白い靄のようになって、お日様の暖かさを打ち消してしまっている。
唯一の慰めは、氷の粒がお日様の光と蘇芳の炎に彩られながら、風に舞い幻想的にきらきらと輝いて舞っている風景であった。
それにしても寒い。
蘇芳は身構えていた。
何か良くない予感がする。
「ねえ、弥太坊。アタイ、今からその辺の川の氷を溶かすからさ、一回水の中に入ってくれない? 空からこのあたりの様子を見てみるから、その間水の中に隠れていて、わかった?」
「ウン、分かったぁ」
水の中に入れると聞いて弥太は少し口の端がゆるんだ。
「おいら、水の中なら何でも平気ぃ」
蘇芳は小さな火の玉を弥太の顔近くに浮かばせて、
「その火の傍から離れてはだめよ」
と念を押して、ふわりと宙に舞いあがり、翼を大きく拡げて一段と明るく輝かせると、朱金色の火花を辺りに溢れさせ、翼で扇ぐ。
するとたちまち、轟轟と大きな音を立て、風が唸り火花は大きな炎となって渦巻くと、中々の大きさの炎の旋風となる。
何となく出来そうだなと思いついてやってみたのだが、やった蘇芳自身が目を見張るほど、力強いその炎の旋風は厚く凍った川面を穿ち、辺り一面が真っ白になるくらいの水蒸気を発生させた。
視界を遮る乳白色の霧を翼の一扇ぎで消し飛ばして、川面に大きな穴が空いているのを満足げに見下ろした蘇芳は、揺らめく火の玉の近くに舞い降りた。
凄い凄いと喜ぶ弥太の声を聴き、その笑顔を見るはずが、弥太の影も形もなく誰もいない。
慌てて辺りを探してみたが姿はなく、弥太がいたところに一段と強い冷気だけがあった。
「弥太、また何か妙なのに連れて行かれたのね。前の花の丘とは違い、今度は嫌な感じがする。すぐに見つけ出すわ。そして攫ったやつは丸焦げにしてあげる」
怒りと共に全身から朱金色の火花を派手に振りまき、そこらあたりに夥しい小さな炎を発生させながら、怒りもあらわな蘇芳であった。
弥太が空に舞い上がる蘇芳を眺めていたその時、
「はぇー、すお姉、やっぱり綺麗。凄いなあ」
と独り言をつぶやいていたはずが、
「冗談じゃない。溶けるのは困る」
いきなり声がした。
びっくりして振り返ると、そこに真っ白の髪に透き通った氷のような肌をした不思議な女の子が立っていた。
「え、誰? ああ、違う。はじめはまずはご挨拶から。おいら、弥太っていう――」
「うるさい。暑いの嫌、静かにして」
挨拶をしようとした弥太の頭を女の子の透き通った氷のような手が触れると、途端に体が凍り付いたようになり、動けなくなった。
透き通った氷のような肌をした女の子は、空を舞い輝く蘇芳を見て、
「あれには今の私では敵わない……」
そう透き通っている自分の手のひらを見てまた空を見上げ、
「力を取り返したら、追い払ってやる」
蘇芳を睨みつけると、動けなくなった弥太に、
「一緒に来てもらう。直ぐに殺したりはしない」
そう、冷たく言い放ち、
「みんな、手伝って。急ぐから」
何もいない所へ呼びかける。
すると、氷の粒が大きな雪の結晶へと変化し、辺りにいくつも生まれると、透き通った氷のような肌をした不思議な女の子の周りに集まってくる。
女の子は、うん、と頷いて、
「じゃあ、行くよ。みんなお願い」
雪の結晶たちに話しかける。
雪の結晶たちは、光と風で応えるように明滅しながら、冷たくも透き通った音を奏で、渦巻く風と雪を振りまき、激しい地吹雪を起こした。
その地吹雪はたちまちに弥太と女の子を取り巻き、力強く運び始める。
弥太は女の子ともども吹雪に乗って、川から氷原となっている対岸へと進んでいく。
おいら……どうなるのだろう? 冷たいのは嫌ぁ。誰かぁー。
これからどうなるのか、体も動かないし不安でしょうがない。
すると、ふわりと優しく温かい風が体を包み、誰かに頭をなでられたような気がした。
そうか、動けるようになったときに、逃げられるように道を覚えておかないと……。
急に閃いた弥太は、動けず声も出せない状態ながら、運ばれていく道筋を覚えるために、どんぐり眼をきょろきょろさせて何一つ見逃すまいと景色を刻み込む。
しばらくすると動きは止まり、弥太はふかふかした雪の上に放り投げられた。
辺り一面真っ白で、氷の粒が風と共に渦巻いて、大きな氷柱が沢山林立しており、並みの生き物なら凍り付いてしまいそうなところであった。
分厚い氷壁が幾重にも重なって城塞の壁のようにすら見える。
「おい、小さいお前、まだ生きてるだろ」
先ほどの白い女の子が弥太の顔を覗き込む。
すると、その女の子から冷たくて冷たくて、凍てつきそうな冷気が漂い、顔に吹き付ける。
弥太は目を瞑った。
冷たくて、寒くて痛い。
この女の人すんごく怖い。
おいらどうなるのだろう。
嘴すらもうカタカタ言わなくなるほど芯まで冷え切った弥太は、ますます気落ちしていく。
すお姉、ごめん。火の傍に居ろって言っていたのに約束守れなかった。
ごめんね。
太郎治、おいらお使いもうできないかもしれない。
瑠璃姫様、またお話したかったね。
あれ……何か…………眠たく…………なってきた……。
此処まで読んで頂きありがとうございます。
次回、弥太の周りに起きることをえがきます。
またぜひ、お目にかけて下さい。




