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14.428  作者: 木瓜庵
第1部 花祭り
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早馬

幕の切れ目から寺の者が入り、瑞璵の前に膝をついた。


「市へ参りました。一月前、藤兵衛の店の商品を荒らしたという出来事の目撃者として、名の挙がっておりました二人に、それぞれ会って話を聞いてまいりました」


「聞かせなさい」


「二人の申すことは、藤兵衛殿の訴えと同じでございました。違うところはございません」


瑞璵が伊波姫の方へ向き直った。


「姫。いまの話は、事実でございますか」


姫が顔を上げた。


「はい。たしかに会いに参りました」


声は低い。だが、はっきりしていた。


「佐野の若君との仲について、確かめておきたかったからでございます。ですが、売り物を荒らしてはおりません」


千手院の院主が膝を進めた。


「庠主様。その場を見た者が二人もおるのでございます。なれば、藤兵衛の訴えの方が正しいのではありませんか」


翼は眉を寄せた。


「ちょっと待ってください」


皆の目が翼へ向いた。


「何かあるのですか。金山の姫様」


「その二人は、あの娘の近くでいつも店を出している人たちなのですよね」


「左様ですな」


「だったら、あの娘と親しい仲と考えられます。その話を完全に信じてもいいのでしょうか」


「もっと、伊波姫ともあの娘とも関わりのない方が見ていたのなら、その人の話も聞けばいいと思います」


千手院の院主が、呆れたように息を漏らした。


「そのような者が、都合よくおればの話でございましょう」


「それは……そうですけど」


翼は口をつぐんだ。


「いるかもしれません」


不意に声がした。またあの、成田左馬助だった。


「たまたまあの場に居合わせ、藤兵衛殿とも、娘御とも、佐野の御家とも縁がない」


そこで、わずかに間を置いた。


「しかも、目にしたものを人並み以上に細かく憶えておくことのできる者が」


妙に細かな条件だった。院主も同じことを思ったのだろう。怪訝そうな顔で左馬助を見る。


「そのような者が、おると?」


「さて」


左馬助は答えず、縄の外へ顔を向けた。


そこには、裁きを見物しようと集まった町人や寺の者、学生たちが幾重にも立っている。


左馬助はその人垣を、ゆっくりと見渡した。


「おりませんかな」


しばらく、誰も動かなかった。


やがて人垣の中から、深いため息が聞こえた。


「…………はあ」


そして一本の手が上がる。


「ここにおります」


人々が左右に分かれる。


立っていたのは、一人の若い僧だった。


二十を少し過ぎたほどに見える。


痩せた身体に、ひどく着古した衣をまとっている。藍は何度も洗われて色を失い、袖口にはほつれまであった。


この場に集まった武家や寺院の者たちの中では、ひどくみすぼらしく見えた。


翼も、そんな僧がそこにいたことさえ、それまで気づいていなかった。


若い僧は上げていた手を下ろした。どうにも、進んで名乗り出たという様子ではない。


「随風か。こちらへ参れ」


瑞璵が言った。


随風は人垣を抜け、縄の手前まで来ると膝をついた。


瑞璵は幕の内へ顔を向けた。


「手前の学校の学生でございます。まだ若いが、随分と出来る男でしてな」


それから随風へ向き直る。


「左馬助殿の申された通りなのか」


随風は一瞬、成田左馬助を見た。


左馬助は何も言わない。


「……おおむねは」


「おおむね?」


「私はあの日、あの市におりました。藤兵衛殿や、そちらの娘御とも関わりはありません。佐野の御家にも、伊波姫様にも縁はございません」


「どこから見ておった」


「あの店の向かいにある茶屋の脇でございます」


随風は淡々と答えた。


「店までは、およそ十五間。間に道が一本ございます」


藤兵衛が顔をしかめた。


「十五間も離れていて、何が分かる」


「声は聞こえませぬので、何を話していたのかは存じません。ただ、見えたものならば憶えております」


「どの程度に」


瑞璵が問う。


「姫様は薄浅葱の小袖。白の細帯。御供は三人で、すべて女。赤茶、鼠、萌黄の小袖をそれぞれ着ておりました」


伊波姫が、わずかに目を見開いた。


その発言を誰も否定しない。


「娘御の店には、櫛が七つ。手拭いが五枚。小さな包みが四つ。包みのうち、一つだけ紐が赤かった」


「待て」


千手院の院主が言った。


「十五間も先のものを、そこまで憶えておるというのか」


「昔から、見たものを忘れにくい性分でございますので」


瑞璵が口元を緩めた。


「こやつは書を一度読めば、どこに何が書いてあったかまで憶えておる。気味が悪いほどにな」


随風は少しだけ眉を下げた。


「庠主様、それは言い過ぎでございます」


場に、わずかな笑いが漏れた。


だが藤兵衛も初衣も笑ってはいない。


「それで、何を見た」


瑞璵の問いに、随風の表情が戻った。


「早馬でございます」


「早馬?」


場の空気が変わった。


早馬という言葉は、藤兵衛の訴えにも、初衣の話にも一度も出ていない。


「姫様と娘御が話しておられたところへ、早馬が一騎、市を抜けてまいりました。人は多うございましたから、皆、道の左右へ押し退けられました」


随風は床の上へ指を滑らせ、人の動きを示した。


「姫様たちはこちらへ。娘御は反対へ。その間から、男が二人、押し出されました。一人は籠を背負った男。もう一人は、茶色の短い上衣を着ておりました」


指先が、娘の店のあった辺りで止まる。


「その二人が、娘御の品の上へ出ました。籠を背負った男が手拭いを踏み、もう一人が櫛を蹴った。櫛は二つ、道へ飛びました」


翼は初衣を見る。


「では、姫様の御供が荒らしたのではないのですね」


「少なくとも、私が見た限りでは」


随風は答えた。


「その後、姫様は散らばった品を拾おうとなさいましたが、娘御はそれを止めました」


「姫様が手を伸ばし、娘御がそれを遮った。その後、姫様は手を引き、御供とともに立ち去られました」


「そうじゃないんですよ。違います!」


初衣が立ち上がった。


「姫様は、早馬の騒ぎに巻き込まれたふりをして、御供の男の人たちに店を荒らさせたんです!」


随風は初衣へ顔を向けた。


少しの間、黙ってから、首を傾げた。


「御供の、男ですか」


「そうです」


「あの時、姫様の御供は三人」


随風は指を三本立て、一本ずつ折った。


「赤茶。鼠。萌黄。すべて女でございました。品を踏んだのは、早馬を避けて人込みから押し出された男二人です」


随風は静かに言った。


「その男たちを姫様の御供と申すのは、無理があるかと存じます」


「それは……その……」


その先が続かなかった。


「おかしいではございませんか!」


娘を庇うように、藤兵衛が声を張り上げた。


「庠主様。どうして、かような学生の申すことをお信じになるのでございますか」


藤兵衛は随風の方へ手を向けた。


「彼は、どこの誰とも知れぬ、ただの学僧です。着ている物を御覧ください。あれでは里が知れるというものでございましょう」


随風は自分の袖を見下ろした。


ほつれた袖口をつまみ、少し眺める。


何も言わなかった。


「それを申されるなら、藤兵衛殿」


答えたのは、成田左馬助だった。


「あなたのその御召し物は、一町人が着るには、いささか立派すぎるのではありませんか」


「私のですか。私の着物は、いまの話には関わりございません」


「いえ。関わります」


左馬助が立った。


そのまま膝を進め、藤兵衛の前まで来る。


「私が今日、この町へ参った理由こそ――」


藤兵衛の着物を、上から下まで見定めた。


「あなたが、そのような着物を着られる理由ですので」


◆間(けん) 長さの単位です。一間は約一・八メートルです。


◆薄浅葱・鼠・萌黄・赤茶 小袖などの色目の名です。浅葱は薄い青緑、鼠は灰色、萌黄は黄緑系です。


◆学僧 学問のために僧籍にある者です。足利学校の学生の多くがこれに当たります。

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