訴え
「一月ほど前のことです」
藤兵衛は思い出すように少しを間を置く。
「その頃、娘は佐野の若様に見初められたので御座いますが、その話を聞きつけました姫様とその従者たちが、市で商いの手伝いをしておりました娘の元へ来られました」
「娘を男衆で取り囲み、若様を誘惑するなどどういう了見かと詰めたのでございます――」
まあ、許嫁からすると至極もっともな意見だとは思うけど。
「娘は、誘惑するつもりなどなかったと弁明しました。ただ運命が二人に愛を芽生えさせたんだと」
「にもかかわらず、姫様達は娘を、口汚く罵りました」
「そして従者に命じ、娘が市で売っておりました、糸や布を地面にばらまき、草履で踏み荒らさせたのです」
「夕方になって、娘はぼろぼろになった糸と布を手に家へ戻って来ました。さぞつらい思いをしたことでしょう」
「なるほどなるほど」
瑞璵は話を聞いて大きくうなずく。
「して。その場面を見た者はいるのか?」
「おります。市の茶屋のご亭主と、向かいの塗物屋の女房さんが見ておりました」
初衣が口を開いた。
瑞璵の視線が幕の入口へ向く。寺の者が数人、頷いて外へと出ていく。
「今の二人は寺の方で、その場を見たかどうか確認するとしよう」
「我々は話の続きしますぞ。その市での出来事の他に姫からのお咎めはあったか?」
「はい。御座います」
藤兵衛は話を続ける。
「これは私の話で御座います」
「娘と佐野の若君の仲がより親密となった頃のことです。長尾様の御屋形から私に御呼び出しがありました」
「普段はこの時期、冬衣のご相談などする時期で御座いますので、その話かと思い城に向かいましたところ、私を呼び出したのは御屋形様ではなく伊波姫でした」
「そして姫は私にこうおっしゃいました」
「許嫁とお前の娘が懇ろな事が気に食わない。親であるお前に責がある。今後長尾の家ではお前の布を買わないと」
「なるほど。それじゃ一大事じゃの」
「はい。私共としても大慌てでした。幸い商い先が他にもありますので、大きな損失には至りませんでしたが」
「ふむ――」
「ですが、これもまだ可愛いものでした」
「まだあると」
「数日前のことです」
「城から町の顔役達に贈り物がありました。我が家には着物が。娘がそれに袖を通したところ、針が一本仕込まれておりました。指を刺してから、娘は意識を失いました」
「町のお医者様にお見せしたところ、毒であると――」
「毒」
座がざわめく。
話が変わって来た。
これはただの嫌がらせでは済まない。
佐野次郎が、髪を下ろせといっている理由はどうやらここにあるようだ。
「初衣は3日3晩苦しみ、ようやく回復しました。そして今朝、若様と町を歩いていたところ、ばったり伊波姫と遭遇したのです」
「そのとき娘はこう言われたと聞きました。『もっと強い毒にすればよかった』と」
「ああっ。怖いですっ」
初衣は袖で目を押さえた。押さえた手は小さく震えている。
それから次郎の顔を見上げ、助けを求めるようにしていた。
「わたし、身分のことはよく分かりません」
顔を上げる。声が少し大きくなった。
「けれど、町の娘だからといって、誰かを好きなることが、命を奪われるほどいけないことなのでしょうか」
初衣の声が、幕の内に響いた。
「ちなみに、伊波姫が初衣殿に言った言葉を誰か聞いたものはおりましたか?」
「次郎さまが――」
初衣の言葉に、次郎は頷く。
「そうだ。毒の話をしていたぞ。それは私も聞いた」
次郎は初衣のほうへ顎を向けた。
「毒と申したのだ。ならばこの娘の申すとおりであろう。よくそんなことが言えたものだ。何とも信じられない女だ」
次郎はあいかわらず伊波姫を指弾しているが、伊波姫の反応は薄い。
翼はどうも、不思議だった。
伊波姫はどうして何も反論せず、佐野の若君の言葉を受け入れようとしたのだろう。
今の二人をみると、どう見ても伊波姫は佐野の若君に対し偏執しているようには見えない。
藤兵衛と初衣の訴えを聞いた瑞璵は、伊波姫の方を向き直す。
「では、今の訴えについて、訴えられている長尾家の方々に伺いましょう」
伊波姫の周りには長尾家の家臣と供の女が数人控えている。
「まず最初の件。市で初衣殿を取り囲み、売っていた品を棄損した事について反論があるというご家中のものは」
その問いかけに長尾の家人は、誰も手を伸ばさない。
池のほとりで、松の梢が風に擦れる音だけがする。
「では、藤兵衛殿を伊波姫が呼び出し、商品を買わないと脅したことについて反論があるものは」
いない。
「最後です。伊波姫が初衣殿を謀殺しようとしたという訴えに反論があるものは」
いない。
翼は驚いた。
驚いてから、腹が立った。
家中の者が主家の姫を守らないとはどういう了見だ。
「ありえない」
立ち上がろうとした翼を伯父が制して、小声でつぶやく。
「姫様。落ち着いて下さい。これは政治です。おそらく布屋は金を積んでいます」
「賄賂――」
伯父は頷く。
「機を待つべきです。風を読んでください」
翼は浮いた腰を元に戻した。
「伊波姫」
長尾方の人に反応のない事で、瑞璵は仕方なく当事者の伊波姫を指名する。
伊波姫は手を膝に置き、顔を上げてどこを見るでもなく宙の一点を見つめている。
「いま聞いたことで、違うと申されることはありますか」
姫は答えなかった。
答えないまま、じっとしていた。
「姫様」
次郎が初衣の肩に手を置いたまま、言った。
「もう十分でしょう。姫。お認めになったほうが、御家のためです」
姫は答えない。次郎は声を落とした。
「認めるのは恥ではございません。恥は、隠すことでございます」
姫は顔を上げなかった。
「私は……」
小さいが、確かに声が出た。幕の内が静かになった。
姫は、それきり何も言わなかった。口を閉じ、また下を向いた。
翼は姫のうつむいた横顔を見ていた。さきほど髪を下ろすために立ち上がった背中と、同じような静けさだった。
◆御屋形 領主の居館・城館を指す敬称的な呼び方です。




