父娘
膳が下げられ、幕の内に敷物が置き直された。
幕の外に町の者が集まりはじめたので、寺の者が縄を張って人を止めた。
どうも、寺の庭で開かれた宴で、面白いことが始まった、という噂が町の中に広まっているようだ。
市井の人々にとっては、見世物でも見に来たようなものなのだろう。
翼の座は伯父の斜め後ろのままだが、向きが変わった。池を背に瑞璵が座り、その前が空いている。
そこへ寺の者に連れられて、壮年の男と、若い娘がやってきた。
この二人が件の藤兵衛とその娘、初衣なんだろう。
父親のほうは五十ばかりで、藍の羽織を着ていた。
町の者としては、よい物を着ている。
もう一人の娘は、市で見た娘だった。
娘は幕の内へ入るとき、周りを見渡した。
「やっぱり。考えたまんまだ」
そう小さくつぶやいた。
「初衣」
次郎が立って、幕の内を横切っていった。
そばへ寄り、袖に手をかけた。
「怖がることはない。私が付いている。きっと皆に認めてもらえる」
「次郎さま」
初衣は次郎を見上げて、首を少し傾けた。
「ありがとうございます。私、怖くて怖くて」
初衣は次郎の胸に顔をうずめ、震えるように呟いた。
「さて」
瑞璵が扇子をぱんと閉じた。
「伊勢の藤兵衛殿と、その娘の初衣。で、間違いないな」
「はい、相違ありません。庠主様」
初衣の隣の男が頭を垂れる。
「そう固くならなくてもよい。藤兵衛殿、商いは何をなさるのや」
「私は、布を売っております。足利で織られた布でございます」
「近ごろの首尾は、いかがですかな」
「お陰をもちまして、悪くはございません」
藤兵衛は少し顔を上げた。
「うちの店の布は、上野や武蔵の御城へも納めさせていただいております」
「それは、結構な商いですな。大店といっても差支えあるまい」
瑞璵は扇を膝に置いた。
「ありがとうございます」
「ではあなたの娘御の初衣殿を、佐野の二番目の若君が妻に求めておられる話は、ご存じか」
「はい。身分違いとは存じておりますが、娘も若様も、お互いを深く想い合っている様子でございます」
「親馬鹿とは思いますが、出来るならその想いを少しでも助けてあげたいと、日ごろから思っておりました」
藤兵衛はしっかりとした口調で、流れるように喋った。
さすがは大店の商人。交渉事には一日の長があるようだ。
「ふむなるほど。わかりました」
瑞璵はうんうんとうなずいて話を聞いていた。
藤兵衛の言葉に同調するでもなく否定するでもなく、ただ聞いていた。
「では、長尾の伊波姫が、お二人の仲睦まじい様子に嫉妬し、初衣殿に対し嫌がらせを繰り返していたという話は本当でしょうか」
「本当だ。初衣がそう言ったのだ。疑う余地などないだろう」
次郎が初衣の白い手を両手でしっかり握りながら、瑞璵に答えた。
「若君に聞いているわけではありませぬ。藤兵衛殿、初衣殿。いかがですか」
「それは、そうですね」
藤兵衛がここで少し言いよどむ。
「本当のことです。どうか信じてください」
父の言葉に割り込むように、初衣が声をあげた。
「私はたびたび、御姫様にお咎めを受けてまいりました。最初は私が至らないのだと我慢してまいりましたが」
「……もう限界なのです」
そう言って泣き崩れる初衣を次郎が抱き寄せた。
「初衣。大丈夫じゃ。私がついている」
わっと庭の向こうにいる観衆が声をあげた。
なるほど、身分違いの恋の物語として見るとここは見せ場ということだ。
翼は思う。
瑞璵はそれでも冷静に淡々と話を続けた。
「初衣殿、藤兵衛殿でもいい。この場は、そのお咎めについて確かめる場なのじゃ」
「なので一体どのようなお咎めがあったのか、あらためて説明してもらえんか」
「はい。では私から」
藤兵衛が口を開いた。
◆藍の羽織 藍染めの羽織です。町人でも資力のある商家が身につけました。




