蔵
坂を上りきって虎口をくぐると、城の中のざわめきが戻ってきた。
国寿は実城へ続く石段を上り、屋形の前庭まで来た。
治部様の言葉が、まだ耳に残っている。
そのとき、屋形の縁を誰かが駆けてきた。
袴の裾を掴んで走っているのは、翼である。少し遅れて、兄の側仕えのとみてが追っている。
「姉上、どうしたのですか」
声をかけると、翼が足を止めた。
肩で息をしている。
「あっ、国寿。ちょうどいいところに」
「何かあったのですか」
「熊寿が、見つけちゃったの」
「何をです」
「茶釜よ。兄上が館林のお寺から借りてきたとかいう、大きな釜」
国寿には、何の話か分からない。
翼の後ろで、とみてが小さくなっていた。
「申し訳ございません。蔵にしまってあるのを、熊寿様に知られてしまいまして」
「湯をいくら汲んでも減らない、なんて噂のある釜なのよ。熊寿のことだもの、中を覗くまで離れないに決まってるじゃない。だから、弟たちには絶対に見せないでって頼んでおいたのに」
翼はそう言ってから、国寿の顔をじっと見た。
「……国寿。なんだか、しょんぼりしてない?」
「講義で、少しありまして……」
「ああ。お勉強ね。まあ、その話はあとで聞いてあげる。今は一緒に来て」
翼は沓脱ぎの草履をつっかけて庭へ下りると、国寿の手首をつかんだ。
そのまま、屋形の裏手へ走り出す。国寿は引っ張られるようにして、あとに続いた。とみても、慌てて追ってくる。
屋形の裏手に、土壁の蔵が建っている。
白く塗った壁はところどころ剥げて、下の土がのぞいていた。分厚い板戸が、半分開いたままになっている。
翼に続いて、国寿も中へ入った。
中は薄暗い。長持や櫃が積み上げられ、黴と古い木の匂いがこもっている。
奥の床に、大きな茶釜が据えてあった。
黒い鉄の肌は古びて、蓋の摘みが欠けている。
その前に、六つになる弟の熊寿がしゃがみ込んでいた。両手で蓋の縁をつかんで、うんうんと引っ張っている。
「熊寿」
国寿が呼ぶと、熊寿が振り向いた。顔が真っ赤である。
「あ、兄上。姉上も」
「勝手に触ってはいけないよ。それは兄上のものだ」
「でも、湯がへらないんでしょう。見たいもん」
熊寿は、また蓋に取りついた。
「なのに、ふたがあかないの。おじさんに聞いても、教えてくれないし」
「おじさん?」
国寿の隣で、翼が動きを止めた。
翼の見ているほうへ、国寿も目をやる。
釜の脇に、男がひとり座っていた。
背が低く、猫背である。墨染めの衣を着て、茶色がかった髭を生やしている。まるい目が、きょとんとこちらを見上げていた。
いつから、そこにいたのか分からない。
翼が、思ったままを口にした。
「狸だっ」
熊寿が振り返って、嬉しそうに言う。
「ぼくもそう言った」
男は、心外だという顔をした。
「ちがいます」




