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14.428  作者: 木瓜庵
第3部 金山検断帳
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治部

火鉢の中で、炭がかすかに鳴った。


熱にあおられて、白い灰がひとひら、ふわりと浮き上がる。


灰は、障子越しの光の中をしばらく漂ってから、ゆっくりと床へ落ちていった。


国寿は、それをぼんやりと目で追っていた。


「――北宮子と西門子は、同じ世に生まれ、同じ家柄で、同じように振る舞っておりました」


その声に、国寿ははっと我に返った。


「それなのに、人に用いられ、敬われるのは西門子ばかり。北宮子は、窮したままでございます」


目の前の着古した衣(ころも)の、若い学僧は、書物に目を落としたまま話している。


この人の名前は随風(ずいふう)先生という。


足利の学校から呼ばれて、国寿に書を講じている。


今日読んでいるのは、『列子(れっし)』という古い書の一節だった。


講義に使っているのは、金山の南の麓にある金龍寺(きんりゅうじ)の、離れの書院(しょいん)である。


「若様。聞いておりますか」


随風が、書物から目を上げた。


「あ……は、はい」


慌てて国寿は返答する。


国寿は、金山城の主である横瀬成繁の子で、この春十二になった。


いずれ家を継ぐ身として、こうして学問を仕込まれている。


「……では続けます」


「お……お願いします」


「嘆く北宮子に、東郭先生はこう申されます。北宮子は徳に厚くして命に薄く、西門子は命に厚くして徳に薄い。達するも窮するも、みな天であって人ではない、と。さて――」


随風は国寿の方を見る。


「列子はかく申します。徳と命は別のものである、と」


国寿は背筋を伸ばした。


「ならば若様。徳を積むことに、何の益があると若様は考えますか」


「え……っと」


国寿は口を開いたものの、その先が続かない。


「徳を積んでいれば、いつかは報われる……のでは、ないでしょうか」


「では、報われぬまま嘆いておる北宮子は、徳など積まねばよかったのでしょうか」


「それは……その」


言葉を探すうちに、頭に浮かんだのは書物の中の話ではなかった。


同じ家に生まれ、同じように育ったはずなのに、人に用いられる者と、そうでない者がいる。


父の留守に公事を任され、うまく裁いてみせる姉の翼がいる。


そのそばで自分は、書を読んでいるだけである。


北宮子の嘆きは、他人のものに聞こえなかった。


「……分かりません」


国寿は、うつむいた。


「ふむ……なるほど」


随風が、考え込みながら障子の方を一瞥して、ぱたりと書物を閉じる。


「今日はこの辺りにしましょう。若様は、考える時間が必要なようです――」


責める口ぶりではない。それが、かえってこたえた。


「この問いの答えは、次の講義までに考えておいてください」


国寿は、書院を出て、寺の門をくぐる。


供の者には、先に城へ戻るよう言ってあった。今は、一人で歩きたかった。


城へ帰るには、麓から大手の坂を上っていく。


冬枯れの木立のあいだを、国寿は足元ばかり見ながら上った。随風の問いが、まだ頭の中で回っている。


坂を上りきると、大手の虎口が見えてくる。


その手前、堀切と崖に挟まれたところに、月ノ池があった。


石で囲まれた池の水は、冬の日を受けても暗い。


その畔に、人がひとり立っていた。


治部(じぶ)様である。


中城に住まう岩松守純(いわまつもりずみ)は、父が仕えていた古い主だった。城では今も御屋形と呼ばれているが、中城の外に出てくることはほとんどない。


国寿が足を止めると、治部様のほうが先にこちらを見た。


「国寿殿か」


「治部様。このようなところで、何をしておいでですか」


治部様は、池に目を戻した。


「数日前、この池で、わしの屋敷に出入りしておった者が死んだ。酒に酔って、足を滑らせたらしい」


国寿は、水面を見た。何も浮いてはいない。


「……悲しいのですか」


治部様は首を振った。


「あの者は、酒を嗜(たしな)まぬと言っておったはずなのにな」


独り言のような声だった。


国寿が何か言おうとする前に、治部様はもう一度口を開いた。


「籠もってばかりでは、身内のことさえ分からなくなる」


国寿に向けた言葉なのか、自分に言ったのか、分からなかった。


治部様は、それきり黙って水面を見ている。


国寿は、しばらくその横に立っていた。何か言うべきことがある気がしたが、言葉は見つからない。


「……失礼いたします」


国寿は頭を下げて、池を離れた。


坂の途中で、一度だけ振り返る。


治部様は、池の畔にひとりで立ったまま、水を見ていた。

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