↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14.428  作者: 木瓜庵
第2部 水分神
PR
29/36

補遺

十八年後――


天正六年八月邑楽郡成島村。



蝉が鳴いている。


空の高いところに入道雲が立っていた。田は青く、風が渡るたびに一面が波打つ。


館林の多々良沼の畔に、小さな庵がある。


葦の茂る水際から少し上がったところに、田を見下ろす形で建っていた。庭に細い流れを引き込んであって、水は庵の下を通って田のほうへ落ちていく。


その庭先へ、壮年の侍が立った。


笠を取って、汗を拭く。


「ごめん」


戸を開けると、中は涼しかった。


奥に床が延べてある。


痩せた老人が、上体を起こしていた。


「おお。熊倉殿」


「新左衛門殿。いや、休泊様とお呼びしたほうがよろしいか」


「新左衛門でよいですよ」


老人が笑った。


「堅苦しいのは好かんのですがな。格も要るものじゃと言われて、つけただけです」


熊倉が枕元に座った。


足音がして、女が茶を運んでくる。


盆を置いて、新左衛門の枕元の脇に座る。


「網さんも、お変わりありませんでしたか」


網がうなずいた。それきり、何も言わない。


日に焼けた顔をしていた。目尻に皺がある。


「それで、今日は」


新左衛門が言った。


熊倉が茶碗を置いた。


「殿が、成繁様が身罷られました」


「……そうですか」


蝉の声が、急に大きくなった。


新左衛門はしばらく何も言わない。庭のほうを見ている。水の落ちる音がしていた。


「熊倉殿」


「はい」


「新田の水は、流れておりますか」


「流れておりますとも」


熊倉が身を乗り出した。


「新田も、足利も、小泉も、館林も。あなたの引いた絵図のとおりに、堀はみな流れております」


「……ならば、よかった」


新左衛門が、網のほうへ目をやった。


「網。外の田は、今日も美しいか」


網がうなずいた。


「結局あなたは、最後まで百姓奉行でしたな」


熊倉が言った。


「はい」


新左衛門が答えた。


若き日、嘲りとして投げられたその言葉を、いま受け取る顔に、屈託はない。


網が顔を上げた。


「あの」


熊倉のほうへ膝を進める。


「息子は、壮健でしょうか」


「壮健も壮健」


熊倉が胸を張った。


「すくすく育っております。あれは普請方の出世頭になりますよ」


網が口元を押さえた。


「……熊倉殿」


新左衛門が笑っている。


「まだ三つでございましょう」


「今から見どころがある、という話です」


熊倉が頭を掻いた。それから真顔になる。


「ですが、なぜ我が家の養子に。大谷の家でもよかったのではないですか」


新左衛門が首を振った。


「私も網も、地に根付く者ではありません」


「はあ」


「子には、この土地に生きる喜びを味わってもらいたいのです」


網が、静かにうなずいた。


日が傾いてから、熊倉が立つ。


戸口で一度振り返って、頭を下げて、それきり出ていった。


庵に、二人が残る。


網が枕元へ寄って、手拭いを絞り直した。桶の水が、少しぬるくなっている。


二十六年前と同じ手つきだった。


新左衛門が目を開けた。


「網」


「はい」


「ずっと、考えていたことがある」


網が手を止めた。


「はじめて会うたとき。蛇川が切れた夜。渡良瀬の岸で、あの鯉が跳ねたとき」


新左衛門の声は細くなっていた。


「この二十数年、ときどき思うたのだ。うまく行きすぎる、とな」


網は何も言わない。


「人から聞いたのだがな。遠く大和の地に、水分の神というのがおるそうだ」


「みくまり」


「水の流れを寿(ことほ)ぐ神だという」


新左衛門が、網のほうへ顔を向けた。


「お前は、そのような御方なのではないか」


網が首を振った。


「私が知っているのは」


網が言った。


「川に溺れて、気がついたらこの土地にいた、ということだけです。あとは、みなさまと同じです」


「……そうか」


新左衛門が目を閉じた。


「どちらにしても、だ」


網が身を寄せる。


「私は、網と一緒にこの土地で生きられて、幸せだった……」


息が、そこで途切れた。


網はしばらく動かなかった。


それから、両手で新左衛門の手を包んだ。


「私も」


声が震えた。


「私も、新左衛門様と生きられて、幸せでした」


涙がこぼれた。


はらはらと落ちて、風に散って、開け放した戸から庭へ流れていく。


庭の清水に、その一粒が落ちた。


水が、淡く光る。


光はせせらぎを下り。


堀へと流れ込み。


堀から堀へ渡って、遠く見渡す限りの大地に広大な青い田の隅々まで広がっていった。




水辺の畔。


小さな庵の中で新左衛門は、その水のせせらぎを聞きながら、息を引き取った。


その脇には、水を張った桶がただ一つだけ、残っていた。


◆天正六年 西暦1578年です。


◆多々良沼(たたらぬま) 館林の西、邑楽町との境に広がる沼です。


◆大谷休泊(きゅうはく) 戦国期の農政家です(1521〜1578)。渡良瀬川の矢場堰から多々良沼へ引いた上休泊堀と、沼から先の下休泊堀を開き、太田から館林・明和にかけての田を潤しました。館林城主の長尾顕長に招かれてこの開発にあたり、荒山小左衛門らも協力したと伝わります。墓は館林市にあり、群馬県の史跡に指定されています。館林の大谷神社に祀られています。


◆大谷休泊の妻 休泊に正式な妻はいませんでしたが、内縁の妻がいたと伝わります。内縁の妻とのあいだに生まれた作太郎を、熊倉善三郎の養子に出しています。


◆水分神(みくまりのかみ) 水の分配をつかさどる神です。山から流れ出る水の分かれ目などに祀られ、大和の吉野水分神社などが知られます。



### 資料との相違点


本作では物語の都合上、次の2点を資料から変えています。


1. 邑楽郡での事業の始まり:資料では、休泊は永禄元年(1558)に館野ヶ原の開墾と植林を始めたとされています。本作では、永禄3年(1560)までは新田で用水の絵図を作っていたことにしています。

2. 熊倉善三郎の身分:資料では、熊倉善三郎は成島村の人で、休泊から人夫の取り締まりを任されていたとされています。本作では、横瀬家の普請方の奉行として描いています。


【参考文献】

『群馬県邑楽郡多々良村誌』群馬県邑楽郡多々良村役場、1928年2月15日

『太田市史 資料編 中世』太田市, 1984年

『太田市史 通史編 中世』太田市, 1984年

『高山彦九郎全集 巻1小俣行』 高山彦九郎先生遺徳顕彰会 博文館 1943年

『群馬県史 資料編5中世1古文書・記録』群馬県 1978年

『群馬県史 資料編7 中世3編年史料』群馬県 1978年

「中世末北関東における百姓」小笠原孝起 立教大学大学院文学研究科史学研究室紀要 2010-01-01

「主君と城を交換するということ :小泉・沼尻合戦における由良・長尾家中の動向」  簗瀬大輔 國學院大學 2023-02-05

「考古学のための上野国長楽寺永禄日記解説 建盞・天目|山小屋」 矢田俊文 中世考古学文献研究会会報 2003/11

「16世紀地域社会における献盃儀礼 『長楽寺永禄日記』『色部氏年中行事』を中心に」  中井 淳史 2001

『群馬県の中世城館跡』群馬県教育委員会 1988

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。