対峙
ひゅうううううん
と空を裂く激しい音が通り過ぎた次の瞬間。
どすっ。
鈍い音がした。
「は――」
菅野の足元の砂利に、槍が一本、斜めに突き立っている。
穂先のそばに、何かが落ちていた。
弓である。弓を掴んだままの、手である。
「――ぎゃあああああっ」
菅野が叫んだ。
右の袖が、あるべきところで終わっている。血は、少し遅れて噴き出した。
「腕が。腕が、わしの腕が」
菅野が膝をつき、残った左手で袖を押さえてのたうつ。
翼には、何が起きたのか分からない。
地が鳴った。
蹄の音である。
篝の輪の外から、一頭の馬が跳ねるように飛び込んでくる。
篝を越えた。火の粉が散る。
馬は刑場の真ん中へ駆け込み、桐生の者たちと翼たちとのあいだで、前脚を振り上げて止まった。
馬上に、若い侍がいる。
侍は鞍から身を乗り出して、地に突き立った槍の柄を掴んだ。
ずっ、と引き抜く。
穂先から血が垂れた。その槍を、白みはじめた空へ高々と突き上げる。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目に見よ」
よく通る声だった。河原の端まで届いている。
「我こそは新田金山城主・横瀬信濃守が孫、横瀬掃部助が嫡子、横瀬勘九郎成高なり!」
この古臭い名乗りの理由が、時間稼ぎだということは皆が理解できるが、桐生勢の誰も動けない。
翼は、その隙をついて、網の腕を引き、新左衛門のもとへと連れ寄せて抱き合う。
その周りを弥太郎と南小二郎が塞ぐように立った。
「勘九郎従兄さま」
翼が声をかけると、馬上の侍は振り返らず、持っていた槍を桐生勢へと振り下ろす。
「東毛随一の槍の使い手とは、我のことなり。今、この槍の錆になりたい者は、前へ出よ。いざ、尋常に勝負せん」
桐生の者たちが、じり、と下がった。
誰も前へ出ない。
「何をしておるっ」
砂利を擦る音がした。
声をあげたのは菅野大膳だった。
尻を地につけたまま踵で砂利を掻いて、後ろへ、後ろへとずり下がっていく。押さえた右の袖が、赤く濡れていた。
「あやつを射殺せ。射殺さんか」
郎党たちが顔を見合わせる。
一人が、しかたなく矢を番えた。二人目も続く。
そのとき、蹄の音が、今度は波のように押し寄せた。
篝火の先から、二十騎ほどの騎馬が一斉に刑場へなだれ込んでくる。
どどどどどっ。
と、蹄が砂利を跳ね上げ、篝が倒れ、河原が揺れた。
十方紋の旗印が見える。
横瀬家の旗だ。
「新田勢だ」
「なぜここに」
桐生の郎党達がうろたえる。
番えかけた矢が、力なく放たれた。
一本は砂利に落ち、一本は誰もいないほうへ逸れていく。
それが合図だったように、桐生の者たちが背を向けた。
「無理だ」
「多すぎる」
逃げていく。
騎馬の群れが、左右へ割れる。
そのあいだから最後の一騎が、ゆっくりと刑場へ入ってきた。
この軍勢を率いている、金山城主・横瀬成繁である。
「追え」
成繁が言った。
騎馬が一斉に向きを変えて、逃げる桐生の者たちを追っていく。蹄の音が遠ざかる。
成繁は、そこで初めて翼のほうを見た。
「翼」
「お父様。なぜ――」
「輝子から急使が来たのだ」
翼が南小二郎の方をみる。
「誰にも言うなとは命じられておりません」
それもそうだ。
「全くお前は一体なにをしている」
成繁の低い声が翼の耳に痛い。
翼が口を開こうとしたとき、成繁の側へ勘九郎が馬を寄せてくる。
成繁の後ろには遅れて合流した叔父の長繁も集まってきている。
「敵は小勢です。渡良瀬を渡るようですが、追ってこのまま柄杓山まで乗り込みますか」
「ふむ」
勘九郎の言葉に成繁は答えず、渡良瀬川の対岸へ目をやった。
対岸の朝もやの中に、槍と松明の列が延びている。
「桐生の手勢が出張ってきておりますな。すでに大炊助様の元へ早馬が入ったのかと」
それを見て長繁が言った。
「大炊助め、さすがに早いな」
成繁がつぶやく。
「ここで一戦して蹴散らしてやりますか」
新田勢の誰かが成繁に声をかける。
騎乗の侍たちが「そうじゃ」「やるべし」と相槌を打っている。
成繁が髭を指でなぞった。
「なりません」
声がした。
新左衛門が地に手をついて、顔を上げていた。
「ここで戦になれば、堰が壊れます」
「堰か」
成繁は川面を見る。
「踏まれれば終わりでございます。直す間もなく春が来て、田に水が回りませぬ」
そこで息を継いだ。
「来年の米が、実りません」
成繁は答えなかった。
対岸の桐生勢を、長いこと見ていた。
やがて馬首をめぐらす。
「大炊助の目が黒いうちは、まだ河を越えられん。使いを立てろ」
そう長繁に命じる。
長繁が何か言いかけて、口を閉じ、成繁のもとから離れる。
成繁は手をあげて、手勢の全員に聞こえるように大声をあげる。
「和睦じゃ」
篝が、一つずつ落とされていく。
菅野大膳は縛られて、馬の後ろへ繋がれた。
地に落ちた手を、誰も拾わなかった。
菅野は何も言わず、じっと新左衛門を睨んでいた。
新左衛門は、去っていく菅野に目を閉じ頷く。
「一番の悲運は、切り捨てる生き方しか教わらなかった事、かもしれませぬな――」
東から空が青く広がっていく。
日の光が、泥まみれになった翼、網、小二郎、弥太郎、そして新左衛門の姿を映し出す。
新田の兵につれられて、荒山と熊倉の二人が千鳥足で翼たちのもとへ駆け寄ってきた。
かくして。
長い、長い、夜が終わった。
◆菅野大膳 上杉憲政の側近として、江戸時代に書かれた軍記物に名が見える人物です。『鎌倉公方九代記』『異本小田原記』『管窺武鑑』は、上原兵庫助と並べて、憲政に取り立てられて政務に深く口を出した出頭人として描きます。『管窺武鑑』は、憲政の没落後に太田方へ逃れ、そこで殺されたとも記します。同時代の文書では、実名や所領を確かめることができません。
◆遠からん者は音に聞け、近くば寄って目に見よ 戦場で名乗りを上げるときの決まり文句です。軍記物語に見える古風な言い回しです。
◆横瀬信濃守 勘九郎の祖父、横瀬泰繁を指します。成繁の父で、天文十四年(1545)に戦死しました。
◆横瀬勘九郎成高 横瀬掃部助長繁の嫡子で、成繁の甥にあたります。
◆十方 紋の名です。七宝紋の別称とされます。『関東幕注文』には、横瀬氏の幕紋が「丸の内の十方」と記されています。
◆柄杓山城 桐生佐野氏の居城です(現・群馬県桐生市)。桐生城とも呼ばれます。
◆大炊助 官途名の一つです。桐生佐野氏の当主、桐生助綱の官途と伝わります。
◆輝子 横瀬成繁の正室です。館林の赤井氏の出。




