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14.428  作者: 木瓜庵
第2部 水分神
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黒扇子

「あれは、似せ物でございます」


城下の市である、太田宿場の商人はそう言って、両手を膝に置いた。


困った顔を、ひとつもしない。


「一文にも足りませぬ太刀でございました。それを承知のうえで、残りの代は捨ててやろうと申しておるのです。むしろ、有難がっていただきたい」


「そんなわけはございません」


出塚郷の庄屋が膝を進めた。声が高い。


「あれは新田義重公より伝わった太刀にございます。我が家に、代々――」


「では、証文をお出しなされ」


「そのようなものは」


「ございませんな。では似せ物でありましょうよ」


「そんなわけはないっ」


障子から薄明かりが小さな部屋に差し込んでいる。


永禄三年九月、上野国新田郡新田荘金山城城中――


ここは金山城の本丸屋形の脇に建てられた、評定所にある小さな部屋である。


この場の主人である翼は脇息に肘をついたまま、二人を見ていた。


さっきから、同じ話ばかりしている。


あくびをかみ殺す。


脇に控えた南小二郎が、咳払いをした。


翼に向けた咳払いだった。


翼はあわてて肘を外して、背を伸ばした。


「こほん。えっと、ではお二人に麦種のことから伺います」


庄屋のほうを向いた。


「商人どのから借り受けたというその種は、もう蒔きましたか」


「……はい、蒔きましてございます。先月のうちに」


「では、土の中ですね」


庄屋がうなずいた。


今度は翼は商人を見た。


「というわけで返せと言っても、返らないものです」


「承知しています。それゆえ、質としていた太刀を頂戴いたしました」


「期限はまだあったはず。それまでに金を渡す約束でした」


庄屋は食ってかかる。


「無理でしょう。此度の陣立てで、出塚の郷には何も残っておりますまい。ですから私はあの似せ物の太刀を売り、損ではありましたがそれで勘弁いたしますと言っているのです」


「あの太刀がそんな安いはずはないのだっ」


「お二人とも落ち着いてください」


翼は二人を制止して、商人の方を向き直った。


「結局の所その太刀は、もう売ったということでいいのですか」


「はい。売りましてございます」


「取り戻せますか」


商人は、少しだけ間を置いた。


「あれはもう、人の手から手へ渡っております」


「やっぱりそうですか。うーん」


翼は膝の上で手を組んだ。


麦種は土の中にあり、太刀は人の手にある。どちらも、返らない。


「こうしましょう」


翼は姿勢を戻した。


「まず、麦種のほうです」


「まだ受け取っておられぬ代は、金山から出します」


商人が顔を上げた。


「まことでございますか」


「まことです。そのかわり、その麦種は城の物といたします」


庄屋が、口を開けた。


「城の物とした種を、出塚郷へ貸します。返すのは、来年の麦です。商人どのにではなく、城へ返してください」


商人が両手をついた。


「有難き仰せにございます」


「有難くはありません。あなたは、貸した代を受け取るだけです」


庄屋のほうは、まだ膝を崩さない。


「……恐れながら。有難きことにございます。ですが、太刀は」


「それです」


翼はふところに手を入れた。


取り出したものを、庄屋の前へ置いた。


扇子である。


黒い骨の、飾りのない扇だった。要のところが、握りつづけた手の脂で色を変えている。


庄屋がそれを取り、開いた。


商人が横から覗き込んで、そのまま動きを止めた。


「太刀は戻りませんので、かわりに、それを出塚に納めてください。なんとわが父、横瀬雅楽助愛用の扇です」


庄屋は扇を持ったまま、翼を見上げた。


「はあ……し、しかしこれは、横瀬様のもので新田様のものでは……」


つまりは、源家の嫡流と小野の末流では物の価値が違うといいたいのだろう。


「そなたは、我が主を愚弄するのか」


南小二郎の声が飛んだ。


「滅相もございませぬ。滅相も」


庄屋は扇を押しいただいて、額を板に付けた。


それで、話がついた。


これでようやく、翼に任された評定が一通り終わった。


領民たちを残し、障子を開けて、飛び出る気持ちで部屋の外へ出た。


廊下に出るなり、翼は大きく息を吐いた。


「はああ…」


「姫様」


小二郎がついてくる。


「まだ何かありますか」


「脇息に肘をつくのは、おやめください」


「だって、つい癖で」


「直してください。それからあの扇は、いずこから」


「あれはですね。なんと、父上の部屋からです。評定の前に、忍び込んで盗んでおきました」


南小二郎は、しばらく黙っていた。


「実城様がお帰りの折には、それがしも同席いたします」


「いない方が悪いのです」


そう言って翼は廊下を曲がった。


ここから本丸の屋形だ。


屋形は、人であふれている。特に近ごろは出入りが多い。


荷を担いだ者とすれ違い、書状を持った者に道を譲った。


「小二郎どの。父上は、いつ那波から帰られるんですか」


「まだお帰りになりませぬ」


「陣を立ててもうひと月ですよ。帰り道を迷っているんじゃないですか」


「越後の長尾様が厩橋へお入りになってから、沙汰が途切れぬのです。今朝も使いが参りました」


翼は少し歩いてから、また口を開いた。


「それじゃあ母上は、手伝ってくれたり――」


「御台所さまは朝から所務にかかっておられます。手が空きません」


「そうですよね。だから、私が一人公事をやっているわけですから。えっと、じゃあ伯父上はどうですか」


「御屋形とご一緒に那波攻めですよ」


伯父の掃部助長繁は、この前の足利行きの時はついてきてくれたが、普段は父の重臣、簡単に手が空く人ではない。


「むむ……じゃあ、勘九郎従兄(にい)様は、どう」


「勘九郎様は今や家中随一の武芸者ですよ。戦働きに行かないわけないじゃないですか」


「たしかに……」


勘九郎従兄(にい)様は伯父上の嫡男にあたる人だが、正直実の兄より、小さいころから面倒を見てくれていた頼れる人だ。


「うーん、結局私しかいないのか……」


口を尖らせた。


翼にはあともう一人兄がいるのだが、あまり頼れる存在ではない。


「よいではないですか。足利の一件で、姫様は使えるとご覧なされたのでしょう」


翼はむっとした。むっとしたが、違うとは言わなかった。


ふと前を見ると、向かいから、女中が一人歩いてくる。


大きな釜を両手で抱えていて、前がほとんど見えていない。


すれ違いざま、その足がもつれた。


翼は手を出して、釜の底を支えた。


「も、申し訳ございません」


顔を見て分かった。兄の側仕えの、とみてである。


「とみてさん。これは何ですか」


「はい、これは茶釜でございます」


「えっと……なぜ、そんなものを抱えているのですか」


「実は、小太郎様が、館林のお寺から借り受けてこられました」


翼は釜を見た。鉄の肌は古く、蓋の摘みが欠けている。


「面白そうだから、と仰せで。……なんでも、湯が減らぬのだそうでございます。いくら汲んでも減らぬと。化物だと申す者もおります」


翼は額を押さえた。


「もう。本当に兄上は、変わらないですね。気まますぎます」


とみてが、困った顔で釜を抱え直した。


「とみてさん。それは蔵にしまってください」


「え」


「兄上には、借りられなかったと言ってください。寺へは、あとで私が送り返します」


「よろしいのですか」


「いいのです。それから、弟たちには絶対に見せないでください。絶対ですよ」


とみての顔が、目に見えて緩んだ。


「かしこまりました」


とみてと別れて、廊下を進んだ。


すると今度は先のほうに、男が二人いた。


板の上に胡坐をして、頭を下げている。廊下の端に寄って、通る者の邪魔にならぬようにしている。


どうやら目的は翼らしい。なにがしかの新しい出来事を抱えているのだろう。


息つく暇がないとはこういうことなんだなと、翼は実感せざるを得ない。


「えっと……あなたたちは」


男達が口を開く。


「普請方の奉行をしております。荒山小左衛門でございます」


「同じく熊倉善三郎にございます」


「普請方ということは、大谷様のご配下のかたですか。新左衛門様と網さんは、息災でおられますか」


「そのことなのですが……」


二人が顔を上げた。どちらも、埃だらけだった。


「姫様に聞いていただきたいお話がございます」


荒山が言った。


それから、廊下の下のほうへ目を向けた。


つられて、庭を見た。


庭先の土に、女が一人、伏していた。


網だった。

◆太田宿 金山城下の宿場・市です(現・群馬県太田市)。日光例幣使街道などとも関わり、商人が集まりました。


◆出塚郷 新田荘内の郷名です(現・太田市付近)。


◆新田義重 平安末期〜鎌倉初期の武将で、新田氏の祖とされます。源義家の孫とも伝えられます。


◆麦種 麦の種籾です。貸借の対象にもなります。


◆公事 訴訟・裁判・行政上の裁き全般を指します。


◆御台所 正室を指す尊称です。家政や所務に関与することもありました。


◆那波 上野国の地名・豪族名です(現・伊勢崎市付近など)。横瀬・由良氏と同盟・姻戚で結ばれた那波氏の本拠として知られます。


◆厩橋 上野国の城下です(現・前橋市)。長尾景虎(上杉謙信)が関東進出の際に入り、上杉方の拠点の一つとなりました。


◆越後の長尾 越後国の長尾氏です。景虎のち上杉謙信が関東管領を継承し、上野へ進出します。


◆館林 上野国邑楽郡の城下です(現・館林市)。寺社や城下町が知られます。

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