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14.428  作者: 木瓜庵
第2部 水分神
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捕縛

―面白い。よし。やってみろ―


成繁の声が、まだ耳に残っていた。


隣では網が一緒に頭を下げている。蝉が鳴いて、木々の緑が濃い。空は、澄みきって青い。


夏の盛りである。


ばしゃっ。


と、水の音がした。


蝉では、ない。


冷たいものが、顔にかかった。


息が詰まって、咳が出た。咳をするたび、脇腹が痛んだ。


目を開けると、低い天井の板があった。


夏ではなかった。


戸の隙間から風が入って、濡れた顔を冷やしていく。土と、籾殻の匂いがする。


あの夏から、八年が過ぎている。


腕は後ろへ引かれ、背中に柱の角が当たっていた。指を動かすと、割れた爪が縄に引っかかる。


「寝るのはまだ早い」


声のほうへ、顔を上げた。


小屋の中に、男が何人もいた。身なりから、在の侍と知れる。棒を提げている者もいる。


一人だけ身なりのよい男が、前に立っていた。手に、空の桶を提げている。


その後ろに、少年が一人いた。年は十四、五だろうか。こちらを見ていない。奥の机のほうを向いている。


「そろそろ白状したらどうだ」


男は桶を置いた。


「お前は、新田の間者であろう」


「違う」


喉に水が残っていて、声が掠れた。


「では、なぜ佐野の領へ忍び込んだ。何を探っておった」


「田を潤すために、渡良瀬の流れを調べておっただけじゃ」


「岸に杭を打ち、縄を張り、水を張った器を覗いておったな」


男の声が低くなった。


「あれが、田の話か」


「あれは水盛りと申します」


新左衛門は、体を起こそうとした。縄が食い込んで、起きられない。


「土地の高い低いを見るものです。あれがないと、水がどちらへ行くのか分かりませぬ」


男は鼻で笑った。


「そんなわけがあるか」


棒が振り下ろされた。


脇腹に入って、息が止まった。目の前が白くなり、次の息が来ない。


「あんな図面を描いておるのだ。間者のほかに、あるまい」


息が戻るのに、昔よりも時がかかるようになった。


顔を上げて、小屋の奥を見た。


机の上に、絵図が広げてあった。


折り目のところは紙が薄くなり、裏から継ぎを当ててある。線は引き直した跡が幾重にも重なって、川筋のあたりだけが黒い。


八年、あれを提げて野を歩いた。


「あれは、そういうものではない」


新左衛門は言った。息が、まだ浅い。


「ただの、用水の絵図だ」


「嘘をつくな」


男が一歩、前へ出た。棒がまた上がる。


「父上」


少年が顔を上げた。


「これは、その者が申すとおりでございます。広沢の用水の図です」


棒が止まった。男たちが、少年のほうを見る。


読める者がいた。


こんなところに。


「ですが」


少年の声は、落ち着いていた。


「この図には、まだない水路が描かれております」


指が、絵図の下のほうへ滑った。


「新田領との境に、新しい堀を掘る筋がございます」


小屋の中が、ざわついた。


「どういうことだ」


「そんな堀を掘られて、広沢の水はどうなる」


「春の代掻きに、水が回らんようになるぞ」


「その堀は、下に掘る」


新左衛門は言った。


「上の水は減らぬ」


「下流の用水であれば、上流に障りはないかと存じます」


少年が言い添えた。絵図から目を離していない。


「わからんではないか」


別の男が遮った。棒の先が、また新左衛門のほうを向く。


「掘ってみねば分からんのだろう。分かったころには、田が干上がっておるわ」


高さの話をすればよい、と思った。水は、高いほうから低いほうへしか行かぬ。広沢の口は上にあり、掘る先は下にある。


言いかけて、やめた。柱に括られた男の言うことを、誰が聞く。


身なりのよい男が、少年の脇へ寄った。


「わしは広沢の者だ」


新左衛門を見下ろして言った。


「この水で、村が食うておる。減らぬという証を、お前は出せるか」


出せなかった。


八年かけて引いた線が、まだ土の上にないからである。


外で、足音が止まった。


戸が、開いた。


日の光が土間に落ちて、埃が白く見えた。


「図面を燃やし、その男の首を斬ればよいのです。藤生殿――」


身なりのよい男が、振り返った。


「そなたは」


戸口の男は、日に焼けていた。旅の埃を、払おうともしていない。


「柄杓山より参りました。御屋形様の命により、この一件の使番としてまかり越しました」


聞いた覚えのある声だった。


新左衛門は、顔を上げた。


役立たずは要らぬ、と言った男が、そこに立っていた。


男は、藤生と呼ばれた男に一礼した。


「菅野大膳亮憲頼と申します」


それから、新左衛門のほうを向いた。


「久しいな。百姓奉行」


にやりと笑った。

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