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14.428  作者: 木瓜庵
第1部 花祭り
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婚約破棄

鑁阿寺を挙げての灌仏会の大法要は堂の中で行われ、昼をやや過ぎて終わった。


翼には特に語ることがない。


ただ眠たい目をこすっていると読経は終わっていた。


それから伽藍の南東、作庭された心の字の池のほとりに、幔幕が張られる。


法要に参じた者が、ぞろぞろとそこへ集まってくる。


振舞の膳が運び込まれる。


水の面に対岸の松が映っている。


幕の内は二列で、片側に院主達が並び、向かいに来客が並ぶ。


翼の座は来客席の中ほど。伯父の斜め後ろだ。


名代としての役目はもう済んでいる。盃を受け父の名を告げ口上を述べる。


それだけだった。


あとは膳の茶菓子を食べていればよい。


菓子を二つ食べてから、翼は向かいの顔を順に見ていく。


十人ほど並んでいる。


古河公方の家人、東の佐野や西の桐生といった大領主の名代たちだ。


翼は三つ目の菓子に手を伸ばす。


そのとき、向かいの列で一人が立った。


「皆様に、申し上げたいことがございます」


声がよく通る。


あれはたしか佐野の若君だっただろうか。


若いし風体も良い。伯父から聞いていた話通りだ。


さぞ女子にモテるだろうと翼はどうでも良い想像をめぐらせる。


「この花の祭りの下でこそ申すべきことと存じました」


座がざわめきかけて、しかし相手が佐野の名代だと分かると、すぐ静まる。


盃を持ったままの者が、何人か顔を上げる。


「私はこの足利へ参り、まことの愛というものを知りました」


誰かが笑いかける。冗談だと思ったのだろう。翼もそう思う。


だが、当人は笑っていない。


「家の都合で結ばれた縁は、縁ではございません。そうではありませんか」


誰も答えない。答えを待ってもいない。


「故に私、佐野次郎親綱は、長尾但馬守殿の御娘、伊波姫(いなみひめ)との許嫁の契りを、本日をもって破棄します」


池の向こうで鳥が鳴く。それが聞こえるほど、幕の内は静まり返っている。


「かわりに、私に本当の愛を教えてくれた人。この足利の町で出会いました、反物屋伊勢の藤兵衛の娘、初衣(はつい)を妻として迎えます」


馬鹿なのかなこの人――


翼は自分よりも一回りは上の男性に対し、そんな感想を抱く。


隣を見ると伯父の箸が止まっている。


他の来客たちも一様に言葉を失っている。


それから、若君の見ているほうへ、向かいの列の端まで目を向ける。


そこには淡い色の小袖の姫が座っている。背を伸ばして、まっすぐ前を向いている。


膝の前の膳が、寸分もずれていない。


あれが伊波姫――


翼は、その顔に見覚えがある。


今日、一度見ている。

◆灌仏会 釈迦の誕生を祝う法要です。花御堂・誕生仏・甘茶がセットになります。


◆幔幕(まんまく) 屋外の座を区切る幕です。法要後の振舞など、臨時の儀式空間を作ります。


◆振舞の膳 法要などのあと、寺や主催者が参列者へ出す饗応の膳です。席次が家の格を示します。


◆院主 寺院の住職・責任者です。一山に複数の院がある場合、各院の長を指します。


◆名代 当主の代わりに席へ出て、家の名を名乗る役です。盃を受け口上を述べるなど、当主の意思として扱われます。


◆古河公方 鎌倉公方が下総古河(現・茨城県古河市)へ移った足利将軍家の分家です。関東武士の名目上の主君とされ、家人は席次でも重く扱われました。


◆佐野氏 下野国佐野を本拠とする国人です。唐沢山城を居城とし、藤原秀郷流を称します。


◆桐生 上野国東部(現・群馬県桐生市付近)の地名・領主名です。渡良瀬上流の織物・鉱山地帯で、佐野一族の支族などが領しました。


◆長尾但馬守 関東管領山内上杉家に仕える長尾一族のうち、足利を領した家の当主です。足利の城下と鑁阿寺周辺は、この家の支配下にありました。

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