卯月八日
見上げる空が青い。
風はほとんどないのに、花びらが降りやまない。
白い花の一枚が肩に触れ、滑って、地に着く前にまた舞い上がる。
堀の水は花びらで白く縁取られている。
落ちてくる花と、供えられた花で、境内は埋まっていた。
永禄三年卯月八日。
下野足利の町にある鑁阿寺は、朝から花を祝う祭りの賑わいである。
参道には花を売る者が並ぶ。
山から採ってきた躑躅、藤、名の知らない白い花。
買った者は、それを堂の前へ持っていく。
堂の前に、花で葺いた小さな御堂が据えられている。
参る者が、持ってきた花をその屋根へ挿していく。朝から挿し続けているので、屋根はもう花しか見えない。
その花の下に、小さな仏が立っている。片手を天へ挙げた、掌に乗るほどの仏である。
御堂の下に桶が置かれ、桶の中は薄い茶色の湯だった。柄杓が三本。
参る者は順に柄杓を取り、仏の頭から湯を注ぐ。湯は仏の肩を流れて、下の盤に落ちる。落ちる音が絶えない。
香の煙が低く流れて、花の匂いと混ざる。
子供が花を持って走り、僧に叱られ、堀のほうへ逃げていく。
その仏の前に、柄杓を持ったまま動かない少女がいた。
今年で十四になる翼である。
伯父は、法要が始まる前に一度、町の人の列で注いでおきなさいと言った。言われたとおりに並んだ。
並んだが、どうやって、何を思ってこれを注ぐのか、伯父は教えてくれなかった。
柄杓の湯に、花びらが一枚浮いている。
「甘いのですよ」
隣で、老いた僧が言った。いつからそこにいたのか分からなかった。袈裟は着ているが、供は連れていない。
考えを見透かされた気がして少しむっとする。
「私は何も聞いておりません」
「顔に書いてありましたな。よいですか」
僧は桶を指した。
「注いだあとで、飲んでごらんなさい。甘茶と申します」
「どうして、甘いものを注ぐのですか」
「そこにおられる仏は、生まれたばかりのお釈迦様です。生まれたとき、天の龍が甘い雨を降らせたのだそうです。お生まれになった場所は花の園だったとも申します」
僧は自分の柄杓を取り、仏の頭に湯をかけた。手つきに迷いがない。湯の面に花びらが落ちて、仏の肩を伝っていった。
「聞いたとおりにして差し上げねばなりません。だから甘い湯を降らせ、屋根を花で葺く」
僧は屋根を見上げた。
「人は、話に聞いた景色を、そのまま作りたがるものです」
散った花が屋根に降り積もって、挿したものとの区別がつかなくなっている。
「聞いた話が違っていたら、どうなるのですか」
僧は、そこで初めて翼の顔を見た。
「よい問いですな」
そういってにかりと笑った。
翼は仏の頭に湯を注いだ。
湯は肩を流れて、下の盤に落ちていく。
柄杓の底に、花びらが残っていた。
桶からもう一度掬って、口をつける。花びらは唇に触れて、湯と一緒に喉を通っていった。
甘かった。薬のような甘さだった。
顔を上げると、隣に僧はいない。花の向こうを探したが、袈裟の色は見つからなかった。
翼は僧の名を聞けなかったことを少しだけ後悔した。
◆永禄三年 西暦1560年にあたる年号です。室町幕府末期・戦国期の元号で、この年の四月八日が本作冒頭の日付です。
◆卯月八日 旧暦四月八日。釈迦の誕生日とされ、寺では灌仏会の法要が営まれます。のちに「花祭り」とも呼ばれます。
◆下野 しもつけ。現在の栃木県にあたる令制国です。足利の町はこの国に属します。
◆足利(町) 下野国足利荘の中心です。足利氏発祥の地とされ、中世には市と寺社・学校が集まる町として栄えました。
◆鑁阿寺 足利氏の居館跡に建つ真言宗の寺です。堀と土塁が残り、境内の構えは寺というより城に近いです。開基は足利義兼と伝えられます。
◆花御堂 花で屋根を葺いた小堂です。灌仏会で誕生仏を安置するために設けられます。
◆甘茶 誕生仏に注ぐ甘い湯です。誕生のとき天の龍が甘露の雨を降らせたという伝承にちなみます。参詣者も口にしました。




