↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14.428  作者: 木瓜庵
第2部 水分神
PR
14/36

百姓奉行

大谷新左衛門は、山内上杉家の奉行である。


受け持ちは田畑の一切だった。


勧農、用水、荒れ田の起こし直し、年貢、村同士の水争いの裁き、堰の修築、逃げた百姓の連れ戻し。城の者はひとまとめに「百姓奉行」と呼んだ。


憲政が平井を捨てる、一月ほど前のことである。


そのころも、軍議の席にいた。


議題は北条氏康の動きである。誰もが、来たる戦の話をしていた。


その席で、新左衛門は絵図を広げた。


「昨年の旱魃で、西の郷の堰が傷んでおりまする。直さぬまま人夫を取り立てれば、百姓が逃げまする。田が荒れれば、来年の兵粮が——」


「また百姓の話か」


菅野大膳が遮った。座に笑いが起きる。


「北条勢を、堰で止めるつもりか」


「田など、戦に勝ってから耕させればよかろう」


「百姓奉行は百姓と仕事をしておればよい」


上原兵庫助が続けた。


「戦に負ければ、田どころではないのだ」


それを言われると、否とは言い切れなかった。負ければ、たしかに田どころではない。それでも新左衛門は食い下がった。勝っても負けても、人は米を食う。兵も米で動く。


菅野があくびを噛み殺した。


「お前の話は、本当につまらんな。……ですよな、殿」


上座の憲政は、同意もせず、咎めもしなかった。


「兵庫助。次の議題は」


「はっ。次は御嶽の城の守備強化についてですが――」


それで終わりだった。


新左衛門は絵図を畳み、また軍議の続く広間を下がった。


控えの間で、独り、もう一度絵図を広げた。


誰も見ないと分かっていて、それでも広げた。


「おい、百姓奉行。それは、何の図だ」


戸口に男が立っていた。


声の主を見ると、見覚えのある顔があった。新田の領主、横瀬雅楽助成繁だ。


「こ、これは横瀬様」


成繁は憲政公麾下の内では一、二を争う大領を治める上野の国衆である。


「軍議はどうされましたか」


「はっ。あれが軍議なものか。曲学阿世とはあのことよ。つまらなくて退いたわ。もう平井に来ることもあるまい」


そういってどかりとその場に腰を下ろす。


まだ話す気なのか。


新左衛門は居住まいを正した。


「それで、さっきの問いだが、この図は何の図なのだ」


「これは……用水絵図です。水の流れる高さを書いております」


「水。水の流れを書いてどうする」


成繁は絵図を上から覗き込んだ。


「正しく水が流れるよう、整備をするための手掛かりとします」


絵図の上には、山の稜線も城も描かれていない。


土地の高い低いと、川や用水路によって水が流れていく道筋だけが、細かな線で引いてある。


「この絵には……村境がないな」


「水には、人の領分がございませんので」


成繁は、ふ、と息だけで笑った。


「おぬし、変わっておるの」


それだけ言って、出ていった。名も聞かれなかった。


◆勧農 耕作を奨励し、田畑の維持・再開墾を進める施策です。


◆用水絵図 土地の高低と水路の道筋を示した図です。軍事の城郭図とは目的が異なります。


◆国衆 守護・管領などに属しつつ、自領を自治的に治める有力国人です。


◆曲学阿世 学問や議論が権力や世評にこびるさまを非難する語です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。