第9話 ファン一号
「おかえり、未琴」
帰宅すると、俊也が優しく肩からバッグを下ろしてくれる。
「ただいま!今日はね、何もかもがすごく上手くいったわ」
そう抱きついて俊也に告げると、そっと頬にキスが返ってきた。
「そうだと思った。すごくご機嫌だからね」
「んふふふ」
「そんな未琴に、素敵なお客さんが来てるよ」
俊也がそっと顔を覗き込んで嬉しそうに言う。
「お客さん? 誰?」
奥のダイニングの椅子に誰かがいる気配がある。
俊也に手を取られてそっちに向かう。
「おばあちゃん!」
ダイニングの椅子に座っていたのは、役者になる夢を最初から応援してくれていた未琴の祖母だった。
「未琴。お仕事お疲れさま。久しぶりね」
思わず座っている祖母にかけより、強く抱きしめた。
「あらあらあら。さすが、演技派さんは再会の挨拶もドラマチックねぇ」
優しい声で祖母が背中をポンポンと叩く。
背後で、ぱちぱちぱちぱち、という小さな拍手とともにすすり泣きが聞こえる。
「おばあちゃん。会いたかったの」
「私も未琴に会いたかったよ。すごくがんばってるんだねぇ」
小さい頃にしてくれたように、祖母が優しく頭を撫でてくれる。
「おばあちゃん、ありがとう。ずっと、応援しててくれてありがとう」
この言葉を祖母にずっと伝えたかった。
自分のやることを何一つ否定せず『大丈夫、未琴ならできるよ』『すごいね、未琴は天才だね』といつだって温かい言葉を与え続けてくれた、唯一の人。
「あたりまえだよ。私は未琴のファン1号だからね」
そう言って白髪交じりの眉が優しく下がる。
その顔を見ていると、思わず涙が溢れた。
「おばあちゃん。大好き!」
未琴は、涙を流しながら子どものように祖母にすがりついて叫んだ。
「あらあら。いくつになっても、やっぱり可愛い未琴ちゃんだね」
そう言って頭を撫でてくれる優しい手に、少しも涙がおさまらなかった。
未琴は、割れんばかりの拍手と、涙混じりの「素晴らしい!」「なんて感動的なの」という呟き声に包まれ、満足感で胸を一杯にして祖母を抱きしめ続けた。
祖母との再会で気持ちが浮き立っている。
ずっと言えなかった「ありがとう」を伝えることができた。なんて幸せなんだろう。
なんだか、ずっと心の重しになっていた何かが、スポンと外れて体の中を綺麗な空気が淀みなく流れていっているようだった。
職場に着くと、いつものように自分の席でPCを立ち上げた。
入社したころは山積みになっていた書類も、最近はめっきり減って机の上は綺麗に整理されている。
仕事のペースも良くなって、電話の対応に躓くこともない。
給湯室で声をかけたあたりから、他の女性社員にひそひそと陰口を言われることも減った。
勇気を出して、胸を張って行動することは、本当に大事だと思った。
「相沢さん」
気づけば背後に課長が立っていた。
手を止めて振り返り、にっこりと課長に笑みを返す。課長が一瞬驚いたような表情を浮かべた。
「はい。なんでしょう、課長」
課長は気を取り直すように、小さく咳払いをした。
「どうですか? 仕事は慣れましたか? 教育担当の古川さんからは、とても頑張っている、と聞いていますが」
「はい。仕事にも慣れて、順調に仕事ができるようになっていると思います」
未琴がそう明るく答えると、課長は拳を口元に当て、もう一度咳払いをした。
――課長、もしかして緊張してる?
父と同じくらいの男性が、自分を見て緊張して困っている姿に、なんだか可愛らしさを感じてしまう。
「そうですか。とにかく無理のないように仕事してくださいね」
口元に手を当てたままで課長はそう言うと、自分の席へと戻っていった。
他にも社員はたくさんいるのに。私にだけわざわざそんな声をかけにくるあたりで、彼がどんな心情を抱いているか想像がつくというものだ。
「うふっ」
キーボードを叩きながら思わず笑みがこぼれてしまった。
――でも、私には俊也という人がいるから
目の端で、女子社員たちがこちらを見ながら、ひそひそと何かを囁いている。
妬まれても平気だ。
だって、もうすぐこの舞台はクライマックスを迎えるのだから。
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