第7話 祝福の拍手
どのくらいぼんやりと座り込んでいたのだろうか。
真っ暗な部屋に響くインターホンの音に、はっと我に返る。
電気もつけず静かに玄関まで進み、そっと覗き窓に目を当てる。
扉の向こうには、思いもかけない人物が立っていた。
「しゅん……や?」
魚眼レンズのように歪んだガラスの向こうに、別れたはずの俊也が立っていた。
――どうして?
驚いてすぐに扉を開ける。
「なんで……いるの?」
その言葉に、俊也は一瞬目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「そりゃ、なんでって。未琴の家は俺の家だからね」
「え?」
驚く私を背の高い彼が、脇を抱えてヒョイと抱き上げた。
「未琴。どうしたの? 新しい仕事で何か嫌なことでもあった?」
心配そうに顔を覗き込むその表情は、昔と変わらない。
「どうした、どうした? また、監督に無茶ぶりでもされたの?」
「監督って……?」
「今日から新しい舞台の打ち合わせだっただろ?」
「新しい舞台?」
未琴は呆けたように、俊也の言うことをただただ繰り返す。
そんな未琴を、俊也は困った顔で笑いながら見下ろしていた
「相当お疲れだね。よーし、ここは、最古参のファンとして、未琴を癒すことに専念しよう」
ソファに下ろされると、俊也は未琴の足を太ももの上に載せ、優しく揉み始めた。
「痛かったら言って。女優の足に痣を作ったなんてことになったら、大変だから」
そうだ、いつだって俊也は、稽古を終えて帰ると、痛む足や腰を揉んでくれた。
こんな風に。
「俊也。いつもありがとう」
その言葉に、俊也がぷっと吹き出す。
「なんだよ。随分、殊勝だな。いつもなら、“ファン冥利に尽きるでしょ?”とか生意気言うくせに」
「そんな……私、こんなことして貰えるような立場じゃないのに。ごめんね」
いつだって後悔しない日は無かった。どうして彼について行かなかったのか、何にしがみついていいたのか。
「おいおい。泣いてんのか?そんなに今日は辛かったのか?」
「どうして……こんなに優しくしてくれるの?」
ふくらはぎを優しく揉む手が止まる。そして、その手が未琴の頬を優しく撫でた。
「俺は、未琴にいつだって優しくしていたいんだよ。だから泣かないで」
未琴は、頬に触れる手の上に自分の手を重ねた。
「なんだか、すごく長い間、嫌な夢を見ていたみたい」
そう微笑みかけると、俊也も笑みを反し、再び心地よい強さでふくらはぎを揉み始めた。
その心地よさに、いつしか未琴はそっと目を閉じていた。
どこか遠くで、拍手が聞こえた。
ぱちぱちぱちぱち
まるで私たちを祝福しているみたい。そんな風に思いながら、美琴は夢を見ることも無く眠りに落ちた。
◇◇◇
目を覚ますと、畳敷きの部屋に布団も引かず横になって眠っていた。
外は明るくなりかけているが、まだ、朝というには少し早い。
変な体勢で寝たせいで肩は少し痛いようだが、なぜか頭が随分とすっきりしている。
細部は覚えていないが、とても良い夢を見たような気がしていた。
両手を組んで、上に押し上げてストレッチをするように体を伸ばす。
こんなにも余裕を感じる朝は、久しぶりかもしれない。
未琴は、この部屋に引っ越してきて初めて朝食を作り、コーヒーを淹れ、朝のシャワーを浴びた。
小さな鏡台の前には、まるで楽屋でするように化粧品が並べられている。
それを丁寧に手に取り、メイクを始めた。
アイライナーはまつ毛の下、粘膜寄りにしっかり描く。
眉毛は一本ずつ丁寧に。
チークを塗って、ベイキングをした後にシャドウを入れてメリハリをつける。
パウダーをはたき、上からミストをふった。
仕上げにオレンジベースのリップを塗って、笑みを浮かべる。
鏡の向こうに、いかにも自信のありそうな女の顔があった。
ヒールを履き、玄関を出る時。
かすかに、ぱちぱちぱちぱち と拍手が聞こえた。
それはまるで舞台袖から中央に出て来た役者をたたえるような拍手だった。
その音に背を押され、顔を上げ、胸を張り、アパートの階段を下りた。
もし、このお話を好きだ!と思ったらイイねやブックマークを!
気になる、気に入ったと思ったらコメントや評価☆☆☆☆☆,をお願いします。
定期更新を心がけてます。ぜひブックマークを!大変喜びます♪




