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【夏のホラー2026 音】カーテンコール  作者: けもこ


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14/15

第14話 最終公演①

会社からは、今日の午後から週明けまで休みを取るように言われた。


課長は「念のため」と繰り返し、古川は最後まで心配そうに未琴を見ていた。


「相沢さん、一人で帰れる?」

「大丈夫です」


未琴は明るく答えた。


大丈夫。


その言葉を、今日だけで何度口にしただろう。


大丈夫です。

少し疲れているだけです。

週明けからはちゃんと仕事します。

ご迷惑をおかけしてすみません。


どれも、自分の口から出た言葉なのに、自分のものではないように聞こえた。


会社を出ると、昼下がりの陽射しが眩しかった。


駅へ向かう人の流れ。

信号の電子音。

自転車のブレーキ。

遠くで子どもが笑う声。


世界には、たくさんの音が転がっている。


けれど、そのどれもが、薄い膜の向こう側から聞こえているようだった。


バス停のベンチで陽射しを避けながら、カバンの中の携帯を探る。


俊也からのメッセージは、まだ画面の中に残っていた。


『久しぶり』

『変な話だけど、昨日、君の夢を見て。すごく気になって。元気にしている?』


未琴は、じっとそのメッセージを見つめていた。


返信をどうすればいいか。


元気にしてるよ。

俊也は?

どんな夢を見たの?


けれど、文字を打つ前に指が止まる。


もし、返信したら、何かが決定的に壊れてしまう気がした。


俊也は、部屋にいるのに。


毎晩、未琴を迎えてくれる俊也。

優しく笑って、未琴のすべてを肯定してくれる俊也。


あれは……あの俊也は……


バス停を離れ、再びゆっくりとした足取りで、返信を打てないままの携帯を握って歩き出す。


アパートへ帰り着くころには、日は少し傾きかけていた。


古い階段を上る。

触れた手すりが、ひんやりと自分の意識を冷やしているように感じた。


二階の廊下は、昼間なのに薄暗い。

共用灯は消えているはずなのに、足元だけがぼんやりと白く浮かんで見える。


二〇六号室。自分の部屋の前に立つ。


隣の二〇七号室の郵便受けは、古いビニールテープで塞がれたままだ。


未琴は、鍵を出そうとして、ふと手を止める。


聞こえた気がした。


こつ。


床を踏む音。


ぎい。


椅子を引く音。


すう、と息を吸う音。


「……まだ、開演には早い時間だよ」


未琴は小さく呟いた。


その瞬間、二〇七号室の内側から、小さく笑う声が聞こえたような気がした。


未琴は息を呑んだ。


しかし、怖いとは思わなかった。


むしろ、自分の舞台を待つ人がいる喜びが、ふわりと胸に湧く。

舞台袖で出番を待っているときの感覚。


暗幕の向こうで客席がざわめき、照明係が合図を送り、誰かが「次、出番」と囁く。


あの瞬間の緊張。

あの瞬間の高揚。


鍵穴に鍵を差し込み、回す。


扉を開けると、部屋の中は真っ暗だった。


昼間のはずなのに。


「ただいま」


未琴が言うと、奥から俊也の声がした。


「おかえり、未琴」


その声を聞いた瞬間、胸の奥に明かりが灯ったような気がした。


未琴は靴を脱ぎ、部屋に上がった。


扉が背後で静かに閉まる。


その音が、ひどく遠くに聞こえた。

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