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【夏のホラー2026 音】カーテンコール  作者: けもこ


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13/15

第13話 台本のない朝②

「お仕事が変わって、負担を感じる方はたくさんおられます」


促されたまま再び席についた。


「家で、ちゃんと眠れていますか? 食事は?」

「食べています」


そう答えたが、昨日何を食べたのか思い出せなかった。

 

 俊也がいた。

 祖母がいた。

 何か楽しい話をして、たくさん笑った。


食卓に、何が並んでいたかしら


未琴は、思い出そうとした。


霞がかかったように記憶がぼんやりしている。


「お一人暮らしだとなかなか日々のストレスを解消できませんから。つらい時はだれかに吐き出すといいですよ。ご家族でも、友人でも……」

「一人じゃありません」

「誰かとご一緒なんですか?」

「俊也が……彼が……」


言ってから、未琴は息を止めた。


俊也。


 毎晩、家で迎えてくれる人。

 優しく足を揉んでくれる人。

 頬にキスをしてくれる人。

 未琴をいつでも褒めてくれる人。


でも、俊也とは、三年前に別れた......


彼は、実家の家業を継ぐために、地方へ帰ったはずだ。


未琴は、膝の上で手にした名刺を携帯に重ねて握りこんだ。


なぜ、いま同じ部屋にいるのだっけ。

どうして、昨日までそれを不思議だと思わなかったのだろう。


そのとき、手の中の携帯が震えた。


会議室の静けさの中で、短い通知音が鳴る。


未琴は反射的に画面に目を落とした。


――俊也


指先が冷たく感じる。


未琴は震える指でメッセージを開いた。


『久しぶり』


その文字をじっと見つめているうちに、再びメッセージが浮いてくる。


『変な話だけど、昨日、君の夢を見て。すごく気になって。元気にしている?』


その一文を、何度も読み返した。


>変な話だけど。

>君の夢を見て。

>元気にしている?


おかしい。


だって俊也は、昨日も部屋にいたのに。


帰って来た未琴の肩から、バッグを下ろしてくれた。


祖母が来ていると教えてくれた。


笑って、未琴の頬にキスをした。


なのに、どうして今さら「元気にしている?」などと送ってくるのか。


未琴は、震える指でメッセージ履歴を遡った。


その前のやり取りは、三年前で止まっていた。


『ごめん。やっぱり私は、まだ劇団をやめられない』

『そっか。わかった』


その下に、今日のメッセージがぽつんと浮かんでいる。


未琴は画面を見つめたまま、息ができなくなった。


これは、何?

じゃあ、部屋にいる俊也は?


「相沢さん」


葛城の声が遠く聞こえた。


未琴は、顔を上げた。


会議室の壁が、歪んで暗くなり、白いはずの壁が、重たい幕のように波打っている。


ぱち


どこかで、手が鳴った。


未琴は、肩を震わせた。


ぱち、ぱち


続けて、拍手が増える。


「相沢さん、どうかされましたか?」


葛城が心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめている。


拍手が消え、ざわざわとした囁き声が聞こえる。


未琴は、耳を塞いだ。


「やめて……」

「相沢さん」

「違う。違うの。俊也は、家にいるの。昨日もいたの。おばあちゃんも来てくれて、私、ちゃんとありがとうって言えて、それで……」


言いながら、自分の声が崩れていくのがわかった。


頭の中に響く喧騒が大きくなっていく。


ざわざわ、ひそひそ


見えない客席が、会議室の壁の向こうに広がっていく。


その中に、低い声が混じった。


――幕間が長すぎます。


未琴は息を呑んだ。


目の前で、不審そうな表情のままこちらを見つめている葛城の後ろに、薄暗い壁が深く奥へ広がるように見えた。


「拍手が......」


その顔を見た時、葛城には聞こえていないのが表情でわかった。


聞こえているのは、自分だけ。


未琴は、携帯を握りしめた。


画面には、俊也からのメッセージが表示されたままだ。


返信欄の中で、カーソルだけが点滅している。


未琴は返信を打とうとした。


けれど、指は動かなかった。


代わりに、口元が勝手に持ち上がった。


笑ってしまう。観客を安心させるように。


未琴は顔を上げて、葛城を見て笑みを浮かべた。


「大丈夫です」


自分の声が、ひどく明るく響いた。


「少し、疲れているだけだと思います」


その瞬間、拍手がわっと沸き起こった。


まるで、場面を盛り上げる素晴らしい台詞が、観客に届いた時のように。


葛城が、何かを言っている。


けれど、未琴にはもうその声は聞こえなかった。


聞こえてくるのは、歓声と拍手だけだった。

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