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339. 餌

ディオニシウスは縛られた両腕で自分の胸元をとんと叩き、顎を思いきり持ち上げた。乱れた白いペリウィッグの下でぎらつく瞳には、世を見下ろす天才の傲慢さが、ありありと満ちていた。


「愚かな貴様にも分かるように言ってやろう! 密閉した釜に水を満たして火を焚けば、煮え立つ湯は蒸気に変わり、それが猛烈な圧力を生み出す。その巨大な気体の膨張力を使ってシリンダーを押し上げ、その垂直運動を回転運動に変えて、巨大な水車を回転させる。そうやって船が流れを切り裂き、前へ進む仕組みだ」


老人は指で宙に仮想の軸と車輪を描きながら、得意満面に顎を揺らした。


「櫂を漕ぐ人夫が100人束になっても真似できん、神の馬車だということだ!」


イヒョンは黙々と老人の説明に耳を傾けた。


産業革命初期の蒸気機関の作動メカニズムを、ただ1人で導き出した老人の直観は、実に驚くべき水準だった。


イヒョンは眉一つ動かさず、心から感嘆したふりで、ゆっくりと頷いてみせた。


「……水を沸かして生じる気体の膨張で、鋼鉄の水車を回転させる、と。実に大したご発想ですね」


イヒョンの感嘆が、洞穴のような切り株の中を柔らかく響かせた。


自らの一生一代の大作に注がれる賛辞に、老人の口角がひくりと動いた。


荒々しく逆立っていた白髪の老人の目つきから、濃い疑いの毒気が、いくらか和らいでいった。世の人々から嘲笑ばかりを浴びてきた老人にとって、この落ち着いた青年の真摯な肯定は、固く閉ざされた心の閂をするりと解く妙薬も同然だった。


「ふん、貴様が口先だけの世辞を並べておるのかは分からんが、ほかの連中とは違うことだけは確かだな」


老人が息を吐きながら、座り直した。


だが、すぐに老人の皺の寄った眉間が深く歪み、声の端に濃い挫折と悲痛が滲み出た。


「だが、最初の問題はまさにこれだった。実験室ではシリンダーが内部の圧力をじつによく耐えてくれた。だが実戦では……あの巨大な船を荒い川の流れの上へ押し上げるだけの十分な力を引き出すには、わしの考えより高い圧力が必要だったのだ。くそっ! 近くに船を浮かべられる川がなく、実験を十分にできなかったのが心残りよ」


老人は血の瘡蓋のできた自分の指を撫でながら、言葉を継いだ。


「その圧力に、シリンダー室と弁室がついに耐えきれなかった。シリンダー室が熱と圧力に負けて膨れ上がる現象が起き……弁の隙間から蒸気が噴き出して、爆発するようにねじ曲がったのだ。結局、その衝撃の余波で、動力を伝えていたクランク軸まで折れてしまった」


説明を終えた老人は苦々しく舌打ちをすると、すぐに何事もなかったかのようにねじれた笑みを浮かべ、イヒョンを横目で睨んだ。


「まったく、わしはこんな湿った穴ぐらに放り込まれて、いったい何を馬鹿げたことをしておるのか。草の根でも掘って歩く無知な薬草採りごときが……このように高潔で深遠な機械工学の悲劇を、理解できるとでもいうのか?」


老人の唇の間から、嘲り混じりの皮肉がぽんと飛び出した。


だが、イヒョンは不快な色すら見せなかった。


彼は頭の中で、ディオニシウスの語った問題点を、じっくりと考えはじめた。


『高圧ボイラーの引張強度不足、シリンダーの熱間変形、そして不均一な鋳造鋼材によるクランク軸のせん断破壊』


地球の近代工学史においても、数十年にわたって数多の技術者の頭を悩ませてきた、典型的な『材料力学の壁』だった。


イヒョンの口元に、ふと薄く滑らかな弧が描かれた。


「……面白い話を一つ、して差し上げましょうか」


イヒョンの低い声が、静かな闇を切り裂いた。


老人が鼻を鳴らし、顎を持ち上げた。


「ふん! 穴ぐらに閉じ込められた身の上、時間だけは有り余っておるからな、どれ、ひとつほざいてみろ。どんな情けない話か、聞いてやろう」


イヒョンはランプの炎をじっと見下ろしながら、しばし間を置いた。


ゆっくりと顔を上げたイヒョンの黒い瞳が、ディオニシウスの視線を正面から射貫いた。


「コランに、瞬く間に炎を噴き出す『火薬』と、鉄の塊の弾を撃ち出して城壁を打ち砕く『大砲』を作った職人がいます」


世界が止まったような静寂が降りた。


老人の鼻っ柱の高い傲慢な表情が、その刹那に凍りついた。


「……!」


ディオニシウスの顎が強張り、落ち窪んだ眼窩の中の瞳が、提灯のように飛び出した。


息の詰まった老人の顔から、血の気が瞬く間に引いていった。


「……な、何だと……? 大砲‼」


老人の乾ききった唇の間から、引っ掻くような破裂音が漏れ出た。


揺らめく油ランプの橙色の炎が、血の気を失った老人の青白い顔の上を、乱れるように舐め下ろしていった。


切り株の倉庫の中、飢えと恐怖に疲れ果てて眠った商人たちの、均等な寝息だけが低く垂れこめる闇の中で、ただディオニシウスの呼吸だけが、獣のように荒く激しく膨れ上がっていた。


火薬、大砲。


エペリア大陸には決して存在してはならない、この世界の秩序を根こそぎ揺るがす言葉が、老人の固く閉ざされた魂の壁を、容赦なく叩き壊していた。


ディオニシウスは魂の抜けた表情で固まっていた。乱れた白いペリウィッグの下にあらわになった顔は血の気が引いて青白く、床を引っ掻いていた痩せた指までもが、かすかに痙攣した。


イヒョンは、その凍りついた老人の顔をじっと見据えながら、落ち着いた声で話を続けた。


「炭と硫黄、そして硝石を精密な比率で細かく挽いて一つに混ぜ合わせれば、小さな火花を散らすだけで、瞬く間に爆発する黒い粉が生まれます」


低い口調ではあったが、切り株の内壁を伝って染み込んでいくイヒョンの言葉の一つひとつには、重みが宿っていた。


「その爆発の膨張力をただ一方向にのみ集め、重い鉄の塊の弾を数百歩の彼方へ撃ち出すには、想像を絶する内部の圧力に耐えられるだけの、分厚く均一な砲身をまるごと鋳造しなければなりません」


「そ……それくらいは知っておる。だが火薬と大砲とは、それがここにも存在するというのか……」


イヒョンは、ディオニシウスの呟いた言葉を聞き逃さなかった。


『ディオニシウスは地球から来たのが確実だ。火薬と大砲について知っている。この反応を見るに、エペリアでは火薬と大砲について聞いたことがないのは間違いない』


イヒョンは高鳴る胸を鎮め、落ち着いて言葉を継いだ。


「もし砲身の厚みが均一でなかったり、湯を注ぐ過程で内部に微細な気泡でも混じり込んだりすれば……火薬に火が点いたまさにその瞬間、鉄は圧力に耐えきれず、自ら粉々に砕け散って爆死してしまいます」


イヒョンの黒い瞳が、ランプの明かりの向こうで冷たく光った。


「だからこそ、耐火粘土で一寸の狂いもない精密な鋳型を組み上げ、不純物を取り除いた高温の湯を、ただ一度の呼吸で注ぎ込まねばなりません。冷えていく過程で金属組織がねじれないよう、冷却速度まで完璧に計算して制御し、精密に内側を削り出す工程を経て、ようやく破裂しない砲身が完成するというわけです」


「……ああ」


ディオニシウスのからからに乾いた唇が、半ば開いた。


単に想像でこしらえた戯言ではなかった。


火薬の組成比率、圧力の集中と制御、そして超高圧に耐えるための鋳造欠陥の防止と熱処理による冷却制御まで。


それは実際に火と鉄を扱い、極点の圧力を御したことのある者だけが語りうる、精密な冶金学の真髄だった。


息詰まる沈黙が降りた。


老人は顎をがたがたと震わせながら、しばらく何の言葉も継げずにいた。


老人は何かに憑かれたように、縛られた両膝をずるずると引きずって、前へぐいと身を傾けた。


目と鼻の先まで近づいてきた老人の荒い息遣いから、鉄の生臭さと土の匂いが、むっと押し寄せてきた。


「……か、火薬の爆発に……耐えきる砲身、か……」


老人のかすれた声が、細く震えながら漏れ出た。


血の瘡蓋のできた指が、宙を撫でるようにぶるぶると震えた。


「そのような圧倒的な鍛造と鋳造の技術であれば……それほどの熱と膨張の圧力を、欠陥なく耐えきる鋼を練り上げることさえできれば……!」


老人の脳裏の中で、途切れていた数式と図面の断片が、猛烈な速さで再構成されていった。


砕け、ねじれたシリンダーの破片、高温の蒸気に耐えきれずに引き裂かれていった弁室の、無残な傷跡。その技術的難題を一息に解決する、奇跡の鍵がここにあったのだ。


「わ……わしの蒸気機関のシリンダーと弁室を壊した、あの忌々しい問題も……ことごとく解決できるではないか!」


老人の痩せこけた顔に、血色が差した。


皺の寄った目元からのぞく血走った両の瞳が、漆黒の地下牢の闇をことごとく焼き尽くさんばかりに、爛々と燃え上がった。


だが、漆黒の闇を呑み込まんばかりに燃え盛っていた老人の眼光は、長くは続かなかった。


ランプの炎が震えると、骨と皮ばかりに痩せ衰えた老人の顔の上に、黒雲のような濃い葛藤が垂れこめた。


提灯のように見開かれていた瞳孔が、不安定に揺れ動いた。


開いた唇の間から漏れ出る息遣いは、荒く途切れては、またつながることを繰り返した。


老人の頭の中では、2つの巨大な欲望が、残酷に衝突していた。


生涯を狂人と後ろ指をさされながらも、血と肉を削って積み上げてきた畢生の大作。それを完成させるためにこの得体の知れない青年と相談しようとすれば、自らの血肉も同然の独創的な着想と設計を、余すところなくさらけ出さねばならなかった。


だが、目の前に突きつけられた餌から目を背けて口を閉ざせば、足を引っ張っていた材料の限界と、絶望的な難題を、永遠に解けぬままになるはずだった。


知識に飢えた変わり者の職人にとって、それは命を刃の上に載せるよりも残酷なジレンマだった。


「……う、うむ」


老人の喉から、絞り出すような呻き声が漏れ出た。


爪の下が真っ黒に染まった指が、手に握っていた折れた木片を、苛立たしげに床に押しつぶした。ぱき、ぱきという音とともに木目が折れ、土の床へ破片が飛び散った。


血の瘡蓋のできた下唇を細かく噛み締めていた老人が、イヒョンの視線を避けて、ぱっと顔を背けた。


「……ふむ! し、しばし……しばし考えてみねばならん!」


突き放すように言葉を吐き出した老人は、縛られた体をよろめかせながら、もともとうずくまっていた、もっとも暗く湿った隅へと這い込んでいった。


老人は巨大な木の根が突き出た壁面に背をぴたりとつけたまま、骨の節が浮き出た両膝を胸元へぐっと抱え込んだ。


そうして、針鼠のように体をすっかり丸め、膝の間に鼻を突っ込んだ。


「……単発鋳造の収縮率……冷却速度を制御すれば結晶粒が微細化するだと? ありえん、湯の温度が下がる前に、どうやって気泡をすべて抜くというのだ……いや待て、耐火粘土の通気性を調節すれば……」


聞き取れない数式と冶金学の語が、老人の唇の間から絶え間なく溢れ出した。


狂気じみた呟きは止まらなかった。


イヒョンは、その奇妙で凄絶な姿を黙々と見守った。


その表情には、焦りや苛立ちなど、髪の毛ほども滲んではいなかった。


イヒョンはわざわざ老人に歩み寄って口を開くことも、急かすこともせず、静かに視線を引き戻して、床のランプの弁をごくわずかに回し、炎を落とした。


餌はすでに喉の奥深くまで食い込んでいた。釣り糸を無理に引き上げずとも、疲れ果てた魚は、いずれ水面まで上がってくるに違いなかった。


急ぐ理由など、ただの一つもなかった。


イヒョンは、狂気じみた数式の沼に沈み込んでいった老人から、静かに視線を外した。


湿った土の床に手をつき、向かいへ体を巡らせると、いまだ両の手首を縛られたまま壁にもたれていた商人の、疲労に濁った顔が闇の中にあらわれた。


イヒョンが低く口を開いた。


「この野営地の人々について、何かご存じのことはありませんか?」


商人がびくりとして、固く閉ざされた分厚い扉のほうを横目で見た。


外から聞こえてくるかすかな虫の音と、歩哨の靴音が、湿った土壁を伝って鈍く響いた。


商人は顎の乾いた髭をもてあそびながら、しばし深い思案に沈むと、耳元に触れんばかりに密やかに、声を絞り出すように落とした。


「断言はできんがな。わしの見立てでは……あの連中はおそらく避難民の群れだろう。それも、ずっと北の高原地帯から追われて下ってきた者たちだ」


「避難民、ですか?」


イヒョンの黒い瞳が細くなった。


「なぜそう思われるんです?」


「商人の目をごまかすのは難しいものさ」


商人が縄に縛られた指をもぞもぞと動かしながら、一つずつ折って示した。


「まず、あいつらの顔つきだ。この辺りに住む人間は、肌が銅色に濃く焼けるものだ。だがあの連中は、揃いも揃って陽に当たったことのない人間のように、肌の色がやけに白く青白い」


商人が人差し指をもう1本立てて、言葉を継いだ。


「2つめは身なりだ。この大陸の中西部地域では、絶対に着ない山獣の分厚い毛皮のチュニックを着込んでいるんだ。ずいぶん擦り切れてはいるが、北部の遊牧民か、山岳地帯の人間の衣だということは間違いない」


商人の声が、いっそう重々しく沈んだ。


「そして決定的なのが……あいつらが互いを呼んだり、悪態をついたりするときに混じってくる、あの強い訛りだ。北部三国の国境地帯の方言が、実にあからさまに滲み出ておる」


商人の指摘に、イヒョンは昼間、野営地に足を踏み入れながら無意識のうちに走査していた光景を、頭の中で素早く再構成した。


『……なるほど』


パズルの断片が、隙間なく噛み合った。


荒々しい傷跡を持つ屈強な男たちの鼻と耳、そして頬に残っていた、黒ずんだ赤い痕。


陽に焼けたものとは明らかに違う、凄まじい寒冷地に由来する青白い肌の質。そして脂気が乾ききって、ごわごわになった獣の毛皮を繕って着た装いまで。


商人の観察は、イヒョンが医学的・身体的に捉えていた身体の徴候と、完璧に一致していた。


専門的な訓練を受けた傭兵でも、略奪ばかりを事とする凶暴な盗賊の群れでもなかった。


生き延びるために、誰にも知られず森に居を構えて暮らす避難民の一団。


イヒョンの眼差しが落ち着いて沈み、核心へ切り込んだ。


「あの険しく遠い北の地から、幼い子どもや老人まで引き連れて、なぜこの遥か南西の森まで逃れてくることになったのか、思い当たる理由はありますか?」


商人は苦々しい表情で、縛られた肩をすくめてみせた。


「そんな深い事情まで、この忌々しい場所に閉じ込められているわしに分かるはずもなかろう」


商人の唇の間から、地の抜けるような溜め息が漏れ出た。


「ただ……領主どもの苛烈な税の搾り取りに耐えかねて夜逃げしたか、北部山脈を荒らし回る凶暴な盗賊の群れに故郷の地を根こそぎ焼かれて追われたか、そんなところがいちばんありふれた話じゃないか」


イヒョンは固く閉ざされた木の扉の向こうを見据えながら、静かに目を閉じた。


帰る場所も、失うものもない避難民たち。


彼らが、見知らぬ者たちの馬車の車輪に傷つけられた幼い子どもをめぐって、あれほどの敵意と殺気を噴き出していた理由が、分かる気がした。



読んでくれてありがとうございます。


本業の都合により、小説の投稿時間が不規則となっております。

ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。


読者の皆さまの温かい称賛や鋭いご批評は、今後さらに面白い小説を書くための大きな力となります。


お読みいただき、楽しんでいただけましたら、ブックマークやコメントをお願いいたします。


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