331. 変装
イヒョンはわざと表情をめいっぱい緩めたまま、顔いっぱいに嬉しそうな色を浮かべてみせた。
「ああ。こんなところに村があったんですね! よかった……こんにちは」
みすぼらしい薬草採りに見えるよう、革の背嚢を斜めに担ぎ上げて、イヒョンは人々に向かって明るい声で挨拶をしながら近づいていった。
その後ろから、ライルが体をすっかり縮こまらせ、もじもじしながらついて入ってきた。
震える瞳と、ぶるぶると震える脚。
ライルのその本能のおかげで、2人が演出した『道に迷った薬草採り』という偽装は、いっそう自然なものになった。
だが、野営地の反応は冷ややかだった。
一瞬だった。
四方から足音が同時多発的に聞こえてきたかと思うと、木の陰、天幕、そして小屋から男たちが飛び出してきて、2人を取り囲んだ。
槍の穂先と刃が陽光を受けてぎらりと光った。
「ひっ……!」
イヒョンは両手を頭の上へさっと掲げた。
「う、うわっ! た、助けてください‼」
ライルの悲鳴は半ば本心、いや、実質的に百パーセント本心が混じっていた。
イヒョンとライルに向かって集まった人々のうち、真ん中にいた男がイヒョンのほうへ歩み寄ってきた。
その男の腰から抜き放たれた刃先が、イヒョンの喉の前まで飛んできて止まった。
刃の冷ややかな気配が、イヒョンの首の皮膚のすぐ上、わずか数センチの間隔を置いて静止した。
だがイヒョンは冷静さを失わぬまま、表情だけは完璧に怯えきったように演じた。
イヒョンの喉を狙った男は、鋭い目で彼の手にした薬草と背嚢を厳しく眺め回すと、重々しい声で口を開いた。
「何者だ、おまえらは」
「わ、私は薬草採りです!」
イヒョンはとっさに目を真ん丸に見開いて、声に切なさと戸惑いをたっぷり込めて、一息に吐き出した。
「森で薬草と茸を少し採っていたら……道に迷って、さまよっていたところなんです。どうか危害を加えないでください! 森から出られるよう助けてくだされば、必ずお礼をいたします!」
イヒョンの後ろに立っていたライルもまた、生唾をごくりと呑み込むと、屠殺場へ引かれてきた子牛のように両手を掲げたまま、体をぶるぶると震わせた。こいつの真っ白に血の気の引いた頬と、とろけた瞳は、芝居ではなく本当に感じている恐怖だったので、『道に迷った薬草採りと間抜けな助手』という設定は、わざわざこれ以上語る必要もなかった。
イヒョンの喉に刃を突きつけていた男の眼差しが、わずかに揺れた。
男はしばし何も言わず、傍らに立つほかの男たちと目配せを交わした。
つい先ほどまでぴんと張りつめていた殺気が、イヒョンの名乗りとライルの怯えきった姿と溶け合い、奇妙な探りと油断へとつながっていく瞬間だった。
束の間の静寂が過ぎ、ついに刃を突きつけていた男が、イヒョンとライルの背に掛かった鞄をそっと見やると、手にした刃をわずかに引いて、短く命じた。
「背中の鞄には何が入っている?」
「金になりそうな物は、何もありません」
イヒョンは困り果てたというように肩をすくめ、弱り切った様子を覗かせた。
「ご覧のとおり、薬草と茸がすべてです。出口さえ教えてくだされば、村へ下りしだい、後で必ずお礼をいたします」
口では命乞いの言葉を吐き出しながらも、イヒョンの瞳はただの一瞬も休むことなく、機械のように忙しなく動いていた。
表向きは両手を挙げ、おろおろと懇願する表情を浮かべていたが、横目を使って野営地の隅々と、自分を取り囲む男たちの武装を、精密に検分していた。
彼らの実体は、遠くから観察していたときとは少し違っていた。
人々が握っている武器からして、てんでばらばらだった。
どこかで拾ってきたらしく、あちこちが錆びつき、ところどころ刃の欠けたロングソード。鍛冶場の金床で鍛えられたのではなく、田舎の炉で急ごしらえに打ち出したような、無骨で粗雑な槍の穂先。農具として使われていたと見られる曲がった鎌、そして刃こぼれした斧まで。
遠くから見たときはそれなりに威圧的に揃えられているように見えたが、目と鼻の先で見た彼らの武装の水準は、烏合の衆に近かった。
森へ逃げてきた避難民が、自らを守るために急いでかき集めた、自衛用の武器にすぎなかったのだ。
『だが……頭数は無視できんな』
武器の質はこの上なく粗雑だったが、自分たちを取り囲んでいる成人男性の数は、ざっと見積もっても20人を超えていた。
20人が同時に襲いかかってきたら、それをすべて避けたり叩き落としたりしながら戦うのは、不可能に近かった。やみくもに飛びかかれば、イヒョン本人はもちろんのこと、傍らにいるライルの安全もまた、決して請け合えたものではなかった。
『戦いは避けねばならん』
何より今は、旅人ギルドの試験任務を遂行中の旅路だった。
どこかでギルドの目が、自分たちの一挙手一投足を静かに見張っているかもしれないのだ。
実利と生存、そして名分のすべてを天秤にかけたイヒョンの結論は、明確だった。
イヒョンは両手をゆっくりと下ろしながら、肩に担いでいた重い革の背嚢を、ゆっくりと下ろした。
鈍い音とともに背嚢が地面に触れると、男たちの視線がいっせいに地面へ注がれた。その瞬間にも、イヒョンの瞳は周囲をうかがうことを怠らなかった。
先ほど遠くからイヒョンの視界に入っていた、板の蓋がかぶせられた切り株の貯蔵庫。
その入り口のすぐ前には男が1人、その場を守っていたのだが、招かれざる客が現れて野営地の人間が全員イヒョンとライルのほうへ押し寄せ、騒がしくなっているこの状況でも、その男だけは持ち場を離れなかった。
『あの中に何かある』
ただの食糧などを保管する貯蔵庫であれば、あれほどまでに守って立っている理由がない。消えた職人ディオニシウス一行が、切り株で作った建物の中にいるのは明白だった。
イヒョンの喉に刃を突きつけていた男が、顎をしゃくって、傍らに立つ者へそっと目配せを送った。
「探れ」
「はい」
刃こぼれしたロングソードを手にした男が1人、大股に近づいてくると、地面に下ろされたイヒョンの革の背嚢を乱暴にひったくり、そのまま宙でひっくり返した。
けたたましい音とともに、背嚢の中身が地面の上へ乱雑にぶちまけられた。
乾燥したタンポポの根や柳の樹皮といった薬草の束がこぼれ落ち、瓶に入れておいた消毒薬や、丸薬の詰まった瓶が地面に落ちて転がった。
続いて、火で黒く煤け、取っ手の擦り減った小さな金属の鍋、清潔なリネンの布に幾重にも包まれた包帯と手術道具、そして食糧の干物の切り身が数切れと、硬く固まったビスケット、くるくると巻かれた羊毛の寝袋が、次々と地面に散らばった。
「あれ? 本当に草っ葉とがらくたばっかりだぞ?」
薬材とほろ苦い丸薬の匂いが周囲に広がると、背嚢を探っていた男の警戒心が、かすかに緩むようだった。
だが、男たちの捜索はそこで終わらなかった。別の男が、もじもじと立っていたライルの鞄を強引に奪い取り、地面へ乱暴にひっくり返した。
どさっ!
ライルの鞄からも、ぞんざいに巻かれた寝袋と、いくらかの食糧、そして道端で拾い集めてきたような得体の知れない物やがらくたが、どっとこぼれ落ちた。
そして、そのがらくたの雑然とした山の間から、手垢を吸ってつるつるに光ったリュート、ほかでもないライレンの居酒屋から持ってきたあのリュートが1つ、鈍い音を立てて土の地面の上へ転がり出た。
ぽん、という音とともに地面にぶつかったリュートの弦が1本、澄んだ音を鳴らした。
「……!」
地面に転がる古びたリュートを目にした瞬間、ライルの顔がたちまち、赤いを通り越して真っ青な死人の色に染まった。
「あ、あっ……! そ、それ壊したらダメだって! 俺のリュート!」
ライルが思わず両手を挙げたまま、足をばたばたと踏み鳴らして、おろおろと呟いた。
地面に散らばった背嚢の中身を眺め回していた男の視線が、やがてゆっくりと上へ移り、イヒョンの腰元に据えられた。ベルトに提げられた重々しい武器の輪郭を捉えたのだ。
男が顎でイヒョンの腰を指し示し、ぶっきらぼうに口を開いた。
「そこの腰に提げてるそれも下ろせ」
それまで両手を挙げて従順に応じてきたイヒョンだったが、今回ばかりは素直に動かなかった。
イヒョンはいかにも困ったという表情を浮かべてみせ、ゆっくりと首を振った。
「それは少々難しいですね。道中で何に遭うか分からないのに、武器まで取り上げられたら、私たちはどうやって行けばいいんです?」
「よこせと言ったらよこせ」
傷跡の男の目つきが青黒く歪み、喉元の刃をぐっと押し込んだ。
だがイヒョンは眉一つ動かさなかった。いや、薬草採りの拙い芝居は跡形もなく消え去り、その全身から一瞬にして気配が広がった。
「鞄はかまいません。街へ行って揃え直せばいいことですから」
イヒョンの声が一段低くなった。
「ですが、武器なしに険しい道を行くわけにはいきません。道も教えず、鞄も奪い、武器まで奪うというなら……」
イヒョンはしばし言葉を止めた。
風が木の枝をかすめてさらさらと鳴る音が、やけに大きく聞こえた。
イヒョンの光を帯びた黒い瞳が、男たちの目を一人ひとり精密に撫で下ろし、また撫で上げていくなか、挙げていた手をゆっくりと腰へ運びながら、彼は口を開いた。
「戦うしかないでしょうね。私と私の仲間も無事では済まないでしょうが、それはあなた方も同じことです」
「ひっ……!」
後ろに立っていたライルが息を止めた。
『アニキ、今この状況でそんなイカれたことを……!』
ライルの瞳が、動揺と恐怖で痙攣した。
その瞬間、イヒョンの言葉が終わると同時に、重い静寂が野営地全体を押しつぶした。
イヒョンの喉に刃を突きつけていた男の肩が、びくりと震えた。
これまで従順だった、道に迷ったという薬草採りが、瞬く間に相討ちを覚悟した冷たい捕食者の眼差しへと豹変したことで、イヒョンに刃を突きつけていた男の頭の中も、複雑になったのだ。
彼らは精鋭の軍隊ではなく、森に隠れ住む避難民にすぎなかった。
男たちが提げている刃こぼれした剣や粗雑な槍の穂先では、死を覚悟した相手を損害なしに制圧することなど不可能だった。
たしかに、村を危険に晒してまで、今目の前にいる敵対的でもない者から武器を奪う理由など、どこにもなかった。
男はぴんと張りつめた空気の中で、顔色をうかがうように周りの仲間たちをちらちらと見やった。
イヒョンとライルを取り囲むほかの男たちの顔にも、ためらいと戸惑いが広がっていた。
数秒の、血の乾くような静寂。
ついに男がちっと舌打ちをして、冷たい刃を引いた。そして、しぶしぶ片手で森の一方を指し示した。
「ここから北西へ行けば街道に出る。出ていけ」
「……」
イヒョンが腰から手を離し、ゆっくりと後ずさりしながら、集団から離れはじめた。
傍らに立っていたライルが落ち窪んだ目をしたまま、そろりと体の向きを変えるふりをして、イヒョンの背中にぴたりと寄り、低く囁いた。
「アニキ、これ、ただ荷物を取られただけじゃないか? リュートはどうすんだよ! 俺の大事な宝物が全部、あそこでごみ扱いされてるんだぞ!」
ライルが地面に放り出されたリュートとがらくたを、ちらちらと横目で見た。
「大丈夫だ」
イヒョンが低く、素っ気なく答えた。
「このまま出ていって、夜にまた来て取り返せばいい」
「……夜にまた来るって?」
「あそこの、切り株で作った倉庫みたいな場所にいる、あの男が見えるか?」
「見える」
「あの男は俺たちのところへ来なかった。それはつまり、あそこに守っていなければならない何かがあるという意味だ。おそらく職人の一行だろう」
「職人を救出するとしよう。それで、俺の荷物は?」
「ここの戦力はもう十分に確かめた。夜に忍び込めば、血を見ることもなく一瞬で制圧できる」
2人が野営地の入り口に向かって幾歩か下がったときだった。
「そこの、待て」
低く重々しい迫力のこもった声が、イヒョンの背後から聞こえてきた。
イヒョンは足を止め、ゆっくりと振り返った。
野営地の真ん中、丸太を粗く組んで建てた小屋の内側から扉が開き、50代半ばほどに見える男が1人、重々しい足取りでイヒョンに向かって歩いてきた。
白いものがちらほら混じった黒い髪、がっしりとした体格、そして顔じゅうに深く刻まれた皺。
自分たちを取り囲むほかの男たちとは明らかに違う、長らく人を束ね、組織を率いてきた者ならではの重みが感じられた。
男はイヒョン一行をじっと見つめると、周りの部下たちに向かって、短く片手を振ってみせた。
「武器を納めろ」
「ですが!」
「武器を納めろと言った」
男の断固とした一言に、イヒョンとライルへ向けられていた武器が、かちゃかちゃという音とともに、一つ、また一つと地面のほうへ下りていった。
イヒョンの目と鼻の先まで近づいてきた彼の鋭い目つきは冷ややかだったが、いきなり刃を突きつけてきたほかの連中とは違っていた。何かを推し量るような、探りの目だった。
「薬草採りだと言ったな」
「そうです」
「怪我人も診られるのか?」
「ええ」
イヒョンが短く答えて頷いた。
イヒョンの返事に、男の眼差しがかすかに震えた。男はしばしイヒョンの淡々とした姿と、地面にぶちまけられた薬草や瓶を交互に眺め回していたが、やがてしわがれた声で口を開いた。
「今、村に怪我をした者がいる。その者を診てくれるなら、荷物も返し、森の外まで無事に出られるようにしてやろう」
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