313. 積もる話
「俺の部下どもが、おまえを門前払いしたと聞いてな、俺がどれほど驚いたかわかるか? 心臓が、ひやりと落ちるかと思ったぞ。はっはっは」
ベルティモに付き従ってきた兵たちにとっても、イヒョンの傍らで半ば据わった目のままその光景を見守っていたライルにとっても、誰もが想像した以上に、熱く、型破りな歓待だった。
ベルティモの後に続いて部屋へ入ってきた制服姿の兵たちは、日頃、厳格なことで名の知れた兵団長が、みすぼらしい身なりの若い男を、両腕を広げて歓迎する姿に驚き、互いをぽかんと見合った。
イヒョンについては、ある程度は話に聞いていたものの、あの黒髪の男が一体何者であれば、貿易連合の兵団長が格式さえ忘れて、あそこまで大はしゃぎするのか、と訝ったのである。
ベルティモはイヒョンの肩に腕を回し、気さくに笑いながら兵たちを振り返った。目の下に刻まれた深い傷跡が、喜びに歪んだ。
「よく見ておけ。この御方こそ、1年前、腐敗と堕落で腐り果てていた、このプルベラを、生まれ変わらせてくださった御方だ」
声には、重々しい真心が滲んでいた。
「そのうえ、正体不明のペルトゥスの襲撃から、この都市の息の根を守り抜いた、本物の英雄でいらっしゃる。この俺の目で、直に見届けた奇跡だったのだ」
兵たちの視線が、一斉にイヒョンへと注がれた。
イヒョンは、降り注ぐ畏敬のこもった眼差しが、どうにも照れくさいのか、うなじを軽く掻いた。
「……ベルティモさん。いや、今はもう兵団長でいらっしゃいますね。買いかぶりが過ぎますよ。あの日の英雄は、兵団長です。兵団長がいなければ、私はおそらく、下水道で死んでいたでしょう」
「兵団長だなんて、ただ名前で呼んでくれ。はっはっはっはっは」
イヒョンは微笑みを浮かべて手を振った。
「そうは言っても、就いていらっしゃる役職があるのですから、そういうわけにはいきませんよ」
「いや。もともと俺がどんな生き方をしてきたか、よく知っているだろう? いい歳をして兵団長など務めてはいるが、しかるべき人物が現れれば、俺はいつでもこの地位を譲り渡す覚悟ができている。俺は1年前も今も、クラウラーさ。はっはっはっはっは」
ベルティモは、イヒョンにだけ聞こえるほど低く、言葉を継いだ。
「実はこの服が、やたらと堅苦しくてかなわんのだ」
「くはっはっはっは!」
「プルベラを変えたのだって、兵団長が命を懸けた作戦がなければ、不可能だったでしょう。それに、あの戦いで隊長の後方攻撃の作戦がなければ、今のプルベラは存在しなかったはずです。私一人では、何もできませんでした」
そう言うと、ちらりと、背後で革ベルトを締め直しているライルを振り返った。
イヒョンは、ベルティモにライルを正式に紹介した。
「私の連れであり、最も危険な瞬間にも、進んで背中を預けられる、良き友のライルです」
イヒョンの後ろで、一体何事かという顔でイヒョンとベルティモを見ていたライルは、まだ正確に状況が飲み込めないのか、中途半端な表情で頭を下げた。
「ライルと申します」
そして、ちらりとイヒョンの顔色を窺いながら、遠慮がちに付け加えた。
「見てのとおり……うちの徹底したアニキの下で、それはもう、骨がすり減るほど苦労させられてますよ」
「よろしくな。なりゆきで兵団長なんぞをやっている、ベルティモという者だ。はっはっは。イヒョン、こいつは少々、無茶をするからな。うはっはっはっはっは」
ライルの冗談が、部屋の厳粛な空気をひょいと突き、ベルティモの豪快な笑い声が、宿の古びた天井を揺らした。
ベルティモが、傍らに立つ兵に短く手振りで合図した。
「馬車に、少々用意したものがある。あれを持ってきてくれ」
命令が下るや、兵の一人が部屋の外へ退がると、木の櫃を一つ、慎重に抱えて入ってきた。
櫃の蓋が開かれると、部屋の灯火を受けてきらめく、緑色のガラス瓶が、整然と並べられていた。
ソ・イヒョンの目元が、ふっと和らいだ。
見覚えのある酒瓶だった。
1年前、プルベラでベルティモと向かい合って酌み交わした、まさにあの酒だった。
胸の片隅が、じんわりとした熱を孕んで、温められていった。
「……これは」
イヒョンは低く笑った。
「覚えていてくださったんですね」
「良き友と会って語らうときには、良い酒が要るものさ。惜しむらくは、夜が短いということだな。はっはっは」
ベルティモは頬髭を撫で下ろしながら、豪快に笑った。
「ライル。この酒はな、俺にとっては格別の意味があるものなんだ」
イヒョンの声が、いっそう柔らかく、低く沈んでいった。
「ここにいるベルティモ隊長と初めて、互いの疑いを解いて、腹を割り、それぞれの想いを確かめ合った、その席で飲んだ酒だ」
「酒」という明確な一語が部屋の空気を叩いた瞬間、ライルの顔が、たちまち向日葵のようにぱっと花開いた。
つい先ほどまで、腹がいっぱいだの、湯浴みで全身がだるくなって、朝だろうが夜だろうが起こされることほどあくどい仕打ちはないだのと、布団の中でもがいていた、あのぼやきは、一体どこへ消えたのか、跡形もなかった。
とろんと濁っていたライルの瞳が、きらきらと輝いた。
彼は、イヒョンが完全に異なる世界からやって来た転移者だという、途方もない秘密を分かち合って以来、イヒョンが「意味がある」と認める品には、いつも強い好奇心を覚えていた。
「おお、アニキがそこまで意味を込める酒だなんて! こいつは楽しみだ!」
ライルはごくりと唾を飲み込み、卓の前へとぐっと身を寄せて座り込んだ。
イヒョンは、部屋にある小さな木の椅子のほうへ手を差し伸べ、ベルティモを丁重に案内した。
「むさ苦しいところですが、どうぞお掛けください」
「この前、俺たちが酒を飲んだ、下水道にくっついた地下室に比べれば、ここは宮殿だな。そうだろう? はっはっは」
巨躯の男がどっしりと腰を下ろすと、きしむ椅子の軋みとともに、重厚な革のコートの裾が、床を軽く撫でた。
「さて。カレオストラへ発ったという話までは聞いていたが、ここまでは、どういう風の吹き回しだ?」
「近くを通りかかったついでに、兵団長のご様子が気になって、立ち寄ったのですよ」
「そいつは本当に嬉しい言葉だな。いつくたばってもおかしくない老いぼれ軍人の安否が気になった、とはな。はっはっは」
ベルティモは破顔大笑すると、しばらくして卓に左腕を掛け、斜に構えて座り、少し低い調子で言葉を継いだ。
「さて、挨拶はこのくらいにしておくか。俺は、おまえのことを少しは知っているつもりだが……おまえが動くとなれば、ただの物見遊山ではあるまい」
イヒョンは即答する代わりに、しばし顔を巡らせて、部屋の中をゆっくりと見回した。戸口に不動の姿勢で立つ、三人の精鋭の兵が、順に視界に掛かった。
「兵団長。恐れ入りますが、兵たちを、しばし部屋の外へ退がらせていただけますか」
その瞬間、ベルティモの眼差しが、わずかに変わった。
彼は、エセンビア伯爵領の元騎兵隊長にして、数十年ものあいだ、大陸全体の地下情報網を手中に握って渡り歩いてきた、老練な密輸業者であり、現・貿易連合の兵団長だった。
イヒョンの瞳に降りた落ち着きと、かすかな緊張とを捉えた瞬間、ベルティモは、他人の前では決して切り出せない、密やかで、それでいて重々しい話が始まるのだと、一目で見抜いた。
ベルティモは、まだ扉の前に居並んでいる部下たちを見やった。
「話が長くなりそうだ。俺は自分で引き揚げるから、待機の必要もない」
「はっ、承知いたしました。兵団長。私どもは、お先に退がらせていただきます」
抑制の効いた軍紀の染みついた兵たちは、節度をもって礼を正すと、軍靴の音を響かせて部屋を出ていった。
扉が固く閉ざされると、宿の部屋の中には、ソ・イヒョンとライル、そしてベルティモ、三人の男の息遣いだけが残った。
ベルティモは、卓の上の木の櫃から酒を一本、ずいと取り出した。そして、悪戯心が疼いたような顔をして、にやりと笑った。
「大事な話、込み入って頭の痛くなるような話も悪くはないが……」
ぽん、という澄んだ破裂音とともに、瓶のコルクが滑らかに抜けた。とろりと熟成したウイスキーの香りが、狭い部屋の空気を、なめらかにくすぐった。
「まずは久しぶりに会ったんだ、酒から一杯やろう。重い話は、少しばかり後回しにしたところで、大事にはなるまいからな」
イヒョンは微笑みを浮かべながら、部屋に用意されていたグラスを3つ持ってきて、卓の上に整然と並べた。
ベルティモの分厚い手に握られた緑色の瓶の中から、琥珀色の酒がグラスへと注がれ、酒はグラスから溢れんばかりに、すれすれまで満ちていった。
「アニキが意味があると認める酒だなんて、本当に楽しみだ」
いつの間にか眠気はすっかり消え失せたらしいライルは、きらきらとした眼差しでグラスを握った。三人の男は、仄かな灯火の下で、それぞれのグラスを打ち合わせた。
ちん、という澄んだ音が、部屋の心地よい温もりの中へと散っていった。
ほろ苦く、それでいて重厚な香りを孕んだ酒が、なめらかに喉を伝って落ちていくと、部屋の緊張が、すっかり溶け落ちていくようだった。
イヒョンは、グラスが卓に触れる鈍い音を聞きながら、ようやく、これまで胸の奥に埋めておいた話の糸口を、ゆっくりと解きほぐしていった。
プルベラを離れてたどり着いたバセテロンで始まった話は、自然と、王都へ発った旅へとつながっていった。
「そうして、伯爵領の防衛体制を整備していく過程で……純粋な機械式の装填と、連続射出の構造を組み合わせた火砲、すなわち『大砲』を製作することになったのです」
話を黙々と傾聴していたベルティモが、グラスを手にしたまま、傷跡だらけの目を大きく見開いた。
「城壁さえも一撃で打ち砕くという、あの恐ろしい代物を……本当に、おまえが作ったというのか?」
「私は設計を提供しただけです。実際の製作は、コランで出会った武器製作者にして鍛冶師の、エリセンドが引き受けてくれました」
「コランの武器製作者が、バセテロンまで来ただと? 決してありふれたことではあるまい。武器製作者ともなれば、なおのことだ」
「おそらく伯爵が、レオブラム侯爵に大きな贈り物を送って、連れてこられたものと承知しています」
「なるほど、レオブラム侯爵は、決して甘い相手ではないからな。おそらく贈り物より、もっと大きな取引があったのかもしれん」
「私はただ、原理と設計、そして製作の方向性を伝えただけです。彼女の天才的な才能と、執拗なまでの探究心がなければ、決して形にはならなかったことでしょう」
「ほう……」
ベルティモは、イヒョンの話を聞きながら、しきりに感嘆しては、拍手まで打った。武器の価値を誰よりもよく知るベルティモだからこそ、コルディウムなしに、人間の知識だけで、船を一撃で粉砕するほどの威力を備えた大砲を作り出したという事実に、背筋が冷たくなった様子だった。
「そのすべてが、おまえの頭から出てきたものだったとはな」
イヒョンは淡々と言葉を継いだ。
イヒョンの弟子であるセイラが、エセンビア伯爵の全面的な後援を受けて、最初の近代的な病院にして医学の学び舎、「カレンティス医生院」を建て、整えていった話までを。
「コルディウムに頼る治癒の儀式なしに、純粋な医学の知識と技術だけで、人を救い出す場所」
イヒョンの精緻な指が、グラスの縁を、そっと撫でた。
「治癒神官の奇跡に縋ることもできず、神殿の前の列で死んでいった、数多くの人々のために、あの子が最初の医師となって、そんな世界を作り上げているのです」
ベルティモは、しきりにその巨躯の頭を頷かせながら、深い思索に沈んだ。
数十年ものあいだ、地下情報網と密輸網を築き上げてきた老兵の頭の中では、異邦人の知識によって、エペリアの秩序がどう変わっていくのかを、推し量っているようだった。
隣の席のライルは、いつの間にか酔いが心地よく回って、二人の重々しい話に、ところどころで相槌を打っていた。会話の合間にぽつぽつと口を挟みながらも、先ほどの眠気はどこへやら、きらきらとした眼差しで、時折り自分のグラスをちびりと舐めては、酒宴を楽しんでいるようだった。
そうして、プルベラの夜が、いっそう深まっていった。
イヒョンは、そろそろ、本当の話を切り出すときが来たのだと直感した。
「私がカレオストラへ発った理由も、お聞きになりましたか?」
「詳しくは聞いておらんな。俺もバセテロンにはたまに行くが、日程があまりに詰まっていてな。今月の末にも、全艦隊を率いてバセテロンへ来い、という伝令を受け取ったのだが……おまえの話を聞くに、おそらくあの大砲に関わる件ではないか、という気がしてきたぞ」
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