↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
300/350

300. 密書

ルキウス子爵が、ゆっくりと組んでいた指を解いた。


子爵が首をゆっくりと持ち上げると、窓から差し込んだ陽光が、彼の瞳に反射してきらめいた。ただでさえ鷹の目のように鋭かった面立ちが、いっそう凄まじい威厳を放った。


「国王陛下の二つ目の意志が、ブレサウンのなすべきことと、密接に関わっている、ということだな」


「はい。まさしくご明察のとおりです、閣下」


ライサが、鮮明な口調で応じた。応接室の空気が、もう一度、圧搾されるように重くなった。


「国王陛下が、ただ旅人ギルドを通じて、閣下に直接お伝えせよとお命じになった、密旨がございます」


「密旨か……法と規格を重んじる王室が、公式の徴集令を下さなかったということは、裏を返せば、公表できぬ理由がある、という意味だな」


子爵の眉間に、深い溝が刻まれた。


ライサは、答える代わりに、静かに外套の中から、手紙を一通取り出した。黄金色の絹糸で結ばれ、エペリア王家の印章が鮮明に押された、赤い封蝋で封印されたものだった。


ライサは、それをテーブルの上へ下ろした。


テーブルの上に置かれた茶碗の間を縫って、密書が静かに子爵へと手渡された。


子爵は、慎重に封蝋の封を切った。


さらり、と高級な羊皮紙が広げられる音が、とりわけ大きく響いた。領主の視線が、羊皮紙に記された文を、ゆっくりとなぞり下ろしていった。


「ふうむ……」


密書を読み下していた子爵の顔の筋肉が、微妙に歪んだ。すでにライサから、インテルヌムの実体と、大陸規模の脅威を聞いた後だったため、戦争を交えねばならぬかもしれぬという覚悟は抱いていたが、密書に刻まれた活字は、彼の予想を超えていた。


長いこと沈黙していた子爵の唇の隙間から、重々しい単語が一つ、ぽつりと落ちた。


「兵力、か……」


ライサは、獲物を狙う梟のように、子爵の揺れる瞳を、じっと見据えた。子爵は、手紙を握る手に力を込めながら、視線を持ち上げた。


「ライサ。王室の印章が押された密書ではあるが、どのみちそなたの手を経て来たのだから、すでに内容の骨子は把握しているはずだな。あえて話を回りくどくする必要はあるまい」


「私もまた、全大陸の支部の分析官たちとともに、全体的な戦略の輪郭は存じております。ただ、ブレサウン領地へ下された具体的な命令の内容や、その履行に関しては、存じません。それを見る権限は、私にはございませんので」


「そうか。そうであろうな。国王陛下は、私に『山岳戦闘兵団』を組織するよう、要請なさった。それも、かなり大きな規模でな。この程度の規模であれば……」


「山岳戦闘兵団を、でございますか?」


ライサの表情も、微妙に変わった。


子爵が、生唾を飲み込んだ。彼の喉仏が、ひときわ大きく波打った。


「そうだ。だが、そなたも、この辺境の事情を、よく知っているだろう? ドルメア事件で、すでに1個小隊分の山岳戦闘兵団を失った。秋の収穫も芳しくない。今の状況で、兵団を新たに養成し、武装させるには、財政も、残された時間も、まるで足りぬのだ。おまけに、山岳戦闘兵団は、ブレサウンの守備に特化した兵団だ。平地の戦闘では、並の兵士たちと変わらぬ。それなのに、よりにもよってその兵団をわざわざ指名して、これほどの規模で養成せよとは……」


子爵の荒々しい口調には、領主としての無力感と、現実的な限界が、そっくりそのまま滲んでいた。その時、ライサが上体をわずかにかがめながら囁いた。


「閣下の領地の実情は、国王陛下も、すでに把握していらっしゃいます。そこで、その密書に要請された事に費やされる財政の相当部分は……王都の隠された国庫から、密かに直接支援される予定です。ただ──」


ライサが、声を完全に底まで沈み込ませた。応接室に残った温もりさえも凍らせるような静寂が、部屋の中を満たした。イヒョンは、彼女の声から、王室が抱いた凄まじい毒気を読み取った。


「その国庫支援の事実は、エペリア大陸の誰にも、たとえ領地内の家臣たちにも、知られてはなりません。軍隊の養成が王都の直接的な計算で動いているという兆候が漏れ出た瞬間、辺境に浸透したインテルヌムの情報網が、これを察知し、戦術を変えるからです。表面上は、あくまでも閣下の独自の判断と、ドルメア惨事に対する怒りから、領地防衛のために兵団を強化する、という体裁にならねばなりません」


「財政まで支援してもらいながら、部隊を養成せねばならぬとは、私の予想より、はるかに切迫した状況のようだな」


「切迫している、というよりは、それだけ重要な問題だと、判断していらっしゃるようです」


「契約によれば、兵を要請されれば送らねばならぬのは当然だが、よりにもよって山岳戦闘兵団をわざわざ指名して要請したのは、理解できぬな。王国の防衛のためであれば、山岳戦闘兵団は、ほとんど役に立たぬだろうに……」


やがて、子爵がゆっくりと顔を上げた。


「大義がなく、領地に害となるのであれば、中央の要請を拒むこともできよう。それが諸侯の権利だからな。だが、これまでそなたたちと交わした対話が、すべて真実であるならば……これは、選択の領域ではない、という気がしてくる。昨日と今日、領民を失い、奴らの軍勢を伝え聞きながら、驚くべき報せを立て続けに耳にしたが……」


子爵の唇の間から、笑いが漏れ出た。


「この密書の一番最後の頁に記された一節が……私にとっては、最も衝撃的だな。ふふふ」


子爵は、手紙を再び畳んで封筒に入れると、テーブルの上へ下ろした。


「密書で来たということは、当然、国王陛下の要請が非公式だ、という意味だろうな?」


ルキウス子爵の声が、低く沈んだ。


公式命令とは、国王の使者の紋章の印章が押された文書が、正式な使者を通じて下されるものだ。領地の公式な年代記に残り、大陸のすべての領主に法的拘束力を発揮する。たとえその指示に従って領地が破滅したとしても、少なくとも、王政という巨大な盾の後ろに隠れる権利は得られる。


一方、非公式の要請は、いかなる帳簿にも記録されない。ただ、領主の自発的な忠誠と協力に頼るのみだ。その事を行って破局を迎えたとしても、王政は決して、その領主を知らぬと顔を背ける、そうした類の、暗い取引だった。


此度の指令に対して、ルキウス子爵がいかなる選択をするかによって、子爵のブレサウン領地の運命は、完全に変わることが明らかだった。いや、ブレサウンだけでなく、エペリア全体に及ぶかもしれぬ問題だった。


ライサの口の端から始まった淡い微笑みが、次第に顔全体へと広がった。狡猾なのか、優しいのか分からぬその微笑みが、目元にまで届いた。


「閣下。すでに答えをご存じでありながら、お尋ねになるのですね」


子爵が、重々しく身を引きながら、椅子の背もたれに、さらに深く身を預けた。


男の荒々しい指が、膝の上を、ゆっくりと、一度、重々しく叩いた。


王都が投げつけた重みを、自らの全身で受け止める、領主の苦悩を示すかのようだった。


「非公式の要請、というわけだな。はははは。そなたが5年ぶりにブレサウンへ戻って、初めにしたことが、このような密書を私の前に突きつけることだとは。少々、意地が悪い、という気がするぞ」


応接室の中に、別種の沈黙が溢れた。


ついさっきまで大陸の国防と、破滅的な機密を論じていた領主とギルド代行者の間の、張り詰めた公的な対話が、刹那に蒸発した。


子爵が吐き出したその一言に、四方を押さえつけていた空気の質が、一気に、私的で内密な温度へと変わった。厳格な領主の仮面の裏に隠された、歳月の澱が滲み出る、奇妙なほど親しげな口調だった。


イヒョンは、静かに息を殺したまま、その奇妙な呼吸の流れを、読み取った。その刹那、頭の中で破片のように散らばっていた情報が、蜘蛛の巣のように素早く再組み立てされた。


『子爵とライサは、以前から知り合いだった。それも、たかだか一、二年の軽い顔見知りではなく、5年という長い歳月を帳の間に挟んで、再び向き合った、深い関係』


ライサが、子爵の言葉を聞くと、もう一度微笑んだ。


「閣下、ご無礼をお許しください。だからこそ……他の伝令を送らず、私が直接、密書をお伝えしようとしたのですから」


「……」


「王都の密旨や、ギルド本部の書簡を、下の者に命じて伝えさせるのは、道理に背く行いだと思いましたので」


その正直な告白に、ルキウス子爵の顔の上に、応えるように微笑みが広がった。


彼が、膝の上で杯を再び軽く持ち上げたが、今度は茶を口につけなかった。男は、温もりの残る杯を両の手のひらで丸ごと包み込んだまま、ごくゆっくりと、回し始めた。


「ライサ」


「はい、閣下」


「国王陛下の要請でもあり、なにより、そなたがする頼みを、私がどうして断れようか」


「ギルド本部に代わり、閣下のご決断に、深い敬意を表します。閣下、本日この応接室でお聞きになったすべての情報は、機密です。血を分けた家族にも、生涯信任してきた腹心の家臣にも、いかなる者の耳にも、決して漏れ入ってはなりません。閣下は、この計画をお聞きになる資格のある、大陸でも数少ない領主のお一人であらせられます」


「わが名誉にかけて、約束しよう」


子爵の答えを聞いたライサが頭を下げ、続いてゆっくりと視線を巡らせ、イヒョンを正面から見つめた。


ライサと目が合ったイヒョンが、慎重に口を開いた。


「ライサさん。お尋ねしたいことがあります」


「何をおっしゃりたいのか、おおよそ見当がつきますが……」


イヒョンは、子爵とライルの顔を、一度ずつ見た。


「私たちの試験が中止された、とおっしゃいましたが、では、これから、その試験はどうなるのですか?」


ライサが、にっこりと笑いながら答えた。


「やはり、それが一番気になりますよね。今この時をもって、イヒョンさんとライルさんに委ねられていた上級試験のすべての任務が、全面的に変更されます」


その言葉を聞いたライルは、全身がこわばったように止まると、魂の抜けたような目で、ライサを正面から見つめた。


「任務が、変わるんですか? しかも、アニキはそれを知ってたって?」


「俺も、ここに入る直前に聞いたんだ。前もって知ってたら、話してただろ」


「アニキ。俺、許しはしたけど、信頼を完全に取り戻したわけじゃないからな」


「ふふふ。取り消しとか、そういうことではありません。戦術的な任務の再付与、とお考えいただくほうが、正確でしょうね」


ライルは、今にも椅子から再び立ち上がりそうなほど、興奮を隠せなかった。


「いや、ちょっと待ってくださいよ! 俺たち、ありとあらゆる苦労をして、山も登って、化け物どもと戦ったんですよ。任務も、半分以上、解決したんですからね。ライレン、バルマリス、ドルメア、そしてここブレサウン領地まで! もう残ってるのは、ラティベルナとエルノクの二つの村だけなんですよ! もうほとんど来てるのに、ここでいきなり試験の任務を変えられたら、どうなるんですか?」


「……」


ライルは、悔しいのか、鼻息までふんふんと吹き出しながら、イヒョンを見つめた。


「これって、本当に不公平じゃないですか! 俺たちが大陸を横断して、どれだけ苦労して、ここまで這ってきたと思ってるんですか。今さら試験の内容そのものを変えられちゃったら……」


ライルの声に、緊張と裏切られた思いが、べっとりと滲んだ。


ライサが、白い手を軽く持ち上げ、落ち着くようにという仕草をした。


「ライルさん。そういうことであれば、ご心配には及びません」


「……え、え?」


「此度の任務変更は、お二人だけに当てはまるものではありません。これは秘密ですが、此度の試験で委ねられた任務は、すべて失踪事件の背後を調査することなのです。すべての受験者が、地域や事件の種類が違うだけで、大陸のあちこちで起こる奇怪な事件を調査するという点は、同じでした。ですが、イヒョンさんとライルさんの活躍で、相当な部分が明らかになりました。ただ、まだもう少し調査せねばならぬ部分が残っているので、任務の内容を、少し手直しするだけなのです。まったく別の任務が割り当てられるわけではありません。此度の任務修正は、すべての上級旅人の受験者に、同じように適用されます」


「……え? 大陸全土の他の受験者たちも、全員ですか?」


「……ええ。この瞬間を起点に、試験を遂行中のすべての者たちの任務帳簿が、全面的に修正されます」



読んでくれてありがとうございます。


本業の都合により、小説の投稿時間が不規則となっております。

ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。


読者の皆さまの温かい称賛や鋭いご批評は、今後さらに面白い小説を書くための大きな力となります。


お読みいただき、楽しんでいただけましたら、ブックマークやコメントをお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。