対決矢来1
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学校に近づきたくなかった。僕は、学校から大幅に迂回して歩いた。考えれば考えるほど、どうしても相談する相手が欲しかった。四枝さんはどこにいるかわからない。
矢来について他に打ち明けられる人といえば、リコさんだけだ。けれど、気になることは、彼女と喧嘩をしてしまったことだ。全面的に頭を下げて、四枝さん探しをまた手伝ってもらおう。僕は矢来について一人で抱えられるほど強くはない。
矢来は、僕が逃げた後、あの先生をマスターキーで刺しただろうか。あそこまで先生を殴る蹴るして、やつが、やらないわけがなかった。
リコさんの家に今から押しかけていって大丈夫か、心配だった。僕は、時計を持っていなかった。今の季節、日が暮れる時間は、六時半くらいだから七時前後だろうか。すこし憂鬱な気分で、彼女の家に向かった。
灯りがついている。どうやら、リコさんの家には、誰かはいるらしい。俺は、門構えのインターホンを押した。
「はい」、インターホンからリコさんとは違う女の人の返事が聞こえた。
「あの草加といいます。リコさん、いますでしょうか?」
「リコ。お客さん、草加ってひと」
呼びかける声がインターホン越しに漏れている。
「なんのよう?」、リコさんが出た。
「あやまりたくて、この前はすみませんでした」
と言ったけれど、相手は無言だった。僕は焦って、仮の用件を話した。
「あの犬、僕が引き取ります。学校で世話するのは、不便だと思って」
「入ってきなさいよ。玄関開けるから」
それを聞いて安堵した。僕は、家のなかの応接室に通された。リコさんと部屋に入るなり、僕は言った。
「まだ僕の家で飼えるかわからないんですけど…」
言いかけた時、応接室の扉が開いて、大柄で口ひげたくわえた中年の男が、パジャマ姿で現れた。男
は、僕を品定めして早々に喝を入れた。
「あいさつ、せいよ!」
「あ、こんばんは」、僕は、恐縮して部屋に突っ立った。
男が、応接室のテレビのスイッチを入れる。そして、応接セットの椅子に腰掛け、テーブルに足を置き、踏ん反り返った。テレビに目をやり、大あくびをしている。
「おとうさん、寝てたんじゃないの?」
「ん?んん」、リコさんのお父さんが、生返事をした。確かに髪に寝癖ができている。
「上に、行きましょう」
リコさんは扉を開けた。
「お客さんは、わしの前では話もできんちゅうことか?」と、お父さんの怒声が、部屋いっぱいに広がった。
リコさんは顔を手で覆っていた。僕も、どこを見ていいのか、わからない。自分のことに必死で、リコさんの家で、気まずいことになるとは、考えもしなかった。
「二人とも座りなさい」
リコさんの親父が手前のソファーを指差し腕を震わせて言った。
「ほれ!」
僕は、素直に座った。リコさんはそのままだった。
「娘が学校に出始めたのが、こういうことだったとわかって、わしは安心しとる。けども、こんな夜中にウチへくるのは、どういう了見か」
夜中なのか?時間は、夜七時過ぎだ。応接室の文字盤の時計を見ているので、間違えようがない。僕は、リコさんの家の生活サイクルを知らない。
「お父さん、いい加減にして」
「わしはなにも交際を認めないとはいっとらんぞ!」
リコさんのお父さんは、とても早まっていた。
「草加くん帰って」
リコさんに腕をつかまれ、廊下へ引っ張られていった。
「少年帰らんでよし。わしの話をきけ」
「お願いだから帰って帰ってえー」
僕は、リコさんに家から閉め出された。家のなかから、ものすごい勢いでリコさんとリコさんのお父さんが口論している声が聞こえる。
「お母さんがお父さん起こしたのね!」
「母さんにあたるな!お前のためを思って!」
自分は、余計な火種を撒きに来てしまったらしい。リコさんの違う一面を見たようだ。それにしても、リコさんが僕の彼女か。口の悪さを除けば、悪い気はしなかった。
ここで、待っていたってどうしようもない。とぼとぼと歩き出した。せめて、明日学校にきてくれるようにリコさんに言っておくべきだったかもしれない。あきらめて家に帰る決心をし、リコさんの家のある住宅地を抜けた。
背後から、僕を呼ぶ声がして、振り向くと道の暗がりからぼんやり誰かが走ってくるのがわかった。僕は止まって、リコさんが追いつくのを待った。
「どうしたんです?大丈夫ですか?」
「どうもしないわよ」、息を整えながら、彼女は、吐き捨てた。どうやら怒って飛び出してきたようだ。
「僕が悪かったんです。急に行ったから。でも、立派なお父さんですね。うちの親父なんか、あんまりしゃべらないし」
「やめて」
「…すみません」
「あやまらないで。あたしが恥ずかしいだけ」
額を押さえてリコさんは言った。
僕は、笑いそうになったが、こらえた。ここで彼女を不機嫌にしてしまったら、彼女の行き場がないだろう。
「犬、飼ってもいいわよ。あたしの家じゃ飼えないし、犬のこと、思ったらそのほうがいいもの」
「ええ、そうですね…」、話したいことはそれだけではない。
「どうしたの?」
リコさんは、察してくれたが、頭が、矢来の問題に引き戻されたので、気持ちが落ちた。今更だが、リコさんにこんな厄介ごとを持ち込んでいいものかどうか。
「なに?」
「実は、大変なことをしてしまいそうに…矢来にマスターキーを渡すべきではなかったんです」
僕は今日遭った一連の出来事を話した。矢来が、マスターキーを人間に使おうとした事、学校を憎んでいる事、そして、僕に先生を刺そうと強要したことの一部始終を。
「あなた、やったの!?」
リコさんは、僕の肩をつかみ言った。
「やってません!逃げ出してきたんです」
「よく逃げられたわね…あいつ、飛べるのよ?バカみたいに」
彼女が疑わしげな目をして腕を組んだ。
「わからないけど、追ってこなかった」
歩道の縁石に腰掛けて、うなだれるリコさん。
「先生をそのままにしておくわけには、いかないからかもしれません」
「もう…いや…」
僕も、隣に座った。今日は、歩きすぎて疲れた。
「聞きたくなかったわ…そんなの…どうするのよ…」
彼女は、横にある植木の葉を神経質になって、むしり始めた。僕は、行く末がたまらなく不安で目頭が熱くなってきた。一人のときはそうでもなかったのだが、打ち明けると気持ちが溢れてくる。
「どうするのよ!!」、リコさんは、僕の耳元で怒鳴った。
「僕だって必死だったんです。これから矢来に何されるかわかったもんじゃない。大人しく言うことを聞いていた方がよかったかもしれないんですよ!」
僕は、勇気を振り絞ってここまで来た。矢来が、変身した凶暴な犬を一撃で吹き飛ばしたことを思い出す。
「わかった。わかったわ。逃げれただけでも運がいいってことね」
二人して、しばらくの間、黙って目の前の電柱を見つめた。
「明日、学校に行きたくありません」
「あたしもよ…」
「四枝さんを探しましょう」
僕は気を引き締めて言った。なんとかしなくちゃならない。
「あいつがいたってなんにもならないわ。話が余計にややこしくなるの」
「僕らよりどうすればいいか、きっと知っています」
リコさんは渋い顔してまた葉をむしった。
「いやよ。あのバカ、矢来に雷落とせとかなんとか言い出すに決まってる。しばらく学校、休んで様子を見たほうがいいわよ」
「いつまで休むんです?僕は、四枝さんを探しますから」
「学校には、矢来がいるんでしょ?」
「そうですけど…僕らには、頼れる人が四枝さんしかいないんです!リコさんだって、僕が雷に打たれたとき四枝さんを呼んだじゃないですか!」
「あれは…」、言い込められたようで、膝に目を落とした。むしった葉っぱを集めて、僕の顔に投げつけて彼女は言った。
「…痛いとこつくわね。年下のくせに」
自分でも口をついて出てくる言葉に驚いた。柄にもなく熱くなって言ったので、照れ笑いをした。
「肝心の四枝さんが、どこにいるか、わからないですけどね。また矢来に捕まってなければいいんですが」
「あたし、知ってるわよ」
「ほんとですか?」
「鏡の部屋にこもってると思う。なにかやってんのよ。怪しげなこと」
「行きましょう」
「明日ね」
「いえ、今です」
僕は、力強く立ち上がった。なに調子づいてんの…とリコさんが言ったので、僕は仲直りできて嬉しいんですと答えた。なぜか腹に軽くパンチを入れられた。
一人でなら、夜の学校に踏み込もうとすら思わなかっただろう。リコさんは、結局ぶしぶついてきた。夜の学校は暗くて怖いというような不安だけではない。心配だったのは、昼間、矢来が先生にしたことで騒ぎになってやしないかということと、四枝さんに会いに学校へ来た僕たちを矢来が邪魔をしにくるかもしれないということだった。といっても、いくら空が飛べる矢来でも夜の暗がりの遠くから、僕たちを監視できないだろうという考えはあった。
正面から入らずに木々の多い裏山に沿った道を使って学校に入った。裏門から旧校舎はすぐそこなので、ちょうどいい。建物は静まり返っていた。生ぬるい風が吹いている。
僕たちは、お馴染みの旧校舎の裏口に立った。ドアノブはひん曲がったままだったけれど、押しても引いても、扉は開かなかった。鍵がかかっているようだ。リコさんは、扉に蹴りを入れた。
「前は、開いてたのに」
そう言って彼女は、壁際に落ちている大きな石を持ち上げて、窓ガラスのあるほうへと、てくてく歩いていく。
「なにするんですか」
「四枝に会いたいのよね?」
「なかにいなかったら、やり損ですよ」
これで、四枝さんが見つからず、矢来に見つかれば、目も当てられない。
「いるわよ。外に鍵ついてないもん」
僕はドアを観察した。南京錠を引っ掛ける留め具があった。つまり、錠は中のもので、四枝さんが中から鍵をかけたから、開かないのだ。
なるほど。リコさんは思いつくことこそ乱暴だが、冷静だ。感心している間に窓ガラスが割れた。彼女が、割れたところから窓ガラスの錠を外している。リコさんの背では錠まで届かないので、僕が、手を貸した。よじ登って窓から旧校舎の中に入る。内側から裏口を見れば、上と下、二点に南京錠が取り付けられていた。こんなものをつけたとして、矢来には、何の意味もないと僕は、思った。
ただでさえ、気持ちのいいところではない旧校舎である。昼間とは、段違いに気味が悪かった。木製の廊下と階段が、嫌に大きく軋みを上げるように聞こえた。
「リコさん、怖くないんですか?」
「だらしないわね」
彼女は、窓ガラスが、あるほうを見て、言った。
「あたしたちのことを考えてもみなさいよ。いまさら幽霊が、あたしをおどかそうたって驚きやしないわよ」
奇妙な出来事を体験している今、幽霊にびくついて、自分から気苦労を増すことはない。リコさんの勇ましさにまた感心したが、彼女は、さっきガラスを割った石を拾って持っていた。やっぱり怖いんじゃないかな…僕は、そのことについて深く考えないようにした。
暗がりの中、おそるおそる二階の廊下を歩き、鏡の部屋の前についた。鉄の扉は、閉まっていた。扉を三回、ノックした。カンカンカン。
「四枝さん、草加です。そこにいるんですか?」
応答なし。リコさんに目をやった。
「居留守つかってんの、これで叩いてやろうかしら」、彼女は、手にした石を扉に向かって振り上げた。
「忙しいんだ。帰ってくれ」、四枝さんの弱々しい声がなかからした。
「なにをしているんです?」
「君たちに説明しても仕方がない」
扉越しの声は聞き取りづらい。リコさんがイライラして、石をその辺に投げ捨てた。
「帰りましょうよ」
僕は、首を横に振って、四枝さんに話しかける。
「実は謝りに来たんです。僕は、矢来にマスターキーを渡すことがどういうことになるか、わかっていませんでした。四枝さんの言うことをしっかりきいておけばよかったんです」
「俺に謝っても解決はしない。過ぎてしまったことだ」
「巻き込んだのは、あんたでしょうが。あんたも謝りなさいよ」
「…すまない」
「過ぎてしまったことです」
僕は、そう言ったが、リコさんは、納得していない様子だった。
「君たちがここへ来るということは、大方、矢来が、マスターキーを使ったところを見たんだろう?」
「はい、よくわかりますね」
「なんでもいいけど、ここ開けて。話しづらいじゃない」
四枝さんが、扉を開いてくれた。扉の隙間から淡い光が漏れていた。四枝さんは、俺と始めて出会ったときと同じ、あの易者の格好をしていた。足元は、着物に合わせて、しっかり足袋を履いている。
「中には入らないでくれ。今大事なところなんだ」
僕は、部屋の中をのぞいた。部屋の四隅に一つずつロウソクが置かれていた。炎の光が、鏡に映って明るい。
「これは?」
「さっきも言ったが、説明しても仕方ない」
今度は、僕も厳しい目線を四枝さんに送った。
「俺のマスターキーを取り出そうとしているんだ」
「俺のマスターキー?」
「そうだ。俺のマスターキーだよ」
「でも、マスターキーは、矢来が持ってます」
「あれは、君のものだ。俺のじゃない。つまり、マスターキーは二つあるということになるな。俺は、自分のものをここに捨てた」
「僕のマスターキーは、新しいやつってことですか?」
「そうだ」
「あんなもの二つも増やしてどうするのよ?あんたも矢来と同じじゃない」
「ある意味では、そうだが、ある意味では、違うつもりだ」
「どういうことです?」
「俺が、マスターキーを捨てたのは、今から十年くらい前だ」
「十年?」
「そんなことあるわけ…」
四枝さんは高校三年生だから、十七か、十八歳くらいだ。彼は、八歳の時にこの鏡の部屋に入ったのか?
「本当だよ。君たちに腹を割って話さないといけないとなると、これはとても重要なことだ。俺は、マスターキーと完璧につながってから、歳を取らなくなったらしい。肉体的には、はじめて、この部屋に入った当時のまま、今日まで維持されている」
俺はリコさんと目を見合わせた。
「そ、それで今何歳なんですか?」
「今年で三十七だ」
四枝さんの外見は、高校生にしては、大人びてはいるけれど、とても三十七歳には見えなかった。どう歳を取っているように見積もっても二十台前半くらいだろう。易者の着物は似合っているし、彼の落ち着いた様は年不相応だとは思っていたが。
「矢来が、言ってたわ。一生、力を使えるようにしてやるって…こういうことだったのね」
「それは、少し違う…本来、歳を食えば、力はなくなっていく。歴代の飼育部の部員はほとんど、そうやって学校を卒業して行った。俺は、この部屋の管理人みたいなものだな」
「少し違うというのは?」
「歳を食わないという効果は、俺が、マスターキーの持ち主だから得られる効果であって、草加のマスターキーを使って、他の人間もそういうふうになれるとは限らない。力を持った人間が、マスターキーで自分を刺して、どうなるかなんて、まったくの未知だ。リコが言ったことは、たぶん矢来が勘違いしていることなんだ。やつは、力の使い過ぎで人格とか、思考が歪んで見境がつかなくなっているんだろう。やつが力を使っているというより、力がやつの身体を使っているといったほうが正しい。恐ろしいことだ。だからこそ、俺は、自分が矢来のようにおかしくなってしまう前に、自分のマスターキーを捨てて、ここを破壊したかった。情けないことに、それに気づくのに十二年、壊そうと思いついて、十年も経ってしまった」
「だから、僕たちをこの部屋に入れて利用しようとしたんですか?」
「ああ、鏡を壊せるだけの破壊力を擁した『力』を育てようとしたんだよ。二年前、その力を矢来に見出して、すべてを教え込んだ。案の定、これだ。やつは、力を使うことが楽しくなり始めて、俺の考えを跳ねつけた…それはそうだ。人間にできないことをやってのけられる力だ。せっかく身につけたものを捨てるのは惜しい。俺は、力の恐ろしさを知っていたはずなのに、あいつが、おかしくなった兆候がまるでわからなかった。俺もやつの力に浮かれていた。何年も待った末にやっと鏡を壊せそうな力の成長を見たんだ。やつもそれに答えてくれて…馬鹿だったよ。俺があいつをあんなふうにしたんだ…」
一同が黙り込む。なんだか途方もないことが多すぎて、僕は混乱した。
「待って。話が早すぎて、わけわかんない。この鏡の部屋に入って、雷があたしに向かって落っこちてくることと、マスターキーっていうのに刺されて、変なことになるのは、なにがどう違うわけ?」
「いい質問だ。この鏡の部屋が、人間に力を与えるには、限定された条件があるし、制限もある。まず、子供であること。十八歳を過ぎれば、この鏡の部屋に入っても、何の意味もない―人によっては、どんなに若くても何の力も得られない人間もいる。そんな人間は、ここに入っても、ちゃんと鏡に自分の姿が映る―そして、得られた力には、使える期間があること」
鏡を壊すために、この学校へ入学してくる学生を飼育部に勧誘するのが、一番たやすい方法ということか。
「どういう人間が、力を得られるか、得られないかの違いは、手相にあると俺は、考えている。まだ研究中だが…あと、力について言えることは、大抵の力の性質が、自然現象に根ざしたものだ。君の場合は、雷だな」
「矢来は?」
「あいつの力は、一言で説明しにくい。簡単に言うと、真空みたいなものを生み出して大気を操っている」
「力が使える期間って、どれくらいなの?」
「この部屋に入ってからおよそ三年だ。ほとんどの場合は、二年経っても、自分の意思で力を使おうとしないと失う。まあ、それも個人差があるみたいだ」
「とにかく、あたしが、何もしなければ、あと二年で雷に打たれなくて済むようになるのね?信じていいのね?」
「ああ、それは保証する」
「そういう大事なことは早めに言ってよ」
リコさんは、胸をなで下ろした。
「話す時期を見計らわないとな…新入生に前もって全て説明した後、鏡の部屋に入ってもらうように仕向けるのは、かなり難しい。それに君たちへ、むやみやたらに鏡と力の知識を与えれば…矢来のように力に適応して悪用されるかもしれないと思った。あくまで目的は、力で鏡を壊して、力をこの世から消し去ることなんだ。そもそも、君は、俺の話に耳を傾けなくなったじゃないか」
「もういいわよ。鏡の部屋のことは、わかったわ」
「それでマスターキーっていうのは、どういうものなんですか?」
「あれは、年齢制限もなく、どんな生物にでも、変化を与えてしまう代物だ。強制的に生物の身体能力を向上させ…刺す対象によって、肉体の変貌だけに、とどまらないが…それにともなって理性的なものは失われ、凶暴化する。実は、それ以外に生物に対してマスターキーを直接、使用することについては、あまりよくわかっていない。…どうしてマスターキーが二つになってしまったのかも、わからない」
四枝さんは、懐から紙とペンを取り出し、話を続けつつ、何やら描き出していく。
「しかし、この鏡とマスターキーの関係性については、はっきり言える。マスターキーが、常にこの鏡の部屋と繋がり、力の素を鏡によって伝播させて、リコや矢来に与えているのは確かだ。受信機と送信機を行き交う電波のように。つまり、マスターキーという核に指向性を持たせ、効果を和らげ、うまくコントロールして、君たちに力を与えている装置がこの鏡の部屋というわけだよ。すべての源はマスターキーにある。部屋から離れてしまったマスターキーは…矢来が持つマスターキーというものは、生命の可能性を強引に開けてしまう、まさにに『鍵』なんだ」
「あたしが、受信機?」
「その例えで言うと、鏡が送信機で、マスターキーが電源の役割を果たしているというところかな。ほら、わかりやすく書いてみた」
四枝さんが、手早く紙に書いたマスターキーと鏡と飼育部員の関係性を図したものを僕に渡してよこした。リコさんものぞきに来る。
「そのマスターキーを壊すことは考えなかったんですか?この部屋の素なんでしょう?」
「もちろんやったさ。なにをしても無駄だった。マスターキーをどこへ隠しても、鏡の部屋は機能したよ。結局、捨てるのに最適な場所は、この無限に広がるこの空間しかなかった。ここなら誰の手に渡ることもない」
「捨てるって。四枝さんのマスターキーは今どこに?」
彼は、下を見た。
「呼んでいる。昇ってくる感覚はある。君も自分のマスターキーを呼んだならわかるだろう?あれは、ここの鏡を透き通ってしまう。ありはしないところに」
矢来が持っていった僕のマスターキーは、上から来たが、四枝さんのやつは下の鏡の向こうにあるということみたいだ。
「そうして、何をしようっていうんです?」
「マスターキーは、俺の武器にもなる。矢来に痛い目に遭ってもらうしかない」
「それ、矢来にばれたらまずくないですか?」
「いや、あいつは、俺を待っているだろう。マスターキーを取り戻す時まで」
「なぜ?」
「やつは、俺のマスターキーも欲しがっているし…」
四枝さんは、自嘲気味に微笑んだ。
「俺が、マスターキーを使って戦えることも知っている。一度、封印を解いて、見せてやったことがあるんだ。俺の言っていることが、真実であると、あいつに分からせるためにな。あいつは、俺と戦いたがっている。自分の力が、何に、どこまで通用するか知りたがって」
それを聞いたリコさんは、即座にバカ丸出しと言った。
「鏡やマスターキーを壊されないように、『力』が、あいつを掻きたてているんだろう。裏を返せば、それは、マスターキーや鏡が、力を使って壊せるという確信にもつながる。力は、俺のすることを嫌がっている」
「僕たちは、四枝さんがマスターキーを呼ぶまでどうしていればいいんですか。それを聞きにきたんです。今日、僕は、駐車場で矢来にマスターキーを握らされて、先生を刺せと脅された」
「刺したのか?」
「とんでもない!逃げましたよ」
「マスターキーは?」
「矢来が持っていると思います」
頭を傾けて何事か物思いにふける四枝さん。
「矢来は、君の事を気に入っているようだな」
「みたい…ですね」
「また近づけるか?」
「無理ですよ…あの先生、どうなったかわからないんですよ?」
「俺とやり合うまで、学校で下手なことはしないはずだ」
「でも、あの人、学校を滅茶苦茶にしてやるみたいなことを言ってました」
「君を試したんだろう。君もマスターキーの所有者だし、矢来に近い考えを持っているかもしれないと思ったのかもな。人間を刺すことは、俺への挑発も兼ねているか。二つ目のマスターキーが世界に転がり込んでくること自体、あいつにとっては、幸運なことだ。なにしろ、やつの力は、あと一年くらいで期限切れになるから」
「僕が、あの部屋に入ったからですね…」
「気にするな。君が、第二のマスターキーを呼び寄せるなんて、そんなこと誰にもわかりはしなかった。パラライザー、持っているか?地下道で渡しただろう」
「え、あ、はい。制服に入れっぱなしに」
いつか返そうと部室に足を運んでからすっかり忘れていた。僕は制服の内側の胸ポケットから、そのペンのような形の機械を取り出して四枝さんに見せた。
「俺のマスターキーが出てくるまであと、三日はかかる。それまで矢来と仲良くしておいてくれ」
四枝さんは、僕から機械を受け取って、表面についたボタンを押した。先端部分が震えて、ブブブと虫の羽音のような音をさせた。
「すきを見て、これを矢来に当てて、君のマスターキーを取り返すんだ。俺と戦い、やつが力の使いすぎで完全に正気を失った時、そこらじゅうの人間をマスターキーで刺すかもしれない。やつの手元からあれを離しておきたい」
自分に、そんなことができるのか自信がなかった。
「その前にあの人は、僕にもう一度、マスターキーで人をやらせますよ」
「やむをえない。一人や二人は、犠牲が出ることは。そうなるのは君のせいじゃない」
「四枝さん…」
「連携が取れるようにリコ、連絡係を頼めるか?俺は、マスターキーを手にするまで外に出られん」
「いいけど…草加くんがあれで人を刺すのは賛成しないわよ。あたしだったら、嫌だもん」
「矢来さんの様子は見ます。けど、あれで人を刺しませんよ。僕は、犬がおかしくなったところを見たんです」
「犬?」
「矢来が、あたしの犬を刺したのよ。不良が一人食い殺されちゃった。犬がその後どうなったか、あたしはよく知らない」
「犬は、矢来に殺されたんです!力を使って!あの人は空も飛べる。僕がそれで矢来をやっつけても、すぐに取り返されますよ」
「いや、あれは、空を飛ぶというより、足を使って、空を走っていると言った方が正確だ。あいつの力は、そこまで万能じゃない。かなりの神経を使うし、微妙なコントロールがいる。あいつの身体は、普通にしていても大気を寄せ付けないようになっているんだ。身体を覆ったあの真空みたいなものを無茶な使い方をすればするほど、呼吸が出来なくなって命の危険が増す。パラライザーを食らった麻痺状態ですぐ力を使うのは、自殺行為だ。うまく制御しないことには、やつ自身が酸欠で死んでしまう。それに気づけないやつでもない」
四枝さんは、僕にパラライザーを返した。
「これを当てさえすれば、逃げる時間は作れる。一度、誰かで威力を見たほうがいい。使い勝手を身体で覚えないと臨機応変に動けないぞ」
励ました次に、ものすごいことをさらりと言った。矢来に使う前、誰に使えというんだ?四枝さんは目的のためには手段を選ばない人なんだな。僕は、それを聞き流した。
聞きたいことはもう一つあった。僕の身体の異変のことだ。四枝さんの目の前で袖をまくって、腕のバンソウコウをはがした。
「なんだ?」、四枝さんが僕の顔を覗き込んだ。
「僕にも力が出てきたみたいです」
扉からのロウソクの光しかないので、よく見えないだろうが、自分の腕を四枝さんに見せた。
「今朝、腕をカッターナイフで傷をつけたんですが、治ってる。今、思うと、リコさんの雷に打たれたとき、軽く澄んだのも力のおかげなんじゃないかって…」
「やはり、俺と君の力は、同じ種類のものだろう。俺が歳を取らないというのも。マスターキーの持ち主は簡単には死ねなくされるようだ。俺も、その手の実験はだいぶやった。軽い外傷は、一日待たずに治ってしまう。これは、太陽の光に関係しているらしい。マスターキーが、太陽の光を俺たちに何らかのエネルギーに変換して身体に送っていると見ている。夜に傷をつけて眠ってもあまり治癒しなかった」
「ということは、僕も歳を取らないってことに?」
「おそらくは」
そんな実感は、てんでない。四枝さんが、三十七歳だなんてこともまだ信じ難いのだ。一体、四枝さんはこの学校でどんな経験をしてきたんだろう?僕には計り知れない。
「矢来に勝った後は、どうするんです?」
「君のマスターキーの特性を詳しく調べる。俺のマスターキーと君のマスターキーの力をぶつけ合って、同時破壊することができるかもしれない。そうだ、マスターキーの力が二つあれば、ここの鏡さえも壊せる方法が、見つかる可能性も…すべてご破算にできるだろう。それには、君自身の協力も必要だ。時間もかかる。さあ、そろそろ、俺は呼び出しにかからないと」
僕は、矢来をどうするのかを聞きたかったのだが、想像すると恐ろしい回答が帰ってきそうなので聞き直すのはやめた。代わりの質問をする。
「四枝さんは、どうして矢来さんのようにはならなかったんです?」
「マスターキーを捨てた」
「そうじゃなくて、なんというか、どうして捨てたのかというか…」
四枝さんは、すこし照れ臭そうにして僕から顔を背けて言った。
「まともな生活したかったのさ。ある人と添い遂げもしたかった。だが、それは、もう叶わない。人並みの生活くらいは、今からでも取り返せると思っている。そんなところだ」
四枝さんには、似つかわしくない答えだったが、彼も、僕たちと変わらないみたいだ。でも、これから矢来に近づくのは、不安だった。
「君ならやれる。失敗しても俺が取り返すよ」
「なんとかします。矢来に好きさせちゃならない」
表面上、そういってみたものの、気分は変わらない。けど、失敗は駄目だ。絶対に。
「リコに雷で撃ってもらう手段もあるが…」
不安が露骨に顔に出ていたようで、四枝さんは僕の負担を軽くするための提案をした。
「ね?言ったでしょ?」
僕は苦笑いをした。
リコさんは、雷を落とすことは、拒否したが、四枝さんと僕の間で矢来の様子を情報交換するためのパイプ役になることは引き受けてくれた。
それは、四枝さんのマスターキーを取り出す時間と僕が、矢来の持っているマスターキーを取り返すタイミングを計るためのものだ。僕が、一人で勝手に矢来からマスターキーを取り返して、逃げられたとして自分を守る手段がない。
単に傷の治りが早く、死ににくい身体をしているという僕の力だけでは、すぐに奪い返されてしまう。四枝さんのマスターキーは、武器にもなるらしいから、それに期待するしかない。そして、今は、この小さい機械を頼りにしよう。
簡単な連絡方法の取り決めをして夜更けの学校を後にした。リコさんを家まで送って、彼女のお父さんの説教を一緒に聞いた。四枝さんのところへ行こうと言い出したのは、僕だからしょうがない。説教の後、親父さんは、僕の家まで、車で送ってくれた。僕は、ほとんど上の空で明日どうするかで頭がいっぱいだった。




