対決矢来2
この回で矢来の暴走が本格的に始まります
眠った気がしない。ベッドの中でも、ずっとパラライザーを握りしめていた。登校している最中はあくびばかりした。日曜日の出来事など何事もなかったかのように、月曜日の授業が始まった。
二時間目が、終わって、休みにリコさんのクラスへ行った。教室の中をのぞくと、彼女は、同じクラスの女子生徒と話していたので、声をかけられず、自分の教室に戻った。
昼休みになって僕は腹をくくった。購買部で昼飯を買い、屋上へ向かった。いつも通り、矢来は、正門側の淵で、横になっていた。
「よお」
矢来は、一瞥すらすることなく、歩いてくるのが僕だとわかったようで、言った。
「来ないと思ってたぞ」
「昨日は、びっくりしただけです。やっぱり力が欲しいですね。あなたみたいな」
緊張で、のどが渇く。
「前向きに考えてみれば、運がいいです」
「前向きだって?」
「はい。普通なら、こんな力、目にすることもないでしょう?」
矢来は、横になった姿勢で大空に高笑いをあげた。
「どういう風の吹き回しだ?」
ぎくりとする。言葉を止めてはならない。
「自分の力が目に見えてわかりようになりました。僕の傷ですよ。不良に蹴られた傷、消えてなくなってないですか?」
「気づいていたよ。お前が昨日ちびって逃げなけりゃ、教えてやるつもりだった」
不敵な笑いをする矢来。
「面白いものをみせてやる」
矢来は僕の胸倉を引っつかんで屋上から飛び降りた。矢来は、僕をかついで、裏山の方へ中空を駆け出し、木々の生い茂った場所に着地した。一瞬のことで、驚く暇もなかった。
そして、矢来について、山道を歩いた。その先に、山小屋があった。山小屋の入り口は、ドラム缶三つで塞いであった。獣と思わしき、うめき声と低く響く音が、小屋の中から聞こえてくる。
「下等生物の腹の音だ。そこ登って覗いてみろ」
入り口の上には小さい引き戸式の採光窓があった。僕は、ドラム缶をよじ登って、窓を開けた。なかは暗い。目が、慣れない事には、とても様子はうかがえない。しかし、動物園に来たような獣の臭いが漂ってくる。
僕の頭のすき間から入ってくる明りに照らされて、真っ暗闇に動くものが目に映った。影になった僕へ動くものは、目をぎらつかせて視線を送っていた。僕は生唾を飲み込み、その生き物の輪郭を確かめる。
矢来が僕の隣に立って、窓から何かを放り込んだ。懐中電灯だ。
「いい感じに仕上がっただろ?」
なかにいるものは、飛び込んできた懐中電灯に、憎しみをあらわにして吠えた。
「こいつを下にもっていこうか」
電灯のほの明りが、なかの毛むくじゃらの動物の肢体を照らした。上半身は毛だらけ、下半身は何か着ている。背骨が曲がった人?いや、かなり大きい猿だ。腕が異様に長く、ボテッとした腹をしていて、ふらふら酒に酔ったような歩き方をし、部屋の中をぐるぐる回っていた。突き出た腹は、先生に似ていた。せわしなく歩きながら、僕たちが、覗く窓の様子を見上げている。
「返答次第じゃ、ここで殺してやってもいい。お前に、もう一度、選ばせてやるよ」
僕は、矢来の質問に黙っていた。どう答えていいのかわからず、戸惑った。
「四枝と何を企んでいた?言ってみろ。怒りゃしない」
猿は、懐中電灯をつついている。つつくたびに震えて電池の接触がわるくなり、光がついたり消えたりした。
「出し抜けると思ったか?嘘をつきとおせると?俺は間抜けでうすのろか?」
猿が懐中電灯を振り回し始めた。ほ!ほ!ほ!と吠えて、興奮している。
「話したくないか?俺と話すのはいやか?」
激した猿は、僕たちがいる窓に懐中電灯を投げ返し、そして窓の方へ走りこんでジャンプした。
矢来は懐中電灯が僕たちに届く前に窓をぴしゃりと閉めた。猿は、ジャンプ力がそれほどないにもかかわらず、窓のヘリをつかもうとしたらしく扉に激突して、悲鳴を上げた。
「あははは、あほめ。四枝のところへ行くぞ」
昨日、四枝さんと話し合ったことは一日で失敗した。
空を飛んで旧校舎へ。矢来は、裏口に向かわない。正面玄関の扉を前蹴りで吹き飛ばした。急激な気圧の変動が起こったようで、耳が圧迫された。
鏡の部屋の鉄の扉も蹴破って入った。四枝さんは、座禅を組んで、瞑想している。
「あいも変わらず辛苦くせえ格好しやがって」
四枝さんは、目を開けて、矢来と目を合わせた。
「鏡に立つな」
「草加くんにろくでもないことを吹き込んだのは、お前だろ」
「なんでもかんでもお前の思い通りにはならないぞ矢来」
「腑抜けが偉そうに。俺にレクチャーくれてたときとは違うんだよ」
四枝さんを前にして露骨に見下したような表情をする矢来。
憐れむように、物悲しそうに矢来を真っ直ぐ見ている四枝さん。何を話しても無駄ということがわかっているらしく口をつぐんでいる。
「お前のマスターキーは、いつ届く?」
「一週間はかかる」
四枝さんは昨日、三日と言っていた。矢来は見透かしたように鼻を鳴らした。
「早く届くといいなあ。俺の持っているやつで一人使ったのは知ってるか?」
「四枝さん…すみません。先生が…裏の山小屋に閉じ込められていて…人間じゃなくなってました」
「その一週間の間、何人かに実験してやる」
僕は、四枝さんの反応を見た。ポーカーフェイスだ。
「おまえが頭を下げれば、やめてやるぞ」
座禅を崩して、四枝さんはすくっと、立ち上がる。
「というのは冗談で。リコちゃんを一日、俺に貸してくれたら、一週間、大人しくしておこうか。どうだ?」
「リコさんを?」
なにを考えている?リコさんをどうするつもりなんだ?
「リコさんがそんなこと聞くはずありません」
「俺の知ったことか。お前らが説得しろよ。リコちゃんと遊びに行くんだ。楽しいだろうぜえ」
薄笑いを浮かべて僕の肩を軽く叩く矢来。
「今日の放課後五時まで待ってやる。俺は、屋上にいるよ。さもなきゃ、あの化けもんが、腹をすかせて学校を徘徊することになるだろうな」
身の毛がよだった。なんてやつだ!
「せいぜい頑張ってくれや。どのみちお前が取り寄せたマスターキー、そいつも俺がいただくんだ」
矢来は、踵を返し、去っていった。
「どうしましょう?」
「リコを呼んで来い」
「授業始まってますけど…」
「言ってる場合じゃないぞ。部室から電話してくれ。方法は覚えているな?」
「覚えてますよ!」
部室に走った。これじゃ、矢来のやりたい放題だ。
電話番号は、昨日教えあった。僕は、携帯電話を持っていないから、リコさんの携帯電話を仲介して四枝さんとの連絡を取りあうつもりだったのだ。用があれば、彼女が直接、僕のところへ足を運ぶ事になるか、決めていた時間に僕がリコさんへ電話するかだ。
しかし、指定の時間ではない場合に連絡するときは、合図がある。相手が、電話を取る前に、コール音一回を鳴らし切る、もう一度、コール音一回を鳴らして切る、それからコール音、三回で切ること。リコさんには、予め、常にバイブ設定にした携帯を身につけておくようにと言っているので、向こうが電話を取れない状態でもわかるし、どこの電話を使っても、それで僕たちだということがわかる。
リコさんは、僕と四枝さんが、さっきのやり取りを説明し、矢来とデートする趣のことを伝えた瞬間、弾け飛ぶように言った。
「嫌!」
「犬の時と同じことが起きてしまいます」
「あいつの言うことが、それで終わるわけないじゃない!」
「矢来は、お前と一日遊ぶと言った。少なくとも一日時間が稼げるってことだ」
四枝さんが、自分の力を発揮させる武器、つまり、マスターキーをこの部屋から引き出すには、少なくとも三日かかる。リコさんが、矢来のデートを受ければ、今日と明日の間、やつを抑えることができるかもしれない。
「そんなの、真に受ける方がどうかしているわよ!」
「でも、学校が」
「こんな学校、潰れちゃえばいいのよ!」
「仕方あるまい。俺が外に出て、化け物を始末しに行く。君たちは、矢来の注意を引き付けておいてくれ」
「え…外に出ていいんですか?」
「…まずいな。俺が外に出ている間、マスターキーは下に落ちていってしまう」
「あと三日の時間が伸びませんか?」
頷く四枝さん。
「駄目ですよ。僕は、一日だって、あいつを止めることができなかったんですよ?同じことじゃないですか!また他の人を刺して、人間じゃなくして、おかしなことを言い始めます」
「なら、君にできるか?」
「僕に?なにを?」
「化け物を殺せるか?」
「先生なんですよ?僕らと一緒に元に戻せないんですか?」
「無理だ。鏡を通ってない人間を元に戻すことはできない。どんなに時間が経っても消えはしないんだ。鍵でこじ開けた力と鏡から転写して得た力では、過程がまったく違う」
「いっそ、矢来のほうを…」
「気持ちは、わかるが、この状況では、返り討ちにあうぞ。伊達に、力のみに頼っていない。やつは、プレッシャーをかけて人を操る方法を心得ている。今は、たたきやすい方を潰して、出方を見よう」
「なんだってこんなことに」
やることなすこと悪い方向に流れていく。
「君だけじゃ、心もとない。リコ、頼む」
「全部、あんたのせいよ、四枝」
「すまない。俺の責任だ」
「そうよ。全部全部全部全部あんたのせい!」
「リコさん…」
僕は、リコさんを抑えようとした。彼女の頬に涙の粒がつたっていた。
「あんたも矢来も許さないから…」
彼女の涙声で貰い泣きしそうになって、何とか堪えようとして、太ももをつねった。彼女は、淡いピンク色のハンカチで顔を拭いた。
「どうすれば、雷を落とせるの?」
四枝さんは、丁寧に彼女へ力を呼び出す時のことを感覚的に教えた。
つまるところ、彼女が、落雷を受ける前の感じと雷を受けた時の感じの記憶を明確に思い出すことが肝心であるらしい。
それから、実際に落とすものに集中して、雷へ命じることも思い描く。一時間くらい、そのイメージに没頭し、旧校舎から出て、僕らは雲が集まってくる光景を目の当たりにした。
僕も、リコさんを負ぶって歩いた雨の日を思い出した。どうしてか僕の方も変に上ずった感覚がわき上がった。リコさんは、風邪を引いたふうになった。頬が赤くほてって、瞳が潤んでいる。
「行きましょう。できそうな気がする」
僕は、調子の悪そうなリコさんに肩を貸して、裏山に入っていった。正直、あの猿の化け物より、雷の轟音、そして、落雷に打たれて意識を失くすことのほうが、恐ろしかった。意識を失くせば化け物から逃げることもできない。
小雨が降り出し、そして、ゴロゴロと雨雲が電気を蓄えて鳴り出した。
山小屋へついた。僕は山小屋の入り口を塞いでいたドラム缶三つを倒して、転がしてどかした。
覚悟を決めるときだ。
僕はパラライザーを準備した。扉を開けて、化け物が出てきたところをこれで動けなくし、リコさんの落雷でし止める寸法だ。雨が強くなってきた。機械が、濡れないよう手を袖で覆う。
リコさんは、山小屋から十数メートルほど、距離を置いて扉を見ている。僕は、手を上げて、扉を開ける合図を送った。
「いきますよ!」
「いいわよ!」
扉を開け放ち、素早く山小屋の角に身を入れた。人間じゃないものの荒い息づかいが聞こえる。
獣の唸りを上げて、外に飛び出してきた。背が丸まり、腕や手先が伸びた猿のような生き物が、ポロシャツとジャージのズボンを着ていた。地面に手をつき、あたりをさぐっている。
先生…
僕は、パラライザーをかざして、その化け物の背中へ向けて突進していった。パラライザーの先が猿の背に触れ、スイッチを押す。バチバチという音をたてながら、猿は、悲鳴を上げて、うつ伏せに倒れた。
うまくいった!逃げなくちゃ!落雷の巻き添えになる!
猿から遠退く。
「リコさん!」
彼女がいる方向へ振り向いた。彼女は、猿のいるところを指差していた。けど、雷は落ちてこない。猿は早くも立ち上がろうとしている。一回だけでは、威力が弱かったんだ。
「落ちなさいよ!」、リコさんが、叫んだ。
僕は、耳をふさいで、その場に伏せた。
ようやく黒々とした雲の下、雷が轟く。山が白い閃光に包まれた。木々から雨露が、僕の頭に滴り落ちてくる。なんとか目をこじ開けて、命中したか確かめた。
猿は、ふらつきながらも、僕のいる方向を見て、うなった。山小屋の屋根に大穴が開いていた。猿の後ろに外れて落ちたのだ。
僕はリコさんを探した。いない。あの轟音に驚いて、茂みに伏せているのか?
猿は、照準を僕にセットしたようで、吠え狂って向かってきた。
僕は、逃げ出すわけだが…僕のいた場所は道路の上でもない山の中。足元が不安定で、まともに走れない。おまけにこの雨だ。
「リコさん!リコ」
少し振り返った。猿は、そこらに落ちた長い枝を拾って、追いついてくる。長い手をぶら下げているくせに身軽だ。振り返ったせいで、僕との距離をみるみるうちにつめ、猿は、僕の尻を枝でついて転ばせた。転んだ僕の頭に枝を叩きつける。
パラライザーのスイッチを入れ、後ろへ振って、懸命に身を起こそうとした。だが、猿は、すでに僕の身体の上に乗っていて、ものすごい力で地面に押さえつけた。僕の首根っこに噛み付く。僕は、恐怖と痛みで金切り声を上げる。
パラライザーは、雨水のせいでショートしてしまっていた。僕は、あの不良のように食い殺されるのか。
再び、閃光と轟音が、鳴り響いて、猿が怯んだ。雷が落ちた。猿と僕のいる場所ではない。どこか遠いところに。
始めから、リコさんの力をあてにするべきでは、なかった。僕は、雷鳴の音で動きが止まった猿を払いのけて立ち上がった。
「草加くん!伏せて!」
そんなリコさんの声がして、僕は、飛び上がって伏せた。
また落雷がくる?
ビリビリと耳を頭に押さえつけられる、あの感覚がする。
雷じゃない?
思い切り、身を地面に押し付けて固くなった。突風が吹き抜けたと思うと、どん!鈍い音が何度かして収まった。
ゆっくりと目を開いて、顔を上げた。僕の真ん前に、矢来が立っていた。矢来の手腕と脚からは、異常なほどの水蒸気が立ち込めいていた。
「面白いことやってんじゃないの。俺抜きで」、矢来が、鼻を鳴らした。
十メートル先の木の下に猿がいた。頭を垂れてピクリとも動かない。矢来がやったのか。
僕は、全身、雨でずぶぬれで、首から流れる血が温かい。
「なんで…?」
「友達だって言っただろ。ははは」
事も無げにそんなこと言い放つ。どういうことなんだ?
「やっぱ雨が降ると調子が悪いな。くそ」
矢来から放たれる蒸気は、次第になくなっていった。
「草加くん!」
リコさんが走り寄ってきて、ハンカチで首の傷口を押さえてくれた。
「ごめんなさい」
リコさんは、泣いていた。
「ごめんなさい。うまくできなくて…」
この人は、本当は、泣き虫なんだな、と僕は思った。




