新生飼育部2
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僕らは、四人揃って学校を出た。矢来が、腹が減ったと言い出したからだった。リコさんも僕も学校にいられるような気分では、なかった。水上さんはこの状況に流されるまま、一緒にいた。リコさんが無言で彼女のそばについていた。僕はというと、矢来が放り投げた机を見に行きたかったが、一人だけ抜け出すことが後ろめたくて、できなかった。
正門をしばらく行ったところのバス停にちょうどバスが来たので、みんなで乗り込んだ。駅前行きのバスには、前の席にお年寄りが、三人乗っていた。僕たちは、両側に向かい合わせになっている席に座った。矢来は外の景色を見ていた。
「しかし、空が飛べないのは、不便だよな。俺だけならさ、ここから駅まで三分もかからないんだぜ?」
僕は、四枝さんの話を思い出していた。
「四枝さんが、空を飛ぶっていうことは違うと言ってましたよ。あなたのは、走るとか歩くとかの方が正確だって」
「あの野郎…」
瞬間的に矢来が、憎悪でいっぱいの顔になった。
「いや、飛んでるね。マッハ1,5だ。髪が抜け落ちちまうよ。ははは。俺たち、みんなが飛べるようになったら楽しいだろうなあ」
怒りを露にした、つかの間、快闊に笑ってみせ
「四枝の野郎には、そういうことが、わからないんだよ」と、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
バスが駅前広場に到着した。運賃は、すべて矢来が支払った。そして、バスを降りる時、前の席に座っていたお婆さんがバスから大きな荷物を降ろそうとしているところを矢来はすすんで手伝ってあげた。僕も手を貸した。
「おばあちゃん重いよ。なに、はいってんの?」と矢来が気さくに話しかけ、駅のエレベーターまで荷物を運んであげた。おばあさんは何度もお礼を言っていた。
僕には、わからなかった。これが矢来本来の性格なのか、僕たちに自分の善意をアピールして動揺させようとしているのか。僕は矢来を恐れ、嫌っているのか。そうでないのか。そうでないとしたら、僕は矢来をどうすべきなんだろう?
駅前のファミリーレストランは、昼下がりで空いていた。適当なテーブルについて、メニューを開く矢来。
「何でも頼め。心配するな」
それまで、ずっと黙っていた水上さんが口を開いた。
「学校でお弁当食べました」
「十品くらい頼んどいてよ、草加くん。目の前にありゃ食いたくなる」
矢来は、席を立った。
「どこいくんです?」
「便所」
矢来の背中が、レストルームの方に消え、メニューを睨んでいたリコさんが立ち上がって、僕に言った。
「さ、いくわよ」
リコさんは、水上さんの手を握っていた。
「二人で行ってください。僕は残りますよ」
僕に怪訝な顔をするリコさん。
「なに、かっこつけてんのよ」
「そんなんじゃなくて。矢来は、空飛べるんです。三人で逃げたらすぐに追いつかれますよ」
「建物の間を隠れて逃げればいいのよ」
「まだマスターキーを取り返してないです」
「そんなものなんだっていいじゃないのよ!できっこないわ。屋上でやったんでしょ?それ!」
僕の胸ポケットにあるパラライザーを指差した。
「でも、あの人が、誰かにマスターキーをつかわないように見ていることはできると思うんです。だから、ここにいますよ」
「男は、みんなまとめて馬鹿ばっかり。あんたも四枝と同類よ。ついてけない」
リコさんは、水上さんの手を引っ張ったが、彼女は、立たなかった。
「わたしもここにいます」
「なぜ?どうして?」
「わたし、矢来さんのことが、なんとなくわかるんです。ほんとは、すごく優しいのに、無理に強がって。公園にもああいう子がいますし…」
この子は、どうしてこんなふうに思えるんだろう?
「聞いたあたしがいけなかったわ。あなた、知らないのよ。同情の余地なんかない。あいつは狂った人殺しなのよ!ねえ!?」
リコさんの目が潤んでいる。涙を堪えているようだった。
「あたしだって何かしたいわよ。学校出てから雷雲を呼んでいるけど、なにも起きないの。雲、ひとつよってこないわ。いつだって来て欲しくない時にはくるくせにいいい」
リコさんの声が大きい…僕は、おどおどして、トイレがある方の角を見て言った。
「二人は残ることないです。僕が、あの人を抑えてますから」
「そらそうさ。リコちゃんは、昨日、三つくらい稲妻を落としているもんな」
矢来が、僕たちのテーブルにひょこっと現れた。こいつ、本当にトイレへ行ったのか?担がれたのかもしれない。
「威力は凄まじいけれど、大きく天候に左右される上、再使用には、週単位のチャージ時間がいる。そうだろ?」
「聞いてたの!」
矢来は、腰から抜いたマスターキーをテーブルへ転がした。ごと!っと、僕には、飛び上がりそうなほどの大きな音がしたように思えたのだが、店内で気にする客は、僕たち以外になかった。
十文字の形をしたマスターキーは、輝いて、四人の影を映し出している。
「マスターキーは、ここだ。俺は、こいつを平等に使いたいと思っている。リコちゃんは、力を使って俺を倒したいのか?」
リコさんは、机の平面をじっと見詰めて黙った。
「それを使えば、今、話した制限みたいなものを通り越して、雷雲を呼べるかもしれないぞ。そいつを自分の身体に突きたてて捻るんだ。ドアの鍵、開くみたいに。きっとスペシャルなことが起こるさ」
やつは、マスターキーをそのままにして僕たちに背を向けた。
「それを持って逃げても構わないが、俺が帰ってきて、君たちがいないと、店にいる人間を全員殺すかもな。どうせ、俺は狂った人殺しなんだからよ」
矢来が、トイレへ行った。僕たちは、動かなかった。矢来が言ったことは、冗談かもしれない。しかし、やつが力を使って、それを実行に移すことができることを僕は承知しているのだ。
「二人は、残ることないです。行って下さい。僕が、引き止めています」
やはり、僕は、リコさんと水上さんを帰す提案をした。マスターキーは持ち去らずに。でも、僕はこれを持って逃げたかった。明日まで、どこかへ隠れていれば、四枝さんが、出てきて何とかしてくれる。
けれど、マスターキーが目の前にあるというのに、あいつの言葉が引っかかる。
全員殺す?そんなのハッタリだ。
そんなことすれば、警察が来て、あいつこそ、終わりだ。そうなった時、どこへ逃げるっていうんだ?しかし…矢来の背中に捕まって空を飛んだ時を思うと、やつにとって、警察などというものは、取るに足らないことに思えてきた。
リコさんは、僕の声を聞いているのかわからない。黙り込んでしまった。
「これ、なんですか?」
水上さんが、マスターキーに手を触れて、言った。彼女は、僕たちが話していることをあまりよく把握していないようだった。質問もしてこない。基本的に信じていないのかもしれない。日常生活とは、並外れたことだから無理もない。
「だめだよ。さわっちゃ。危険なんだ」
僕はマスターキーを自分のところへ引き寄せた。
「ごめんなさい。…ピカピカしてとってもきれいで」
彼女が、無邪気にそう言った。
「…そだね」
彼女の雰囲気にほっとする反面、この子は巻き込んじゃいけなかったんだと強く思った。
僕たちは、矢来がトイレから戻ってくるまで身動き一つ取れなかった。
メニューを開くこともなくて、矢来がテーブルに付いたとき、僕たちが何も注文していないことに呆れ、ウエイトレスを呼んでメニューの写真だけを見て十品ほど注文をした。ハンバーグステーキやらパスタやらスープ、サラダ、そんなものだ。
ウエイトレスは、無表情で僕たちを心から歓迎できる客とは思っていないようだった。淡々と事務的に注文を復唱する。矢来は、僕たちに何か食べるように進めたが、僕は、そんな気分ではないし、リコさんはずっと黙っていて、水上さんも手を振った。
オーダーが届くと、矢来は、その大きな口の中に詰め込んでいった。熱いもの、冷たいもの、変わらず口に運ぶペースは一定だった。テーブルの上は、次々出てくる料理でいっぱいには、ならなかった。運ばれてくる前に矢来が皿を空っぽにして端に重ねていったからだ。料理が、くるのが遅くなってメニューをじっくり見定めて、追加注文した。
とうとう、ウエイトレスは、メニューの品を読み上げる矢来と僕たちに疑いの眼差しを向け始めた。確かに、平日の午後に高校生四人が、制服姿の我が物顔で暴飲暴食しているなんてどう考えても変だ。
「矢来さんお金持ってるんでしょうね?」
「あるに決まってる」
ミートスパゲティーを口の中いっぱいにして、矢来が言った。
「ウエイトレスに怪しまれてます。学校に行かないでこんなところにいるから」
フォークを口にくわえて、上着の内ポケットをまさぐり、札束を取り出した。それをマスターキーの隣に置く。
お金、マスターキー、塩コショウ。
料理を運んできたウエイトレスが、テーブルの上の金を目にして、料理が来る時間の間隔が極端に短くなった。矢来の食べるペースも早くなる。
メニューの飲み物の項目を見ていた矢来が言った。
「酒を飲んで力を使うとどうなるかわかるか?」
僕をフォークで指す。
「少し力が、増すんだぜ。けど、コントロールがめちゃくちゃになるんだよ。ずっと前、酔っ払って、わけわからんまま、空の上の上まで行ってよ。空気が薄いし、凍えそうでさ。失神寸前、まっ逆さま。落っこちて死にそうになったよ」
話の途中で、物を口に入れ、ろくに噛みもしないで飲み込む。水上さんが、矢来の食べっぷりを興味津々で眺めている。僕はそんなふうに矢来に気を取られている水上さんを見るのが嫌で席を立った。この状況にうんざりだった。
「どこへいく?」
「トイレですよ」、逃げ果せられるものならそうしたい。
テーブル席の角を曲がり、カウンターを通り過ぎてトイレのある通路に入るとリコさんが小走りで追ってきた。リコさんに手をつかまれて、いきなり女性用のレストルームに引っ張りこまれた。幸い中には誰もいない。手洗い場には、鏡があるというのに、後先考えない人だなあ。
「な、なんですか?」
「貸して」
僕の胸ポケットに入っていた、パラライザーをリコさんは取り上げた。
「あたしがやってみる」
「女の子には無理ですよ」
「関係ないわ。あの大食らい。食べすぎで動きが鈍るだろうから、チャンスよ」
「けどですね。さっき、あいつに近づいた時、息ができなくなったんです。きっと力を使って、なにかしたんですよ。よほどの不意打ちじゃない限り、成功しません」
「息ができない?」
「はい」
「それでもやるしかないのよ。あんたが矢来を抑えて、あたしがこれを使う。いいわね」
リコさんはスイッチを押してパラライザーをうならせた。
僕たちが帰ってきたら、水上さんは、アイスクリームを食べていた。矢来は、目の前の料理を食べ合わせも考えずにがっついている。もしかして、この二人、気が合うなんて事ないよな?
レストランで矢来の食事を二時間半も見続けた。やつは、二十四品目もの品を腹に収めて平然としていた。これも力のせいなのか?僕も、今朝パンを八個食べた。僕の方が、気分が悪くなってきた。




