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青き火花は静かに灯る ~元エンジニア、省エネ魔導具で貴族社会をハックする〜  作者: 山下オクトパス
一年生 一学期(春)

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01-06.白亜の講堂とレンガの教室

春の柔らかな日差しが、クラインフェルト領の山並みに残る残雪を銀色に光らせていた。

十歳の誕生日を迎えてすぐの朝、屋敷の正面玄関前には、幌を張った大型の馬車が静かに控えていた。


「エーリヒ、胃腸を温める魔術薬の小瓶は、鞄の取り出しやすい上段に入れてありますからね。少しでも熱っぽさを感じたら、我慢せずに寮の舎監へ申し出るのですよ。レオン、お前も鍛錬に夢中になって兄を放り出すんじゃないよ」


母アンナが、何度もエーリヒの外套の襟元を正しながら言い含める。

傍らでは第二夫人のマルテが静かに微笑み、妹のイルゼの手を引いて見送りの言葉を掛けていた。

長男のジークフリートが歩み寄り、静かにエーリヒの肩に手を置く。


「体調の管理は何よりも優先しろ。何かあれば手紙を寄越せばいい。……お前なら、自分の道を冷静に見定められると信じているよ」


「ありがとうございます、ジークフリート兄様。母上も、マルテ様も……行ってまいります」


「行ってきます!」


背筋を伸ばして礼を執ったレオンの肩を、背後から軽く叩いたのは次男のカールだった。

今年で十四歳になるカールは、アイゼンガルド学園の三年生だ。

休暇を実家で過ごし、今回の新学期に合わせて二人を引率する役目を担っていた。



長男譲りの頑丈な体躯に、引き締まった立ち居振る舞い。

すでに軍人の卵としての落ち着きが身についている。


「挨拶が済んだなら乗れ。街道が混み合う前に発つぞ」


カールの促しで馬車に乗り込むと、御者の合図とともに車輪が重く回り始めた。

小窓から覗くと、門前に並んで手を振る家族の姿が、春の朝靄の中へと次第に遠ざかっていく。


「……ふう。母上のあの心配性には参るよな」


座席に腰を下ろしたレオンが息を吐くと、向かいのカールが静かに視線を向けた。


「家で心配されているうちが花だ。学園に入れば、建前上はすべての生徒が対等な立場として扱われる。自分の身の回りの管理も、進路の選択も、すべて己の責任だぞ」


「分かってるよ、兄貴。俺は騎士を目指すんだから、弱音なんて吐かないさ」


「その意気込みは結構だがな。……おい、エーリヒ」


カールが名を呼んだ。

その低い声には、弟の身体を案じる情と、先輩としての忠告が込められていた。


「馬車の揺れはきつくないか? 途中で街道沿いの宿場に泊まる。少しでも胸が苦しくなったら、無理をせず言えよ」


「ありがとうございます、カール兄様。今のところ、薬もよく効いていて落ち着いています」


「ならいい。……それにしても、お前が本当にあの倍率を潜り抜けて合格するとは思わなかった。筆記試験で学年三席の点数を叩き出したそうだな。試験官の技官連中が驚いていたと、寮の先輩伝いに耳にしたぞ」


「へへっ、エーリヒは頭がいいんだ!」


誇らしげに鼻を鳴らすレオンに、カールは苦笑しつつも表情を引き締めた。


「だが、学園の仕組みはよく知っておく必要がある。……学園の掲げる理念は『学舎においては爵位の貴賤を問わず、すべての生徒に公平な研鑽の場を与える』というものだ。だから、一年生が受ける基礎講義のカリキュラムそのものは、第1クラスから第4クラスまで原則としてすべて共通だ」


「えっ、授業の内容は全部同じなの?」


レオンが目を丸くすると、カールは頷いた。


「ああ、教科書も基礎の座学も実技の項目も同じだ。身分やクラスで履修を制限されるような不平等はない。……ただし、だ。理解が早い者や技量の高い生徒には、先生からより高度で進んだ課題が個別に与えられる。つまり、同じ授業を受けていても、本人の能力と意欲次第で進度に歴然とした差がつく仕組みなんだ」


カールは腕を組み、背もたれに体重を預けた。


「第1や第2クラスの連中は、高位貴族としての誇りや家の期待を背負っているから、競うように予習して先の内容へ進もうとする。必然的に教室の空気も張り詰める。第3クラスは体を動かす実技に重きを置く者が多く集まる。そして……エーリヒ、お前が入る第4クラスは、領地のない騎士爵や地方貴族の次男・三男が多い。基礎の実務をしっかり身につけて自活に繋げようとする現実的な者が集まるから、良くも悪くも地に足がついた落ち着いた環境だ。お前のような気質には、一番合っているかもしれんな」


「なるほど……。授業そのものは同じで、学ぶペースや目指す先が違うんですね」


エーリヒは納得して頷いた。

制度としての平等が担保されているなら、誰かに無理な足止めをされることもない。

自分の体調を管理しながら、必要な知識を着実に吸収できるはずだ。



馬車は舗装された街道を滑らかに進み、二日目の夕暮れ、第二都市アイゼンガルドを取り囲む壮大な石造りの城壁をくぐり抜けた。


「うわあ……! すげえ、おいエーリヒ見ろよ! 全部、石でできてる!」


城門を抜けた瞬間、レオンが身を乗り出して馬車の窓枠に両手を張り付けた。

夕陽に照らされた街並みに、レオンの瞳が真ん丸に見開かれている。

木造の母屋や漆喰壁が多かった本領の風景とはまるで違う。



三階建て、四階建ての重厚な石造りの家々が整然と立ち並び、足元には隙間なく切り石が敷き詰められた石畳の街道がどこまでも続いていた。


(……すごいな。まるで中世ヨーロッパの古い街並みそのものだ)


エーリヒもまた、小窓から流れゆく街並みをじっと見つめ、胸の奥で静かな感動を覚えていた。

前世で本や映像の中でしか見たことのなかった、どっしりとした石造りの尖塔やアーチ状の橋。

街角には魔導仕掛けの街灯が淡い橙色の明かりを灯し始め、夕暮れの空に絵画のような陰影を落としている。



歴史と重厚さを肌で感じさせるその光景に、異世界へやってきて以来、初めて旅情のような感慨が湧き上がっていた。



---



翌朝、アイゼンガルド学園の大講堂は、新入生百二十名余りの熱気と緊張感に満ちていた。

壇上に立ったのは、白髪を綺麗に撫で付け、豪奢な毛皮のついた深紅のガウンをまとった老紳士だった。

ロゼルシア王国有数の名門、クランウェル公爵。



王家の直系ではないものの、代々宮廷の重鎮を務めてきた大貴族であり、この学園の学長という地位も多分に「名誉職」としての意味合いが強い人物だった。


「――諸君。この学園の門をくぐった瞬間より、諸君らは単なる貴族の子弟ではない。我がロゼルシア王国の未来を支える一人の学徒である。学舎においては血筋の貴賤を問わず、すべての生徒が公平に研鑽を積むべし……」


よく通る厳かな声で、学長が訓示を読み上げる。

だが、その豪奢な佇まいと、壇上を取り囲む上級貴族出身の先生たちの慇懃な態度を見れば、「公平」という言葉が建前を含んだものであることは、十歳のエーリヒの目にも明らかだった。

身分による制度的な差別は表向き禁じられていても、この社会の根底にある階層構造が消えてなくなるわけではない。


「――続きまして、新入生代表の宣誓を行います。新入生総代、アルフレッド殿下、前へ」


司会の先生が声を張り上げると、講堂内が微かにざわめいた。

最前列の中央から、一人の少年が静かに立ち上がり、壇上の階段をゆっくりと上がっていく。

第四王子、アルフレッド。



癖のない艶やかな金髪に、彫りの深い整った顔立ち。

十歳とは思えない落ち着いた佇まいだが、その双眸にはどこか周囲の熱狂を冷めた目で見下ろすような、退屈そうな光が宿っていた。


(……新入生総代が、第四王子殿下か)


エーリヒは講堂の壁に貼り出されていた合格者名簿を思い出していた。

筆記・実技・魔力量を合わせた総合判定の首席は、確か北方の侯爵家出身の少年だったはずだ。

アルフレッド王子の成績は、確か四席か五席あたりに名を連ねていた。



学園の理念が真に「実力至上と公平」であるならば、総代として壇上に立つべきは総合首席の侯爵子息であるはずだ。

しかし、実際に全校生徒と先生たちの前に立っているのは、王位継承権を持つ第四王子。


(建前は平等。でも、こういう目に見える象徴的な場所では、しっかり王家への配慮と忖度が働くわけだ)


前世の社会でも嫌というほど見てきた、組織のリアルな力学だった。

とはいえ、壇上に立つアルフレッドの所作は見事なものだった。

少しの淀みもなく、完璧な発声と堂々たる態度で誓いの言葉を述べ終え、優雅に一礼して席へと戻っていく。



その背中に、貴族の子弟たちから惜しみない拍手が送られた。


「……これにて、入学式を終了とする。各員、指定されたクラスの教室へ移動せよ」


先生の号令とともに、生徒たちが一斉に動き出した。


「エーリヒ、後で寮の様子を見に行くからな!」


「うん、レオンも気をつけてね」


第3クラスの列へと進むレオンを見送り、エーリヒは自らの席次である「第4クラス」の案内板に従って歩き出した。

第1・第2クラスが進む中央校舎は、大理石の柱が並ぶ壮麗な空間だ。

一方、第4クラスが案内されたのは、中央校舎の東側に連なる、重厚な石造りの別翼校舎だった。



古くはあるが手入れは行き届いており、磨かれた板張りの廊下に落ち着いた静けさが漂っている。

教室に入ると、三十名ほどの少年たちが指定された席に着いていた。

身につけている制服に派手な装飾はないが、皆きちんと襟元を正し、緊張した面持ちで机に向かっている。



厳しい入学試験を突破してきた者たちだけあって、その眼差しには確かな自負と、これからの学業への真剣さが宿っていた。

エーリヒは後方の窓際、外の並木が見える席を選び、鞄を置いて腰を下ろした。

使い込まれた木の机を撫で、静かに息を整える。


「……あの、失礼。君が、クラインフェルト子爵家のご令息……エーリヒ君、だよね?」


通路を挟んだ隣の席から、少し遠慮がちに声が掛けられた。

振り向くと、短く整えられた茶髪に、そばかすの残る穏やかな顔立ちの少年が、ぺこりと頭を下げていた。

制服の襟元には、領地を持たない騎士の家系を示す端正な鉄の留め具が留められている。


「あ、うん。エーリヒ・フォン・クラインフェルトです。君は……?」


「僕はヨハン・ベルガーって言います。父は伯爵領でお抱えの騎士をしていて……。あの、掲示板に筆記三席で名前が出ていたのを見て、どんな人なんだろうって気になってたんだ」


親から教え込まれた貴族同士の丁寧な挨拶をしつつも、その瞳には十歳の男の子らしい素直な驚きと好奇心が宿っていた。


「ヨハン君、丁寧な挨拶をありがとう。……でも、僕に敬語なんて使わなくていいよ。爵位の話は抜きにして、普通に話そう」


「えっ……でも、君は子爵家のご令息だし」


戸惑うヨハンに、エーリヒは苦笑しながら手をひらひらと振った。


(前世の現代社会で生きてきた身としては、ただでさえ面倒な身分社会なのに、同じ教室の机を並べる相手とまで堅苦しい敬語でやり取りするのは御免被りたいからな……)


「家柄なんて関係ないよ。同じクラスの同級生なんだし、エーリヒって呼び捨てで構わない。気楽にいこう」


エーリヒが気さくに笑いかけると、ヨハンは目を瞬かせ、それから「……ふぅ」と大きく肩の力を抜いた。


「あー、助かった! 実はガチガチに緊張してたんだよ。父上から『粗相のないようにしろ』って口酸っぱく言われてたからさ。じゃあ、お言葉に甘えて普通にいくぜ、エーリヒ!」


言葉遣いがくだけた瞬間、ヨハンの表情が一気に年相応の活発な男の子のそれになった。


「でさ、さっきの話に戻るけど、筆記学年三席なんて普通なら第1クラス行きだろ? なんでこんな第4クラスなんかにいるんだよ?」


「理由は簡単さ。身体が弱くてね、筆記の後の体力測定で倒れかけちゃったんだ。魔力測定も平凡だったし、総合順位がガタ落ちしたのさ」


「あはは、極端だなあ! まあでも、正直言ってこのクラスで正解だったんじゃないか? 上のクラスなんて、大貴族の跡取りばかりで毎日胃が痛くなりそうだしさ」


「僕もそう思うよ。さっきの講堂でも、新入生代表の挨拶が総合首席の侯爵子息じゃなくて、第四王子殿下だったしね」


「あ、やっぱり気づいた? 学長先生は『平等』って言ってたけど、ああいう大人の事情ってやっぱりあるよな。……まあ、本音を言えばさ」


ヨハンはちょっと困ったように頭を掻いた。


「将来十八歳になった時に雇ってくれそうな、大貴族の息子さんと知り合いになって、いいコネを作っておきたい気持ちもちょっとはあるんだけどさ。親…父上からも『できれば上の連中と顔を繋いでおけ』って言われてたし。……でも、あんなギスギスした輪の中に俺なんかが無理して入っていっても、馬鹿にされるかパシリにされるのがオチだろ?」


打算と親の期待を理解しつつも、自分の力量や現実を冷静に見極めている。

その割り切り方に、エーリヒは好感を抱いた。


「授業の内容自体はどのクラスも同じなんだし、理解が早ければ先に進んだことも教えてもらえるらしいからさ。俺はまずこのクラスで、読み書きや計算をちゃんと身につけたいんだ。領地を持たない騎士の次男坊だし、十八歳になったらどこかの騎士団か商隊に雇ってもらって、自分の力で飯を食っていかなきゃいけないからな」


「すごく現実的でいいと思うよ。僕も武門の三男だけど、この通り剣は振るえないから家を継ぐこともない。十八歳で自立するために、静かに手堅く学問や技術を学びたいんだ。だから、このクラスで本当によかったと思ってる」


「マジで!? 子爵家の息子なのに、俺らと同じように自立のこと考えてるんだな! なんだか一気に親近感湧いたぜ。このクラス、真面目に勉強して自活しようって奴が多いみたいだし、居心地良さそうだよな」


「うん。お互い、しっかり学んで自立しよう」


二人は顔を見合わせて、悪戯っぽく笑い合った。

貴族社会のしがらみや現実的な打算を抱えつつも、目指す先は同じ「十八歳の自立」。

気兼ねのない、心地よい関係の第一歩だった。



程なくして前方の扉が開き、担当の先生が教壇へと上がってきた。

引き締まった静けさの中、エーリヒの新しい学園生活が、確かな一歩を踏み出そうとしていた。


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