01-05.奇妙な適性検査
父ゲルハルトの許可を勝ち取ってからの二ヶ月間、クラインフェルト家には奇妙な連帯感が生まれていた。
「エーリヒ、今日の分ですよ。鼻をつまんででも全部飲み干しなさい」
毎朝、母アンナ自らが運んでくるのは、青黒く濁った湯気を立てる奇妙な薬湯だった。
地方の薬師から取り寄せたという魔術薬の一種らしく、干からびた黒いトカゲの尾や、微かに光る正体不明の乾燥キノコ、苦味の塊のような根菜が煮込まれている。
舌が痺れるような独特の風味だったが、エーリヒは眉を寄せながらも一滴残さず飲み干した。
第二夫人のマルテも、弱った胃腸に負担をかけず栄養がつくよう、脂身を極限まで落とした鳥肉と根菜のスープを毎食欠かさず用意してくれた。
そして、基礎体力の強化。
武門の家だからといって、間違ってもレオンのように泥だらけで木剣を振るうような真似はしない。
そんな無茶をすれば、翌日には再び高熱を出して寝込むだけだ。
(目指すのは戦士の身体じゃない。試験会場まで自分の足で歩き、風邪を引かずに一日座っていられるだけの、最低限のスタミナだ)
前世の知識を活かし、エーリヒは極めて地味で手堅いメニューを組んだ。
朝夕の散歩は、心拍数が上がりすぎない速度で中庭を二周することからスタート。
日を追うごとに少しずつ歩数を伸ばし、冷たい空気を吸い込みすぎないよう手拭いで口元を覆いながら、軽い屈伸で関節をほぐす。
少しでも寒気や怠さを覚えれば、意地を張らず即座にベッドへ潜り込み、温めたレンガを足元に置いて身体を休めた。
夜、自室の机に向かう時間だけが、エーリヒの研究室だった。
レオンがくれた川原の小石――天然の屑魔石を指先でつまみ、連夜の実験を繰り返す。
『初等魔導概論』に書かれていた「魔力は奔流の如く注ぎ込め」という教えを無視し、エーリヒは極小の制御を突き詰めていた。
教本通りに大魔力を強引に動かそうとすれば、途端に激しい頭痛と眩暈に襲われ、それだけで倒れそうになってしまう。
ならば、やるべきことは一つ。
指先から伸ばす魔力の糸を、可能な限り細く研ぎ澄ます。
石の内部で青く淀む魔力の核へ、余分な圧力をかけず、静かに接触させる。
チッ、と極小の火花が散り、石が淡く青白色に灯る。
最初の一秒で激しい立ちくらみを起こしていたのが、一ヶ月が経つ頃には、十秒、二十秒と息を切らさずに維持できるようになっていた。
身体への負担を最小限に抑えながら、魔力を一滴もこぼさずに循環させる「精密制御のバイパス」が、エーリヒの中に少しずつ作られていた。
そして、季節は冬へ。
粉雪が舞う中、エーリヒとレオンの二人は、長男ジークフリートの引率のもと、乗り合い馬車に揺られて領地を出発した。
目指すは、第二都市アイゼンガルド。
ロゼルシア王国の軍事と学術の中枢であり、貴族学校の入学試験が行われる地だった。
馬車に揺られること二日。
石造りの巨大な城壁をくぐり抜けた瞬間、エーリヒは思わず息を呑んだ。
「……すげえ、なんだここ……! 家が全部、石で三階建てや四階建てだぞ!」
レオンが馬車の窓に張り付いて叫ぶ。
田舎の本領とはまるで違った。
整然と敷き詰められた石畳の街道、行き交う何台もの豪華な馬車、そして何より――街並みのあちこちで、魔導具が当たり前に稼働していた。
街灯の火屋の奥で揺れる魔石の光。
大型の魔導式クレーンが石材を吊り上げる鈍い音。
エーリヒの目には、街全体が様々な色温度のグラデーションに包まれ、まるで生き物のようにエネルギーを循環させている巨大な都市に見えた。
その中央にそびえ立つ、白亜の巨塔と広大な校舎群。
貴族学校――アイゼンガルド学園。
今日から三日間にわたり、王国内のあらゆる貴族子弟が集まり、鎬を削る試験の舞台だった。
「エーリヒ、レオン。ここからは俺も付き添えない」
校舎の大門前で、ジークフリートが二人の肩を叩いた。
「試験は筆記、基礎体力、そして魔力量の測定の三つだ。レオン、焦って周りと喧嘩するなよ。……エーリヒ、絶対に無理はするな。倒れたらその時点で終わりだからな」
「うん、分かってるよ。行ってきます、兄上」
「行ってくるぜ!」
二人は受験番号が書かれた木札を首から下げ、重厚な鉄扉をくぐり抜けた。
第一関門――講堂で行われた「筆記試験」。
長机がずらりと並ぶ巨大な会場には、百人を超える貴族の子供たちが詰めかけていた。
配られた羊皮紙を前に、あちこちから「うっ」「これ、どういう意味だ?」と小声の呻きが漏れ始める。
出題されたのは、王国の基本的な歴史、建国の成り立ち、日常の礼儀作法、そして算術だった。
算術といっても、高等な数学などではない。
大きな桁の足し算や引き算、掛け算を使った物資の計算、簡単な文章題といった、初歩的な四則演算が中心だ。
高位貴族の子息で、幼い頃から優秀な家庭教師をつけられてみっちり仕込まれてきたエリートたちであれば、問題なくスラスラと解ける水準ではある。
だが、普段から剣ばかり振るって机に向かってこなかった武門の次男・三男坊や、学問に金をかけられない下級貴族の子弟たちにとっては、十分に頭を抱える難易度だった。
(……なるほど。前世の小学校低学年レベルだな)
エーリヒにとっては、拍子抜けするほど簡単なものだった。
前世の三十五年間で染み付いた計算力と論理的思考があれば、迷う余地すらない。
位取りを間違えないよう丁寧にペンを走らせ、歴史や法の設問も、病床で読み漁った古い手引書の記憶を手繰り寄せて淡々と埋めていく。
カリカリカリ、と静かな講堂にペン先が走る音だけが響く。
制限時間の半分を過ぎた頃には、エーリヒはすべての解答欄を埋め終えていた。
隣の席で額に汗を浮かべ、指を折って必死に計算している少年を横目に、エーリヒはそっと答案用紙を伏せ、午後の体力測定に向けて静かに目を閉じた。
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だが――地獄は、その午後に待っていた。
第二関門――「基礎体力測定」。
寒風が吹き荒ぶ運動場に連れ出されたエーリヒの前に、過酷な現実が立ちはだかった。
種目は、木剣の素振りと、運動場二周の駆け足。
「次、受講番号四十二番! クラインフェルト!」
試験官の怒号が響く。
エーリヒは息を整え、両腕で重い樫の木剣を構えた。
振る。
ブン、と鈍い音が空を切る。
二回、三回。
……五回目を過ぎたところで、腕の筋肉がワナワナと悲鳴を上げ、握力が急速に失われていく。
なんとか規定の十回を振り終えたものの、膝がガクガクと震え、木剣を取り落としそうになった。
「おいおい……大丈夫か、少年」
試験官が呆れたように眉を寄せる。
そして、最大の難関である駆け足が始まった。
冷たい冬の空気が、肺の奥を刃物のように切り裂く。
半周を過ぎたあたりで、早くも足が鉛のように重くなり、視界がチカチカと明滅し始めた。
心臓が肋骨の内側を激しく乱打し、喉の奥から鉄の味が競り上がってくる。
(倒れるな……! ここで倒れたら、全部終わりだ……!)
前を走る受験生たちの背中がぐんぐん遠ざかっていく。
レオンが心配そうに振り返るのが見えたが、手を振って前を見るよう促す。
足がもつれ、転びそうになるのを、気力だけで踏みとどまった。
泥に膝をつきそうになりながら、歯を食いしばり、一歩、また一歩と前へ足を投げ出す。
「……ご、ゴール……!」
制限時間の砂時計が落ちきる、まさに数秒前。
エーリヒはふらつきながら白線を越え、その場に両手をついて激しく咳き込んだ。
地面に倒れ伏すことだけは、プライドで踏みとどまった。
「はぁっ、ごほっ……げほっ……!」
「受講番号四十二番、ギリギリ規定時間内だ! ……おい、衛生兵! この子に毛布を持ってこい! 唇が紫色だぞ!」
試験官が慌てて駆け寄り、エーリヒの背中をさすった。
記録用紙には「体力:著しく不良(辛うじて完走)」と書き込まれたが、エーリヒは毛布にくるまりながら、荒い息の下で小さく安堵の息を漏らした。
失格にはならなかった。
それだけで十分だった。
そして迎えた最終関門――「魔力量測定」。
薄暗い地下の講義室。
中央には、頑丈な鉄の台座に嵌め込まれた、バスケットボールほどの大きさの無色透明な魔導水晶が鎮座していた。
受験生が両手で触れ、体内の魔力を注ぎ込むことで、水晶の内部に光を灯し、その明るさによって魔力量の絶対値を計測する装置だ。
「次! 受講番号四十一番!」
呼ばれた少年が、気合いと共に水晶へ両手を押し当てた。
ボワッと、水晶が眩しい赤黄色の光を放ち、周囲の空気がカッと熱を帯びる。
「魔力量――三十八! 標準よりやや高め、合格水準だ!」
試験官が満足そうに頷く。
この世界では、魔力量が多ければ多いほど、将来的に大規模な現象を引き起こせる優秀な素質とみなされる。
少年たちは己の魔力を誇示するように、力任せに水晶へ魔力を叩き込んでいた。
やがて。
「次、四十二番。エーリヒ・フォン・クラインフェルト」
名前を呼ばれ、まだ顔色の戻りきらないエーリヒが、おぼつかない足取りで測定台の前へと進み出た。
さっき運動場で青ざめていたひ弱な少年だと気づいた試験官が、苦笑いを浮かべる。
「無理に力を振り絞るなよ。水晶に手を当てて、息を吐きながら魔力を押し出すだけでいい」
「はい。失礼します」
エーリヒは冷たい水晶の表面に、両手のひらをそっと乗せた。
そして、意識を研ぎ澄ませる。
(……なるほど。内部の術式回路に魔力を流して、底面の魔石コアを励起させているのか)
水晶に触れた瞬間、エーリヒの目には装置の内部構造が手に取るように見えていた。
他の受験生たちは、回路の許容量を無視して魔力を乱暴に流し込んでいたため、手元から周囲の空気中へ大量の魔力が漏れ出し、激しい熱となって無駄に散っていたのだ。
(身体に負担をかけちゃいけない。必要な分だけ、最小限の経路で通す)
エーリヒは体内の魔力を引き出した。
二ヶ月間、毎晩練習してきた通りの、極細の魔力糸。
水晶の表面から内部の回路へと滑り込ませ、迷路のような術式の溝を通り抜け、中央の励起コアへピンポイントで接続する。
カチッ、と頭の奥で小さなスイッチが入る音がした。
次の瞬間――。
水晶の内部に、ポッと明かりが灯った。
他の受験生のような、周囲を照らす派手な光の爆発はない。
熱風も起きない。
ただ、水晶の内部全体に、澄み切った青白い光が、淀みなく均一に満ちていた。
まるで磨き抜かれたガラスの器に、一点の濁りもない清らかな水を満たしたかのような、静かで安定した輝きだった。
「……む?」
記録係の試験官が、目を丸くして水晶を覗き込んだ。
「魔力量測定値……二十一。ん、至って平均的……いや、平均よりわずかに下、といったところか」
試験官はペンを走らせ、あっさりと数値を記録した。
十歳の子供としては、特段多くも少なくもない、ごく平凡な数値。
周囲の受験生からも、特に驚きの声は上がらない。
「はい、そこまでだ。手を離しなさい」
「ありがとうございました」
エーリヒは素直に一礼し、手を離した。
指先を離すと、水晶の青白い光はすっと消え去った。
眩暈も動悸もない。
体内の魔力も、散歩を少しした程度しか減っていなかった。
(よし。身体も壊れず、無事に数値を残せた)
エーリヒがほっとして出口へ歩き出した、その時だった。
測定台の斜め後ろ、腕を組んで試験を見届けていた白髪交じりの老技官が、怪訝そうに眉をひそめ、身を乗り出してきた。
仕立ての良い魔導技師のローブをまとった、学園の古株とおぼしき老人だ。
「……おい、待て。今の数値をもう一度見せてみろ」
老技官が記録係の手元から羊皮紙を引ったくる。
「フォイエルバッハ先生? どうされましたか。数値は二十一、ごく平凡な値でしたが……」
「馬鹿者、数値だけを見るなと言っておるだろうが」
老技官――フォイエルバッハは、去っていくエーリヒの小さな背中を鋭い眼光で射抜いていた。
「あの子の手元を誰も見ていなかったのか? 外へ逃げた魔力の漏出が、文字通り『ゼロ』だったぞ。他の者どもは熱だの風だのと半分以上の魔力を空気中に撒き散らしておったというのに、あの子は通した魔力のすべてを、一滴もこぼさず水晶のコアに送り込んでおった」
「え……? し、しかし、あんな十歳にも満たない子供が、そんな精密な魔力制御など……」
「制御などという生易しいものじゃない。装置の内部抵抗すら計算に入れたような、狂気じみた効率の良さだ。……二十一の魔力量で、二十一の光を完璧に出しおった。測れる器がこれしかなかったから二十一と出たが、あれは……」
老技官は顎髭を激しく撫で回しながら、ブツブツと独り言を呟いた。
「クラインフェルト家……武門の子爵家か。妙な小僧が入ってきたものだ……」
三日間の全日程を終え、合否の通知が領地のクラインフェルト邸へと届いたのは、それから十日後のことだった。
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食堂の長机の上。
父ゲルハルト、母アンナ、長男ジークフリートが見守る中、エーリヒとレオンの前に二通の封書が置かれた。
封蝋を破り、羊皮紙を広げる。
「……受かった! 受かったぞ!」
レオンが飛び上がって叫んだ。
「筆記:中、体力:優、魔力:良」。総合評価によって、騎士志望や下級貴族が集まる「第三クラス」への配属が決定していた。
そして、エーリヒの通知書。
『筆記試験:特優(学年三席)
体力測定:劣(要経過観察)。
魔力測定:中。
総合判定:合格――第四クラス配属を命ず』。
筆記がいくら満点に近くとも、体力が最底辺であれば、総合順位は跳ね上がらない。
結果は、予想通りの最下位クラス――部屋住みの三男坊や、訳ありの貧乏貴族が集まる「第四クラス」だった。
「エーリヒ……本当によかったわ……!」
母アンナが感極まってエーリヒを抱きしめた。
最下位クラスだろうが何だろうが、関係ない。
二ヶ月前に生死をさまよっていた我が子が、自分の足で試験を乗り越え、合格を勝ち取ってきたのだ。
父ゲルハルトも、腕を組んだまま、口元に確かな笑みを浮かべていた。
「第四クラスか。……上等だ。約束通り、春からの入学を許可する」
「ありがとうございます、父上!」
エーリヒは深々と頭を下げた。
最下位クラス。
派閥争いにも巻き込まれず、目立たず、自由に知識と技術を吸収するには、これ以上ない最高の隠れ蓑だ。
春になれば、自分は十歳になる。
第二都市アイゼンガルド。
従者抜きの寮生活、前世の知恵をフル活用した自炊生活、そして何より――魔導と機械の技術を極め、十八歳の自立へ向けた本当の戦いが、そこから幕を開けるのだ。
エーリヒはポケットの中の小さな屑魔石をそっと握りしめ、静かに、けれど熱く、拳を握り直した。




