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青き火花は静かに灯る ~元エンジニア、省エネ魔導具で貴族社会をハックする〜  作者: 山下オクトパス
一年生 一学期(春)

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01-04.止まった歯車を動かす手

季節は秋の気配を帯び始め、朝晩の風が肌寒さを運んでくるようになっていた。

ロゼルシア王国において、貴族の子弟が集う第二都市アイゼンガルドの学校――通称「学園」の入学試験は、年が明けてすぐ、冬の終わりに行われる。

そして、試験に合格すれば春にはすぐに入学式と寮生活が待っている。



試験まで、あとわずか二ヶ月。

各領地から王都の管轄窓口へ提出する入学願書の締め切りは、まさに目前へと迫っていた。


「……よいしょ、と」


エーリヒは中庭に面した縁側に腰を下ろし、深く息を吐いた。

あれから毎日、午前と午後に屋敷の周りをゆっくりと散歩するのが日課になっていた。

歩く速度は相変わらず亀のように遅く、少しでも冷たい風を吸い込むと胸の奥がチクチク痛むが、それでも寝たきりだった頃に比べれば、確実に筋肉が骨の周りに戻りつつある。



遠くの中庭では、砂埃を巻き上げながら、レオンが指南役の振るう木剣を必死に受け止めていた。

バシィン、と硬い音が響き、レオンの身体が後ろへ吹き飛ぶ。

尻餅をつきながらも、奴はすぐに跳ね起き、歯を食いしばって再び切っ先を構えた。



その様子を眺めていたエーリヒの隣に、ドサリと重い音が落ちてきた。

稽古の合間の小休止だろう。

汗まみれのレオンが、肩で息をしながら縁側に腰掛けてきたのだ。


「ふーっ……死ぬかと思った。今日の指南役、いつもより三倍くらい当たりがきついぞ」


「お疲れ様、レオン。怪我はしてない?」


「へっちゃらだよ、こんなの。……それよりさ」


レオンは額の汗を袖で乱暴に拭うと、じっとエーリヒの横顔を見つめてきた。


「聞いたぞ。ジークフリート兄上が、王都へ送る願書の束をまとめてるって。……お前の分、入ってないんだろ?」


「……うん。父上も母上も、僕の身体を心配してくれてるからね」


エーリヒが静かに答えると、レオンは不満そうに太い眉をぐっと寄せた。


「お前、本当にそれでいいのかよ? ずっとこの屋敷で、本ばっかり読んで暮らす気か?」


「レオン?」


「俺はさ、お前と一緒に行くもんだと思ってたんだよ。アイゼンガルドの学校に」


レオンは木剣の柄をぎゅっと握りしめ、悔しそうに中庭の地面を睨みつけた。


「お前は走れねえし、剣も持てねえ。でも、昔から俺の知らない変なこといっぱい知ってて、頭はすげえだろ。俺が騎士になってお前を守ってやるから、お前も学校に来て、すげえ学者にでもなればいいのにって……俺、勝手にそう思ってたんだよ」


子どもの、あまりに真っ直ぐで不器用な言葉だった。

立場としては側妻の四男と正妻の三男。

けれどレオンにとっては、そんな大人の序列など関係なく、ずっと同じ屋敷で育ってきた半身のような相棒なのだ。


「……ずっと部屋で寝込んでた時のお前、なんか、どこか遠くへ行っちゃいそうだったからさ」


ぽつりと漏らされたその一言が、エーリヒの胸の奥を激しく揺さぶった。


(遠くへ行っちゃいそう、か……)


前世の三十五年の意識を取り戻し、自分では冷静に現実を見つめているつもりだった。

だが、心のどこかで「自分はこの世界の人間ではない」「いずれひっそり身を引けばいい」という、冷めた傍観者のような甘えがあったのかもしれない。

それを、この泥だらけの九歳の弟が、力づくで引き戻してくれた気がした。


(逃げてちゃダメだ。十八歳で自立するなら、待っている時間なんてない。この入試を逃したら、次は一年後……いや、二度とチャンスは回ってこない)


「……ありがとう、レオン。目が覚めたよ」


「へ? 何がだよ」


きょとんとするレオンの頭に軽く触れ、エーリヒはゆっくりと立ち上がった。

心臓がトクトクと確かな熱を持って脈打っている。

父ゲルハルトは、軍務の合間を縫って本領へ戻っており、明日の朝には再び王都へ出発する予定だ。



願書に当主のサインをもらえるチャンスは、今夜の家族会議しかない。

だが、「行きたい」と口先だけで懇願しても、心配性の母や厳格な父を納得させることはできないだろう。

必要なのは、精神論ではなく客観的な「証明」だ。



自分には武芸以外の道で、自活して生きていけるだけの明確な資質があるのだという、動かぬ証拠。


(……何か、手頃なものはないか)


屋敷の中を歩きながら、エーリヒは記憶の糸を手繰り寄せた。

そして、ふと足を止めたのは、一階の奥にある薄暗い給仕室の前だった。

中から、年老いた執事のため息が聞こえてくる。



部屋を覗き込むと、執事が暖炉の脇に置かれた古びた真鍮製の器具を前に、困り果てた顔で頭を抱えていた。

それは、屋敷の暖房効率を上げるための「魔導式送風機」だった。

手のひらより二回りほど大きな真鍮の箱に、小さな木製の回転羽根と、魔石を嵌め込むソケットが組み合わさった魔導具だ。



魔石のエネルギーで内部の羽根を回し、暖炉の温風を部屋の奥へと送り出す仕組みなのだが――今はうんともすんとも言わず、完全に沈黙していた。


「ハインツさん、どうしたのですか?」


「ああ、エーリヒ坊ちゃま。……ええ、この送風機が先日から動かなくなってしまいましてな。旦那様が王都から戻られる前に直しておきたかったのですが、叩いても揺すってもピクリとも動きません。買い替えるとなれば銀貨が何枚も飛びますし、技師を呼ぶ余裕もありませんし……」


執事は情けなさそうに肩を落とした。


「……僕に、少し見せてもらえませんか?」


「え? 坊ちゃまがですか? ですが、これは魔導具でございますよ」


「壊したりはしません。少し見るだけです」


エーリヒは柔らかく微笑み、机の上に置かれた送風機を引き寄せた。

工具箱から、細身のマイナスドライバーに似た鉄のヘラを借り受ける。

目を細め、意識を集中させた。



途端に、エーリヒの視界が切り替わる。


(……見えた)


送風機の底面にある小さな屑魔石。

そこから伸びているのは、金属板に刻まれた細い術式回路の溝だ。

魔石自体には、まだ淡い青色の光が残っている。



だが、回路の中ほど――真鍮の歯車と軸受けが交差する結節点のあたりで、光が濁った赤黒い色に変色し、完全に滞留していた。


(魔力の目詰まり……いや、違うな。物理的な不具合だ)


前世の機械工学の知識が、即座に原因を弾き出した。

長年の使用で軸受けの油が切れ、金属粉が溜まって歯車が噛み合わなくなっている。

回転軸が物理的にロックされたため、そこへ流れ込もうとした魔力が逃げ場を失い、回路の手前で熱暴走寸前の淀みを作っていたのだ。


(術式そのものは焼き切れていない。物理的な負荷を解除して、滞留した魔力を逃がしてやれば……!)


エーリヒはヘラの先を使い、送風機の真鍮カバーを留めている四隅の小さなネジを、手際よく緩めて外した。

九歳の細い指先だが、ネジ山を潰さないよう垂直に力をかける手つきは、完全に熟練した職人のそれだった。

カバーを外すと、案の定、黒く固まった油と埃が歯車にびっしりとこびりついていた。


「ハインツさん、布の切れ端と、機械用の油を少しいただけますか?」


「は、はい……!」


呆気にとられていた執事が慌てて持ってきた布を受け取り、エーリヒはヘラの先で丁寧に固まった汚れを削り落としていく。

布で余分なゴミを拭い、軸受けの隙間に油を一滴、慎重に垂らした。

指先で木製の羽根を軽く弾くと、カラカラと滑らかに空回りした。



物理的なロックは解除された。

残るは、回路に溜まった赤黒い魔力の淀みだ。

エーリヒは左手の人差し指を立て、皮膚の下に走る微小な黄色の魔力糸を意識した。



息を殺し、赤黒く淀んだ回路の結節点へ、そっと指先を近づける。


(押し流すんじゃない。絡まった糸を解くように……バイパスを繋いで、魔石へ還流させる)


チリッ、と静電気が弾けるような感覚。

指先の黄色い光が触れた瞬間、淀んでいた赤黒い光がふっと解け、青白い本来の奔流へと戻って回路全体を駆け巡った。

カチリ、と内部でかすかな作動音が響いた。



ブゥゥゥン……。

真鍮の箱の中で、木製の羽根が心地よい風切り音を立てて滑らかに回転を始めた。

吹き出し口から、柔らかな風がふわっとエーリヒの前髪を揺らす。


「な……!?」


背後で見ていた執事のハインツが、信じられないものを見るように目を見張り、口をあんぐりと開けた。


「う、動いた……!? 坊ちゃま、一体何を……!?」


「油が切れて歯車が引っかかっていただけですよ。少し掃除して、留め具を締め直したら動きました」


エーリヒは事も無げにカバーを戻し、ネジを締め直して微笑んだ。

嘘は言っていない。

ただ、魔力の滞留を指先で解いたことだけを綺麗に伏せただけだ。



だが、これだけで十分だった。

その日の夕食後。

暖炉に薪がくべられた広間に、家族全員が集まっていた。



明日王都へ戻る父ゲルハルトを囲む、穏やかな団欒の場。

だが、そのテーブルの真ん中には、昼間にエーリヒが修理し、軽快に温風を送り出している真鍮の送風機が置かれていた。


「……ハインツから聞いたぞ、エーリヒ」


父ゲルハルトが、低く太い声で口を開いた。

眉間に深い皺を刻み、腕組みをしながら、動いている送風機とエーリヒの顔を交互に見つめている。


「この送風機は、王都から技師を呼ぶ費用が惜しくてな。それを……お前が直したというのは、本当か」


「はい、父上。仕組みを観察したら、直せそうでしたので」


エーリヒが静かに答えると、隣に座っていた母アンナが、いたたまれないといった様子で身を乗り出してきた。


「エーリヒ、怪我はありませんでしたか? 魔導具に触れるなど、もし魔石が暴走でもしたらどうするのです! それに……あなた、まさかそのためにそんな危険なことをしたのでは……」


アンナの瞳には、明らかな動揺と心配の色があった。

母親として、息子の意図に感づいているのだ。

エーリヒは居住まいを正し、床に膝をついて両親の前に深く頭を下げた。


「父上、母上。……アイゼンガルドの学校の入学願書、締め切りが近いと伺いました。どうか、僕の願書も一緒に王都へ送っていただけないでしょうか」


広間の空気が、ピシリと凍りついた。

アンナが息を呑み、妹のイルゼが不安そうに第二夫人マルテの袖を握る。

暖炉の前で木剣を手入れしていたレオンが、ピタリと手を止めてこちらを見つめていた。


「……エーリヒ」


ゲルハルトの声は重かった。


「先日の食卓でも言ったはずだ。お前の身体では、あの過酷な学校生活には耐えられん。従者もつけず、すべて自活しなければならんのだぞ。病が再発すれば、今度こそ命を落としかねんのだ」


「身体が弱いことは、重々承知しています」


エーリヒは顔を上げ、父の鋭い眼光を真っ向から見据えた。


「剣も槍も持てません。甲冑を着て走ることもできません。ですが……僕には、この手と頭があります。魔導具の構造を理解し、壊れた道具を直し、知識を吸収することができます」


言葉に熱が宿る。


「クラインフェルトの男子は十八歳で自立するものです。長男のジークフリート兄様が家を継ぎ、カール兄上も、レオンも騎士として身を立てると言っています。その中で、僕だけが何の力も持たず、実家の庇護にぶら下がり続けることなどできません。……僕を、ただ守られるだけの存在にしないでください。外の世界で学び、いずれ技術と知識で家を支えられる人間になりたいのです」


沈黙が広間を支配した。

九歳の少年の口から出たとは思えない、あまりに現実的で、痛切な自立への渇望。


「ですが……! あなた、まだ九歳なのですよ!?」


アンナが悲痛な声を上げた。

目には涙が浮かんでいる。


「外で倒れたらどうするのですか! 誰も助けてくれないのですよ!? 自立など、もっと大きくなってから考えればよいではありませんか……!」


母親としての真っ当な情愛だった。

前世で親孝行ができなかったエーリヒにとって、その涙は胸をえぐるように痛い。

だが、ここで引くわけにはいかなかった。



その時だった。


「――母上。俺からも、父上にお願いがあります」


静寂を破って口を開いたのは、長男のジークフリートだった。

ジークフリートはゆっくりと立ち上がり、エーリヒの隣に並んで父の前に立った。


「ジークフリート……?」


ゲルハルトが太い眉を上げる。

ジークフリートは真っ直ぐに父を見つめ、落ち着いた声で語り始めた。


「先日、エーリヒに領地の帳簿を見せました。東街道の橋の修繕費です。俺が半日かけても気づかなかった計算のズレを、こいつは一目で見抜きました。それだけではありません。領内の手引書をほんの数日で読み解き、今日は技師すら呼べずに諦めていたこの魔導具を、自力で手入れして動かしてみせたのです」


ジークフリートはエーリヒの細い肩に、大きな掌をぽんと置いた。


「こいつの才覚は本物です。武芸の道は閉ざされていても、学問と技術の道において、エーリヒは間違いなく我が家で一番の才能を持っています。……父上。身体が弱いからと領地に閉じ込め、この芽を摘んでしまうのは、クラインフェルト家にとっても損失ではありませんか」


「兄上……」


エーリヒの胸が熱くなる。

ジークフリートはただ弟を庇っているのではない。

領主代行として、家の将来を見据えた上でエーリヒの価値を認めてくれていた。


「俺も……!」


後ろから、ガタッと椅子を鳴らしてレオンが立ち上がった。


「俺も、エーリヒと一緒に行きたいです! こいつが倒れそうになったら、俺が荷物持ってやりますから! だから父上、エーリヒを行かせてやってください!」


「レオン……」


マルテが困ったように、けれどどこか誇らしげに息子の背中を見つめた。

家族の視線が、上座のゲルハルトへと集まる。

ゲルハルトは目を閉じ、腕を組んだまま、長い沈黙に沈んでいた。



暖炉の爆ぜる音と、送風機の規則正しい回転音だけが広間に響く。

やがて、ゲルハルトはゆっくりと目を開いた。

その瞳には、厳格な武人の光と、不器用な父親の情愛が静かに宿っていた。


「……ジークフリート」


「はっ」


「王都へ送る願書の束の中に、エーリヒの名を書き加えろ…」


「あなた……!」


アンナが息を呑んだが、ゲルハルトは手でそれを優しく制した。


「だが、エーリヒ。試験までの二ヶ月間、少しでも体調を崩して寝込むようなことがあれば、その場で願書は取り下げる。試験場まで自力で歩いて行けぬ者に、学ぶ資格などない。……受けて立つか」


突きつけられた、武門の家長としての絶対条件。

エーリヒは深く息を吸い込み、畳んだ両手を床につけ、力強く頭を下げた。


「はい! 必ず、体調を万全に整えてみせます。……ありがとうございます、父上!」


頭を上げたエーリヒの視界の端で、レオンが嬉しそうに白い歯を見せて親指を立てていた。

アンナはまだ心配そうに眉を下げていたが、その表情にはどこか諦めと、息子の成長を受け入れる覚悟が滲んでいた。



二ヶ月後の入学試験。


そして、その先にある第二都市アイゼンガルド。

九歳のエーリヒの未来へ続く扉が、家族の絆によって、確かに押し開かれた瞬間だった。


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