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青き火花は静かに灯る ~元エンジニア、省エネ魔導具で貴族社会をハックする〜  作者: 山下オクトパス
一年生 一学期(春)

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10/15

01-10.壊れた魔導器具

初めての休日、その二日目にあたる第七曜日の昼下がり。

東寮三十八号室の机の上では、朝から地下の炊事場で温め直してきた深鍋が、食欲をそそる湯気を立てていた。


前日に市場で買い込んできたジャガイモと玉ねぎ、それに豚の端肉の残りをすべて刻み、弱火でじっくりと煮崩した大鍋スープだ。

一晩寝かせたことで肉の脂と野菜の甘みがスープ全体に溶け込み、塩とハーブのシンプルな味付けながら、部屋中にえも言われぬ美味そうな匂いが立ち込めていた。


そこへ、ドタバタと廊下を踏み鳴らす足音が近づいてきた。

バタン! と扉がノックもそこそこに勢いよく開く。


「――うわっ! やっぱりここか! 廊下までめちゃくちゃ美味そうな匂いが漂ってたぞ、エーリヒ!」


飛び込んできたのは、訓練着姿のレオンだった。

額に薄っすらと汗をかき、鼻をクンクンと鳴らしながら、獲物を見つけた獣のような目で机の上の鍋を凝視している。


「レオン、ノックくらいしてよ。……午前中から鍛錬?」


「ああ、西寮の中庭で素振りと走り込みだ! 身体動かしたら腹が減って死にそうだったんだよ。なぁ、それ食っていいのか!?」


「うん、そのつもりで多めに作っておいたんだ。黒パンもあるよ」


エーリヒが木皿にたっぷりとスープをよそい、厚切りの黒パンを添えて差し出すと、レオンは待ちきれない様子でスプーンを握った。


「う、美味い……! 肉の味が染みてて、食堂の薄いスープよりずっと美味いぞ!」


「ふふ、よく噛んで食べなよ」


山盛りのスープを豪快に飲み干し、固い黒パンをスープに浸して次々と胃袋へ放り込んでいく弟の姿に、エーリヒは思わず笑みをこぼした。

こうして気兼ねなく美味いものを食わせられるだけでも、週末の自炊は大正解だった。


息をついたレオンが、二杯目のスープを口に運びながら学園の様子を語り始めた。


「そういえばさ、第三クラスは毎日が筋肉痛祭りだぞ。先生が元歩兵隊だから容赦なくてさ。でも、面白い奴も結構いるんだ。……あ、そうそう、第一クラスにいるっていう『第四王子殿下』、知ってるか?」


「アルフレッド殿下だね。入学式で新入生代表の宣誓をしていた」


「そう、そのアルフレッド様! クラスの連中が噂してたんだけどさ、あの人、上級貴族の集まりの中で完全に浮いてるらしいぞ。周りの取り巻きが機嫌を取ろうと必死なのに、本人はいつもつまらなそうにあくびばかりしてて、全然相手にしないんだってさ」


「へえ……」


大貴族の権力争いやおべっかに冷めきっているという噂は、入学式の退屈そうな佇まいを思い出せば妙に納得がいった。


「あとさ、武門の伯爵家の五男で、ブルーノっていう図体のめちゃくちゃデカい奴がいるんだけどな。俺より頭一つ分デカくて、木剣を振らせたら丸太を叩き折るくらいの怪力なのに、本人は虫も殺せないくらい気が小さいらしいんだ」


「武門の伯爵家なのに、争い嫌いなのかい」


「らしいぞ。勿体ねえよな、あの筋肉があれば無敵なのにさ!」


豪快に笑うレオンから聞く話は、第四クラスにこもっているだけでは入ってこない、他クラスの生々しい空気感に満ちていた。

やがて鍋を空っぽにしたレオンは、「また美味いもん作ったら呼んでくれよな!」と満足げに腹を叩いて西寮へと戻っていった。


---


明けて二週目の月曜日。

午前中の三時間目は、担任のヴァイス先生による「内政」の講義だった。


「――前回の講義では公文書の基本的な書式を学んだ。今日はその応用として、実際の領地報告書を模した実務演習を行う」


ヴァイス先生の手から、文字と数字がびっしりと並んだ羊皮紙が配られた。


「これは、ある地方の村から領主館へ提出された、昨年度の収支および物資の保管報告書だ。ただし、この書類には意図的に『数値の不整合』や『事務的な誤記』が複数紛れ込ませてある。各自、計算と照合を行い、不審な箇所を指摘して理由を簡潔にまとめろ。制限時間は講義終了までだ」


配られた途端、教室のあちこちから溜め息が漏れた。

隣の席のヨハンも、「うわぁ……数字だらけだ」と頭を抱えている。

収穫高、脱穀による減耗率、領主への上納割合、種籾の保管分、そして石橋や水路の修繕にかかった人件費。

十歳の子供たちにとっては、どこから手をつければいいのか見当もつかない数字の迷路だった。


だが、エーリヒの目は違った。


(……なるほど。前世の決算書や監査資料に比べれば、構造はずっと単純だな)


前世の技術者時代、研究開発の予算管理や工場の歩留まり計算、資材の発注帳簿を嫌というほど突き合わされてきた経験が、自然と頭を切り替える。

エーリヒは羊皮紙の端に定規を当て、数字の縦列と横列を素早くスキャンしていった。


(まず、麦の脱穀減耗率が一般的な一割五分ではなく二割五分で引かれている。これだけで全体の保管量が不自然に目減りしているな。……それと、こっちの水路補修の石材費。運搬荷車の台数と人足の日当の掛け算が、小計で二十クーナ過大に計上されている。浮いた分を別の費目に付け替えたかのような、雑な誤魔化しだ)


数字の辻褄が合わない箇所が、まるで黒板のチョークの汚れのようにくっきりと浮き彫りになってくる。

エーリヒは羽ペンを取り、羊皮紙の解答欄へ淡々と筆を走らせた。

単に計算間違いを指摘するだけでなく、「脱穀減耗率の水増しによる横領の疑い」「石材運搬費の二重計上と端数処理の不備」といった具合に、監査資料のように整然とした箇条書きで理由を論理的に書き出していく。


開始からわずか二十分足らず。

教室中がカリカリと焦ったペンの音と唸り声に包まれる中、エーリヒは静かにペンを置き、答案を整えた。


巡回していたヴァイス先生が、ふとエーリヒの机の横で足を止めた。

伏せられた羊皮紙を何気なく手に取り、縁なし眼鏡の奥の目を細める。


「……」


先生の視線が、エーリヒの書いた簡潔な箇条書きの列に釘付けになった。

数秒、十数秒。

教室内が静まり返る中、ヴァイス先生は眼鏡のブリッジを押し上げ、信じられないものを見るような眼差しでエーリヒを見下ろした。


「……クラインフェルト。お前、以前に領地で帳簿監査の助手を務めたことがあるのか?」


「いえ、兄の書類仕事を少し横から覗かせてもらった程度です」


エーリヒが控えめに答えると、ヴァイス先生は深いため息を一つ吐き、答案をそっと机に戻した。


「ただの計算ミスだけでなく、減耗率の不自然な水増しという『意図的な操作』にまで踏み込んで指摘するとはな。この演習でそこまで見抜いた生徒は、高学年を含めても滅多にいない。……実に見事だ」


周囲の生徒たちが「おお……」とざわめく中、ヴァイス先生は懐から別の羊皮紙の束を取り出し、エーリヒの机の上にトンと置いた。


「この講義の基礎演習は、お前にはもう必要ないだろう。これは独立監査院が過去に公表した、実際の領主改易事例に関する記録文書の写しだ。興味があるなら、放課後にでも読んでおくといい。不審な資金の流れを追うための、より実践的な課題だ」


「ありがとうございます、ヴァイス先生」


国家の不正を暴く独立監査院の過去事例。

手渡された発展課題の重みに、エーリヒは知的好奇心を刺激され、胸を躍らせていた。


---


そして迎えた午後の魔力操作の実技講義。

前週に引き続き、基礎魔導器を用いた流量制御の訓練が行われた。

エーリヒが魔導器の針を目盛りの「一」にピタリと固定させ、一点の揺らぎもない青白い光を灯し続けていると、巡回していたグローバー先生が歩み寄ってきた。


老魔導士は豊かな白髭を撫で、丸眼鏡の奥の鋭い瞳でエーリヒの手元をじっと検分したあと、低く静かな声で告げた。


「クラインフェルト。今日の授業が終わったら、放課後に本館四階の第一研究室へ顔を出しなさい」


「えっ……第一研究室ですか?」


「うむ。忘れんようにな」


それだけ言い残し、グローバー先生は踵を返していった。


講義が終わるや否や、隣にいたヨハンが血相を変えて駆け寄ってきた。


「お、おいエーリヒ! 第一研究室って、上席魔導士の個人研究室だぞ!? お前、何か怒られるようなことしたのか!?」


「何もしてないよ。ちゃんと指示通りに針を動かして合格をもらっただけだし」


「でも、あんな気難しそうな老魔導士の先生に呼び出されるなんて……」


心配そうに眉を寄せるヨハンとクララに「大丈夫だよ、少し話を聞くだけだと思う」と言い残し、エーリヒは本館の石階段を四階へと登っていった。


第一研究室の重い扉をノックすると、「入れ」と低くかすれた声が返ってきた。


部屋の中は、まるで古物商の倉庫か錬金術師の工房だった。

壁一面の本棚には革表紙の難解な魔導書がぎっしりと詰まり、作業机の上には分解された真鍮の器具や、青や緑の鉱石の破片、奇妙な器具が散乱している。

部屋の奥の長机で、グローバー先生が丸眼鏡を光らせてパイプを燻らせていた。


「失礼します、グローバー先生。参りました」


「うむ、掛けなさい」


勧められた古びた革張りの椅子に腰掛けると、グローバー先生は机の上にあった雑多な書類を脇へ退け、木箱の中から「それ」を取り出して事も無げに机の上に置いた。


それは、手のひらほどの大きさの、奇妙に歪んだ真鍮製の計測器具だった。

外装のあちこちに煤けたような黒い焼き付きがあり、内部の繊細な術式回路の溝は途中で途切れ、中央に嵌め込まれた親指大の魔石は灰色に濁って沈黙している。


「先週の実技、そして今日の授業を見て確信した。お主にとって、あの基礎魔導器の訓練は退屈極まりないものじゃろう」


先生の言葉に、エーリヒは背筋を正した。


「お主の魔力の扱いは、ただ従順なだけではない。器具の内部抵抗を測り、最小の力で回路を繋ぐ『技術者の目』をしておる。……どうじゃ、その壊れた計測器を見て、何か分かるか?」


エーリヒは促されるまま、壊れた真鍮の器具へ視線を落とした。

意識を集中させ、色温度のグラデーションを瞳の奥に立ち上げる。


(……なるほど。過負荷によるショートか)


器具の底面にある入力ソケットから伸びた回路が、途中の増幅部で焼き切れているのが見えた。

だが、問題はそこだけではない。

焼き切れた破断面の奥――真鍮の金属板そのものに、微細な不純物の結晶が混ざり込んでおり、それが抵抗となって魔力を熱へと変換し、自爆するように回路を焼き飛ばしていたのだ。


「……回路の途中で、魔力が過剰な熱に変わって焼き切れています。術式の欠陥というより、金属板の純度が低くて抵抗に耐えられなかったように見えます」


エーリヒが率直な見立てを口にすると、グローバー先生の眉がピクリと跳ね上がった。


「……ほう。分解もせず、外から眺めただけでそこまで看破するか」


老魔導士はパイプを灰皿に置き、満足げに目を細めて低く笑った。


「これは学園の備品で、先月過負荷でオシャカになった廃棄物じゃ。お主に一つ、課題をやろう。その壊れたガラクタを持ち帰り、空いた時間に好きにいじってみるがいい。直せとは言わん。どうすれば最小の魔力で再び動かせるか、お主の頭で考えてみい」


「僕が、これをもらってもいいのですか……?」


「学園の予算ではただ捨てるだけのゴミじゃ。持っていけ。……ただし、自室を爆破するような無茶はするなよ」


「ありがとうございます!」


エーリヒは思わず声を弾ませ、真鍮の器具を両手で受け取った。

市場では小銀貨一枚出しても買えなかった、本物の魔導具の回路と魔石の残骸。

技術者にとって、これ以上ない最高のおもちゃであり、研究材料だった。


ヴァイス先生から託された「独立監査院の記録」と、グローバー先生から手渡された「壊れた魔導器具」。

二つの贅沢な宿題を抱え、夕暮れの廊下を通り、寮へと戻るエーリヒの足取りは、前世の研究室へ向かう時のように軽く、確かな熱を帯びていた。



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