第8話 私のレシピは、帰りません
ベルナ伯爵家から届いた封筒には、謝罪の言葉がありませんでした。
――月花蜜を用いた保養菓子の調理帳を返すように。
現在の仕入れ契約は君の説明を元に結ばれており、責任がある。
私は、その菓子を作ったことがありました。
ただし、誰にでも効く保養食として売ってよいとは、一度も言っていません。
その場で食べた、五人の好みに合わせた茶菓子です。
封筒を持つ指が、妙に冷たくなりました。
せっかくここへ来たのに、まだ叱られているような気持ちになるのです。
ベラさんが、私の前から熱い鍋を遠ざけました。
「その手で持たない。何があったの」
手紙を読むと、彼女は短く息を吐きました。
「料理帳を貸したことは?」
「厨房に置いていたので、誰でも見られました。貸し与えた約束はありません」
ユアンさんにも見ていただきました。
彼は、すぐ返事を書けとは言いませんでした。
まず、残っている書面と料理帳を一緒に確認しましょう、と。
私は以前の帳面をめくりました。
月花蜜は採れる場所で魔力が大きく違うため、同じ重さなら同じ料理になる、とは書いていません。
試作のページには、毎回確かめること、と何度もあります。
その欄が、誰かの手で丸く囲まれていました。
アルノー様が、面倒なことをよく書くな、と笑った日の筆跡です。
私はようやく、息を吸えました。
夕方、返事の下書きを作りました。
調理帳は私の所有物であること。
菓子の製造や売買について、私は契約をしていないこと。
私の名前を広告や売り物へ使わないでほしいこと。
公爵様は、それを読む前に尋ねました。
「助けが必要か」
私はうなずきました。
大丈夫です、と言うほうが、いつもの私でした。
けれど、この家で誰かが無理をすれば、私は知らせてほしいと思います。
「文章が、きちんと伝わるか確かめていただきたいです」
公爵様は、隣の椅子を引きました。
書いた内容を変えるのではなく、曖昧なところだけを、一つずつ尋ねてくださいます。
誰が、いつ、何を約束したのか。
最後に、彼は私の料理帳を閉じました。
「これは、君の仕事だ。手放す義務はない」
その言い方には、迷いがありませんでした。
封をした後、私は今日の夜食を準備しました。
温かなかぶの中へ、ほぐした魚を詰めます。
匙を入れると、白い湯気がゆっくり開く料理です。
公爵様は食べ終わってから、残った小さなかぶを指しました。
「それは、君の分だろう」
私はうなずきました。
今夜の私の椀も、なくならずに残っていました。




