第7話 夜更けのパン粥と、秘密の傷
二週目の水曜日、十一時になる前に、公爵様が食事室へいらっしゃいませんでした。
書斎の扉の向こうから、椅子の倒れる音がしました。
ユアンさんが先に入り、私は廊下で待ちました。
ノエさんを呼ぶ足音が、遠ざかります。
しばらくして、ユアンさんが顔を出しました。
「お水を。飲める温度で」
盆を持って入ると、公爵様は長椅子へ座っていました。
襟を開き、息を整えています。
胸元から、左の肩へ続く銀色の線が見えました。
傷というより、細い枝が皮膚の下で光っているようでした。
ノエさんが手を伸ばすと、光が強くなります。
公爵様は目を閉じ、指で膝を押さえました。
「これが、呪いですか」
私が尋ねると、彼は目を開けました。
「そう呼ばれている」
ノエさんは脈を確かめ、胸へ置いていた器具を外しました。
「食事が原因ではないわ。今日の午後、魔法を使いすぎている」
境界の巡回隊が負傷し、運ばれてきた。
公爵様は治療役へ魔力を分け、その後も仕事を続けたのだそうです。
私は水を机へ置きました。
何か食べていただくべきか、今は休むべきか、勝手には決められません。
ノエさんを見ます。
「落ち着いてから、いつもの半分くらい。無理に食べなくていい」
厨房へ戻り、パンを小さくちぎりました。
月麦を混ぜた、昨日の試作です。
澄んだかぶの煮汁へ入れ、形が残るところで火を落とします。
公爵様は、最初に汁だけを飲みました。
次に柔らかいパンを。
私は離れた椅子で、手を膝へ置いて待ちました。
「怖かっただろう」
突然言われて、首を振りかけました。
でも、それではこの方も、自分のつらさを何でもないとおっしゃる気がしました。
「少し。扉の向こうで、音がしたので」
「すまない」
「謝っていただくより、倒れる前に誰かを呼んでいただけると」
公爵様は、空の匙を眺めました。
「軍では、俺が動ける限り、動いたほうがいいと思っていた」
「今、この家には、何人もおります」
声が震えないよう、ゆっくり話しました。
「お水を運ぶくらい、私にもできます」
彼はようやく、長椅子へ背を預けました。
銀の線が、少しずつ暗くなります。
ユアンさんが、小さな包みを私へ見せました。
中にあったのは、欠けた銀の鱗です。
公爵様が昨冬、月竜から受け取ったものだといいます。
「傷の光と、同じ色ですね」
私の言葉に、ノエさんがうなずきました。
「関連はありそう。でも、鱗は欠けていて、記録が少ないの」
窓の外で、ポルが鳴きました。
小さな歌声に、鱗の縁が淡く光ります。
私は盆を置き直しました。
眠れない傷と、眠る前の竜の歌。
その夜の料理帳へ、食事以外のことを、初めて書き留めました。




