6・ミュルル・ストックの陥落とスキル
貴族は社交が出来ないとダメ、みたいな風潮あるけどセイウォルにそれは適応しない。
だって、魔物に襲われない安全な都市生活に必須の一族。下手に出るのは貴族の方。
セイウォルの方々は都市を護る強力で強大な結界の事を、過剰に重要視していない。その結界で以て特別な一族とされているにもかかわらずだ。あくまで伴侶を深く愛でる片手間に生活費を得る手段としか思っていない様子。
『蒼き堅固なる護り』の重要性を考えたら、いくらでも魔法維持費をつり上げる事も簡単でしょうに、彼らの欲は伴侶だけに集中している。伴侶を豊かに満たす生活さえ出来れば、それで良いという方がほとんど。
曰く、ヒトみたいな野心は女神に除去されているとか。でなければ、世はセイウォルが統べている事だろう。
彼らは竜の魔力と竜の魔法と竜の性質が人体に詰め込まれた様な一族である。基礎能力、基礎魔力が段違い。
でも彼らは伴侶との平穏さえあればそれで良いのだ。
だから『蒼き堅固なる護り』代は安くはないお値段だけど、暴利ではない料金で済んでいる。
他の王侯貴族の方々はすっごく感謝しているらしいです。
セイウォルの方々が居なかったら街に魔物入り放題か、兵士の方々が死ぬ気で一生24時間防衛し続けるか、すっごく費用と時間をかけて物理的に堅牢な城壁を築かないといけないからね。
「本来、我らセイウォルだけで完結できるのです。他のヒト達はいわば我らが独占欲のおこぼれ」
子供のセイウォルらと彼らに選ばれた伴侶だけが受ける基礎教養授業。
かつて教師だったというセイウォル本家の長姉にして長子たるミミアーヌ様が講師だ。つまりエルン様の一番上のお姉様。
ミミアーヌ様は騎士であった旦那様の殉職により実家に帰ってきた、エルン様より12歳上のお姉様で、4人のお子さんのお母様でもある。長男君はわたし達より3歳年下の同世代で一緒に授業を受けているし、末っ子ちゃんは講師をしているミミアーヌ様が抱っこをしている。
「もうわたくしはセイウォルとしては死んだも同然だからね。せめてキミ達のこれからに役立つ知識を伝えたいのさ」
そう言い華麗にウインクを決めるミミアーヌ様はセイウォルっ子に人気の講師で、授業終了後に出来たちょっとした人だかりの中心にいる。
エルン様もその中の一人。
結界魔法のより効率的な自動発動化の構築について、ミミアーヌ様に質問するんだって。
わたしはしばらく遠巻きにして待っていた。
そんなわたしにこっそり話し掛けて来る女の子が居た。
「ねえ、おかしいと思わない?」
「ミュルルさん?」
ミュルル・ストック。
ええと確か、エルン様のはとこに当たるアウグスト様の伴侶に選ばれた女の子だったと思う。さらりとした黒髪が印象的な、知的で清楚な美人さんだ。わたし達より2歳年上で、当時14歳だったと思う。
「この家の方、誰も彼も一目惚れ。選ばれた伴侶もすーぐ相手を好きになっちゃって」
「ミュルルさんは違うの?」
「違ったらどんなにラクか……。こんなのおかしいと思うのに、どんどん好きになる。冷静でいたいのに、芯から私が変わっていくのが分かる。私ももうじき、ああなってしまうのが分かる。嫌じゃないの。嬉しいとすら思ってしまう。それがおかしい。だって私はそんな子じゃなかった。もっと冷静で、色ボケじみた思考なんて思いつきもしなかった。それが私だった筈なのに。でももう駄目になりそう。……おかしいの。おかしくなっていってるの私。なんで? セイウォルに選ばれたからって、なんで皆そうなるの?? 一生異様にラブラブで、異様に子だくさんでほぼ母子健康なの。一目惚れされたら確定でそうなる。おかしくない?」
「えっと、そういう一族だからじゃない?」
「そんな一族、聞いた事ないわ。他にこんな特性の一族、調べても居なかった。人間にはね」
「そうなんだ」
「こんなの、まるで習性よ」
「ミュルルさん、それは──」
「お待たせミュルル!」
「アウグスト……っ」
華奢な肩に、ぽんと大きな手が乗せられた。
アウグスト様は当時確か16歳で、王立学院に通っていた。エルン様より色味の濃い青の瞳と髪が特徴的な、長身で筋骨隆々の精悍な男性だ。楚々とした美人のミュルルさんと並ぶと美女と野獣感がある。
声に一瞬、表情を華やがせたミュルルさんだけれど、直ぐに我に返った様子で、苦悶混じりの表情に戻る。
嫌そうではない。ただ、葛藤が見える。躊躇いが見える。
本心に正直になっては駄目だという歯止めを自らに課しているのが、ありありと見て取れるのだ。
その表情すらも愛おしげなアウグスト様。
何かを待ちわびて、辛抱強く待っている様にも見受けられる。ミュルルさんの小さな小さな抵抗すらも、幸福そうに受け止めている。
けれどミュルルさんはこれ以上の抵抗は出来ないみたいだ。淑やかに伴侶の腕の中に収められ、その日は仲良く帰って行った。
「ミュルルさんって不思議な方。どうして幸せに抵抗されているのかしら?」
わたしはその日、日常と化したエルン様の目をぽや~っと癒やす、二人だけの時間にそう尋ねてみた。
「染まりきると、二度と元には戻れなくなるからね。知らないから、恐いという人もいる。…………シルリアは恐くない? 僕に恋された所為でセイウォルになっていくの」
「? シルリアは何も知らない子供の頃にエルン様と出逢って、エルン様だけになって、エルン様とセイウォルの事だけを学んできました。それは、わたしがエルン様に大切にされて愛されているからなんですよね? それのどこか恐いことなのか、さっぱり理解出来ないのです。ミュルルさんには申し訳ないけれど」
「そっか。良かった。出来ればどうか、永劫そのままでいて欲しいな」
「当然です! もうわたし、エルン様の伴侶以外になれないですもん」
わたしは満面の笑顔で、胸を張って答えた。
だってそれは誇らしくも唯の事実だったから。
それ以外の道がない事がただ嬉しかった。教育と鍛錬と寵愛により、じわじわと、時間をかけて何かが丁寧に塗り込まれていく。わたしの何もかもが専属化していく。彼の妻にしかなれない思考、刻一刻とヒトからかけ離れてセイウォル一色に染まる認識、元来の好相性を更に特化させて連れ添うのに最適にされていく魔力、身体。
けれど何にも恐くなかった。
そうなるように教育を受け続けていたから。
ミュルルさんは伴侶たるアウグスト様に見つけて頂けたのが比較的遅く、未だ十分にセイウォルに染まっていなかった。発見の遅れにより形成されたヒトの常識が根底にあって、理解を阻害していた様だった。
だからわたしは本当に、ミュルルさんの恐怖が理解出来ないでいた。その時は。
数日後、降臨祭があった。
竜の女神様が後に英雄となるケノーランド初代国王に恋をして、地に降臨した日を祝したお祭り。
ケノーランドの誰もが知る伝承の一節。
『女神、初恋す。
恋の為に全て捨て、女神は地に零れ落ちた。
僅かに残りし神威、竜血として初恋の君に捧げん。』
この初恋の君ってのがケノーランド建国王ってワケだ。
女神降臨の余波、あるいは祝福で、世界にスキルというものが生まれた。
血によって紡がれ、その家系に生まれたならば、ある程度は行使できる血筋由来の魔法とは違って、完全にその人固有の特殊能力。
その年に14になる、選ばれし子らには降臨祭の朝に竜の女神より人の子にスキルが与えられるのだ。
一応に例外はある。
14歳より前の降臨祭にスキルが発現する子も僅かに居たらしい。勿論14以降にスキルを得たという例外だってあった。
だから念には念をと、降臨祭の日、未だスキルを持たないセイウォルの伴侶達はセイウォルのお屋敷に招集される。
その日はずっと伴侶にべったりとくっつく様に、セイウォルの子らは大人達に指示されているみたいだ。手を繋いだり、抱き締めていたり、くっついて同じ本を読んでいたり。伴侶達に異存はない。そう思えないからだ。
でもその年まで、降臨祭にくっつく理由は知らなかった。
勿論、エルン様も朝早めにわたしを迎えに来て下さって、それからはお屋敷にてずうっとわたしにくっついている。
お屋敷のあちこちに、わたし達と似た様な状態の伴侶達が居て、時々目が合うと会釈したりなんかする。まあ大抵、誰もがセイウォルの伴侶にうっとりしているけれど。
エルン様の抱擁って本当にふあふあと幸せな気持ちになれる。頭がエルン様だけでいっぱいになるの、本当に好き。最初は恥ずかしかったけれど、エルン様はわたしが慣れるまで辛抱強く繰り返して下さって、すっかり順応しちゃったわたしも、ずうっとくっついていたいと思える様になれた。
わたしをそんな風にしてくれて、嬉しい。
エルン様に感謝の気持ちでいっぱいになるし、大好きって気持ちが溢れて止まらなくなる。
竜の女神様にスキルを与えられるのは人間だけ。
エルン様がこっそりと教えて下さった。
スキルはセイウォルには無いヒトの特権なんだって。
竜が人を愛したから。
原初の恋の余波が、ヒトへの憧憬や愛が、時間を越えて時折ヒトに祝福として突き刺さるらしい。恋の為に捨てた竜の女神様の権能の一部が、飛び散り与えられるかららしい。
でも、それでも、とってもレアな出来事。
わたしは毎年降臨祭に招集されてエルン様に抱き締められていたけれど、スキルを与えられた人を見た事がない。
きっと今年も誰も選ばれないだろう、そう思っていた。
けれどミュルルさんが選ばれた。
わたし達と同じく、その時、彼らは庭園にて仲睦まじくくっつき合っていた様に見えた。先日の言い分を考えると、実際の本心はどうなのか分からないけど。
周囲にも同じ様な方々も居た。
「あうっ!」
降臨祭の正午前、ミュルル・ストックの身体が大きく痙攣した。彼女の目が大きく見開かれ、それからとろんと虚ろになっていく。
「すきすきすき……ちが、これは私の好きじゃない!」
刹那、正気になり、驚愕の目でアウグスト様を見る。
「あぅ、ぐの、こころ? いゃ、いやいやいやぁ……っ! はいってこないで…ぇ」
「ミュルル、スキルを授かったのか? おめでとう。大丈夫だミュルル、俺が傍に居る。不安なのは最初だけだ」
「想わないで。わたしぉ、あああ、あなた、そんあにぃわたしを、好きって、ああ、ぁあ……!」
腕の中から逃げ出そうとするミュルルさんを優しく強く抱き締め包み込むアウグスト様。
可哀想にミュルルさんは恐慌状態になって藻掻くも、力強い抱擁からは逃げられない。
「大丈夫、大丈夫だミュルル」
「すき、が……、すきに、ぬりつぶ、あぁあ」
周囲の恋人達は抱擁し合ったまま、彼女の異様な様子をただ見守る。
誰も、何もしないで、ミュルルさんの変わりゆく様を見守っている。
変わっていく。
ミュルルさんが、決定的に変わっていく。
上げる悲鳴も息絶え絶え。
わたし達は、ただ信じて見守っている。
「やめて、離して、はいってこないで染めないでぇ」
がくんがくんと震えるミュルルさんの身体を、ひどく大切そうに、何からも護る様に、あやす様に掻き抱くアウグスト様。そんな彼の愛情が、まるで直接入って来ているみたいな様子で、ゆっくりと何かに染め上げられていくミュルルさん。
「あ、あう、ぐぅ、すき、すき、あぐ、すきすきすきすきあうぐすと、すきすき」
段々と恐怖が蕩けて、正午の鐘が鳴る頃にはすっかり幸せそうな笑顔。助けを求めて中に伸びていた指はもう、甘える様にアウグスト様の衣服に縋る。
「ああ、俺も好きだ」
「すき、すき、好きなの、アウグスト……。私、もう、あなたが好きに、なってて」
「そうか。同じになってくれて嬉しい」
「好きで、好きで。ぁ、これ、私、わたし、好きだったんだ…ぁ…あなたのこと。心まざって、やっとっ、わかったの……」
「そうだ、ミュルル。俺達は同じ想いだったから、心が混ざり合ったんだ。ミュルルが俺を嫌っていたら、同じ想いじゃなかったら、心混ざる事はなかっただろう」
「はい……本当に。思い知りました。私はあなたがすき。はぅ、やっと素直になれました……」
淑やかにアウグスト様に縋るミュルルさんは、心の澱が消え失せた事で、晴れやかに幸せそうに微笑んでいた。
スキル『感情共有』
触れた相手の感情を読める、交渉に有利なスキル。
セイウォルの伴侶に複数居る『解析』系統のスキル持ちの方によると、スキル発動を複数回数こなしていくと鍛えられ、相手が触れたテーブルを触れたら相手に触れたも同然としてスキル発動、心が読める、とか出来る強力無比なスキルになるらしい。
勿論、スキル自体に精神防護が含まれていて、感情共有した相手の感情から影響を受ける事は皆無。
……だけれど、スキル会得に初動の暴発はつきもの。
生まれて初めてスキルを発動させるのだから仕方ない。
あの時ミュルルさんは不完全な形でスキルを発動させたらしい。
つまり、スキルに標準搭載されている相手の感情からの防護がない状態で、発動してしまった。
降臨祭なので、ミュルルさんには常に伴侶のアウグスト様が張り付いていた。セイウォルの大人達の指示で、ミュルルさんが生まれて初めてスキルを発動させた、その瞬間も。ぴったりと。
だからミュルルさんは丸裸の精神で共有してしまった。
重い重いセイウォルの愛を。アウグスト様の深い恋を。
だからきっと、塗り潰された。
セイウォルに愛されセイウォルを愛すべきわたし達伴侶が、決して抱いてはいけない不安や嫌悪や拒絶感、それらを根こそぎ全て、塗り潰された。
次に見たミュルルさんはアウグスト様の腕の中でうっとりと伴侶に見とれていた。その目にはアウグスト様しか写っていない。好きで好きでたまらないって顔をしている。
彼女はもう、「セイウォルはおかしい」だなんて言わなくなった。
良かった。
正しい姿になれたみたい。
もう恐いと思わなくなれたの、本当に幸せで素敵な事だもの。
エルン様が朗らかに笑う。
「あの後彼女、半日くらいアウグストの名前と好きしか言えなくなっていたけれど。馴染んでくれて良かったよ」
わたしもミュルルさんの不安が解消されて幸せそうなのが嬉しくて笑う。
「良かった。でもスキルって凄いですね。あんなに不安がってたミュルルさんを一発で染めて幸せにしてくれるだなんて。わたしもスキル頂けるかな?」
「どうだろうね。僕が竜の女神様だったら絶対あげちゃうけど、残念ながら選ぶのは僕じゃないし。ね、シルリアはどんなスキルが欲しい?」
「わたし、お父様やお母様みたいな立派な癒やし手になりたいのに……あんまりわたし、回復魔法得意じゃないでしょう? だから何か、回復魔法が強化されるスキルか魔法薬の効果が上がる様なスキルが良いなあ」
「そっか。シルリアの望むスキルが貰えるようにって、竜の女神様にお祈りするよ」
「ありがとう! エルン様はどんなスキルが欲しいですか?」
「うーん。僕はセイウォルだからなあ。……でも、もし頂けるなら、シルリアが僕から離れられなくなる様なスキルが欲しいな」
「あ、それは素敵ですね! 回復系が無理だったらわたしも同じスキルが良いな」
とろんとした表情で、ヒトが変わった様にアウグスト様にべったりになれたミュルルさん。
そんな彼女をほのぼのと見守りながら、わたし達は取らぬ獣の皮算用よろしく、欲しいスキルの展望について語り合った。
……その2年後。




