9・選ぶ原作
シルリア・ルサキーノなら、エルン様の言う事が絶対だ。何をおいてもエルン様の提案を全肯定し、何も思考せずエルン様の言う事に従う。
そうなれた自分に喜びさえ覚えながら。
シルリア・ルサキーノは、それが異常だと微塵も思いつきもしない。
エルン様と出逢った瞬間から、つまりシルリアの人生の大半となった長い時間をかけて仕込まれた擦り込み。
気を付けないと、身体は自然とエルン様にしな垂れかかるしくっつくし、一つの椅子に一緒に座るように仕込まれているから身体が勝手動いてしまう。バカップルか敵幹部の愛人仕草だ、それは普通。
でもシルリアにとっては呼吸をする様に、エルン様の女ムーブを繰り広げるのだ。
でも私は思いだした。
シルリアはこれが当然と思って育てられたが、私はこれは異常と知っている。
自我に染み付いた強固な洗脳。
まっさらな幼子を自分好みの伴侶になるよう洗脳教育。
身も心も依存する様に、魔法的なアレやら魔力的なアレで、何も知らない無垢な女の子を夢中にさせて溺れさせる行為をたんと浴びせる。
嫁入り前のお嬢さんに何をしているんだか。自分が娶るから無問題って事なのだろうが。ふしだらが過ぎる。
ああでも、記憶しているセイウォルの常識では、でき婚大歓迎らしいからなあ。お貴族様の文化、結婚式でバージンロード的な純潔主義とは全く違う世界に生きてる。野生動物的なノリが強い一族なのだ。
この身体にはべったりと、エルン様の手垢が付いている。
思い出してもなお、それを不快に思えない。
そうなる様に育てられた。
現代人の倫理観はちゃんとここに残っている。
残っている、その筈なのに。
思考が、洗脳教育にするりと引きずられていく。
馴染むのだ、エルン様の意向の方が。
これは、異常な生い立ちだ。
異常な人外めいた生き物に溺愛と執着を捧げられ、何も知らないまま甘く絡め取れる様に育てられる。彼以外を愛せぬ様に視界と選択肢を塗り潰され、それをも幸せと感じる様に仕込まれた。
もうシルリアは手遅れなのだ。
でも私は思い出した。
私は、恋占令嬢なだけじゃない。
現代日本で生きた感覚がある。常識がある。
身体と思考が、甘い何かに引きずり込まれる感覚がする。
でも、私は抵抗できる筈だ。
だって、もう元のシルリアじゃないから。
別人、きっとそう。
甘く重くもたれる様に、私の抵抗を流し去ろうとする恋慕。べったりと、今の私を甘い沼に引きずり込もうとする何か。気を抜くと、エルン様に添う思考が勝手にぷかりと浮び上がる。怖ろしいほど良く馴染む思考。
ちょっと恐い。
きっと、抵抗しないと私は直ぐに元に戻る。
エルン様を愛するだけの生き物に戻る。
それは今の私の消失に思えた。
恐い。
だから、抵抗しないと。
私の中のシルリアが、とてつもないブレーキを掛ける。
シルリアは私の一部な筈なのに、私の思考に従わず、エルン様に従順じゃないのを酷く嫌う心があるのだ。
私はそれに必死に抵抗して、今からする自分の振る舞いを酷く忌避し、恐れる何かを押さえ込んで顔を上げた。
「すみませんエルン様。私は聖女様と修行、したいです」
信じられない。
そんな表情をして、エルン様の目が見開かれた。
無理もない。
私はエルン様と出逢って以降、彼の全てを優先していた。
生まれて初めての抵抗。
美しい青が、驚愕、不安、ついで哀しみを帯びた。
セイウォルは酷い誘導はするものの、最終的には伴侶の同意を重んじる。雌のお許しがないと番えない野生の動物の様に。
私の反意に、彼は怒りを覚えない。
ただ、困惑と共に問う。
「………………なぜ?」
私は、これは独立だと思った。
エルン様への深すぎる依存を正常に戻すべきだと、まるでニンゲンの様にそう考えた。
この世界においてもエルン様との関係においても、現代日本の、今の私の感覚が正しいのだと、そう考えていた。
「もっと、能力を磨きたいと思うのです。もっと色々な技能が欲しい。もっともっと、強くなりたいのです」
「どうして? 君には僕がいる。強さなら、僕が居れば事足りる。君に危険は起こらない。君はずっとずっと、蒼き堅固なる護りの中に居る。安全だ。強くなる必要なてない」
細く、張り詰めた様な声だった。
シルリアへの心配と労りと、思慕がたっぷりと滴った声だった。ぱんぱんに膨らむ不安を、必死に隠す声だった。怯えを、優しさで覆う声だった。
きゅうと胸が締め付けられる。
好きなひとを傷付けてしまったと心が痛む。
それでも私は口を開いた。
「強くなる必要は、あります……! 私は、弱いままじゃ、嫌です。何も出来ないのは、嫌です。わたしは、顔を上げて、胸を張って、生きていける様になりたい」
「シルリア……」
「ずっとずっと、引け目を感じて生きてきました。お父様とお母様の娘として、才能がないと俯いて、エルン様に甘えて生きてきました。でも、それじゃ駄目です」
「駄目なものか。シルリアは、シルリアのままで良いんだよ。僕は君が無理をしなくても良いと思っている」
「無理は、時々必要なんです! 私は何か、自信を持って出来る事が欲しい。だって、私は、回復魔法の才能がないから。何か、他に出来る事があるなら、探して頑張りたい。だってその為の学校だもの。そうでしょう?」
エルン様は長いこと黙って、それからほうっと吐息を吐いた。
「そっか。そうだよね。ちょっと盲目になり過ぎてたみたいだ。ごめん、狭量だった。僕に君の選択を狭める権利はない。シルリアの言う通りだ」
「エルン様……」
「シルリアは凄いな。僕も見習わないとね」
ふわっと微笑まれたエルン様。
とてつもなく顔が良い。
私も思わずほわほわと笑顔になって、エルン様と見つめ合う。
…………のを、サクッと中断させたのは聖女フィリア・フィリンス。
「話はまとまったわね? じゃ、訓練の続きよ」
「は? 今日はもう良いだろう?」
「バカなの? 時間は限りあるっての!」
「もう沢山だろう。これ以上は非効率だ」
「はあああ?? 最高効率でやってますがあああ??」
秒で睨み合うエルン様と聖女様。
魔王を倒すってのはともかく、現状エルン様にべったりのは良くない。私は聖女様に引っ付いて鍛錬する事にした。魔王討伐を二人でってのは……おいおい、聖女様も誰か好きな人とか出来るでしょ。大丈夫大丈夫! 多分。
聖女様が私の冷遇を排除してくれるってのなら、身を守る為にエルン様に引っ付き回らなくても良くなったのだ。なら、リソースはステアップに回すべきだもの。




