5・だって可哀想だから
聖女フィリア・フィリンス様も竜主教会・教主リエール卿もたいへん丁重な態度に激変した。
エルン様の“お願い”した通りに。
けれどもわたし達に対する敵意? 悪意? みたいなものが無くなった訳では、当然ない。
彼らは狡猾にも切り替えたのだ。
「ええ、そうなの。アタシは尊敬申し上げているのだけれど、あちら様は違うみたい……。知っての通りアタシの故郷は魔王の所為で滅亡してぇ。王都に家もなくてぇ。同じ聖女として勉強になると教主様がお世話をお願いしたの。だけどあちら様が何故か怒っちゃってえ。とってもアタシ、哀しいの……」
癒やしの教会を管轄しているのが竜主教会という事もあって、お母様の患者を奪うのは簡単な事だった。
伝承に謳われる聖女らしく、ちょっと教えられただけであっという間にお母様クラスの癒やしの魔法を使える様になった聖女様。本当に凄い。わたしとはまるで違う。
魔を払った聖女、しかも目の前でぐんぐんとレベルアップしていく回復魔法を見ていると、完成され円熟味に満ちた堅実な癒やしを振るうお母様より物珍しくて、聖女様に人々が群がる。目新しいというのもあって。
その聖女様ブームにかこつけて、故郷を喪った聖女様の下宿依頼を断った冷たい旧聖女、自称聖女の年増、そんな空気をうまく醸成されていった。
じわじわ、じわじわと、わたし達ルサキーノ家を見る目が冷ややかになっていく。
あからさまではない。
表面上は今まで通り丁重ではある。
けれど、目が。
目がうっすらとした軽蔑を纏っている。
だけど視線だけだ。
ヒソヒソとされる。遠巻きに。
何の言葉も仕打ちも無い。今の所は。
じわじわと、ゆっくりと、何かが悪化していく感覚。
けれど具体的には何もない。今の所は。
対策するのは大袈裟? 文句を言うのも難しい。
相手の立場と言い回しが巧妙で。
反論するのも可哀想な聖女様に対して外道という空気、対策するのも自意識過剰という空気と圧を形成されている。
「人を使って上手く広めているね。悪質な事実の切り取りまでしている。対抗しようにもリエール卿の資金力とウチとでは到底太刀打ち出来やしない」
そう吐き捨てるお父様の前に表示されている好感度はマイナス700を叩き出している。
「ごめんなさいマイシャー。きっと何か上手い対処があったのでしょうに、わたくしの振る舞いの所為で……。貴方のお仕事まで減ってしまったのよね?」
「どうしてそうなるんだい。救世の聖女様の下宿先がウチだなんて、警備上の問題から言っても過剰で不可能な要求というものだよ。あれは断られる前提の、ウチに対する嫌がらせだ。引き受けてもルサキーノの規模的に聖女様に対する不敬な待遇として醜態の様に流布されるだろう。どう転んでも攻撃材料という訳さ。……王都民も貴族達もそこの所まで考えを回して欲しいものだ。誰もがウチの規模を知っている癖に簡単に煽動されて嘆かわしい事だよ。まあ、お貴族様から敬遠されたってのも存外悪くない。小指を切っただけで大騒ぎして呼び付ける様な方々の診察が減った分、研究が捗るんだ。かえって万々歳さ」
「でも」
「たとえ冷遇したくとも、このマイシャーが作る魔法薬を購入せざるを得ない者が山ほど居るんだ。製法は公開させられているというのに同程度に高品質のモノを作れる者は現状いない。生きてく分には十分な蓄えもある。これ以上の横暴あれば王都を、或いは国を捨てれば良い。私達はどこでだって生きていける。何も問題ないさ」
「そう、そうよね。ごめんなさい。ありがとうマイシャー。それにシルリアも、エルンスト殿を巻き込んでしまって申し訳ないわ。状況によってはあなただけでもセイウォルの方に助けて頂く事になるかも知れない」
「お母様……」
お父様とお母様はわたしを連れて、改めてセイウォル家当主たるギルバート様にも事情を話して謝罪した。
「そっかぁ。ヒトってよく分からない事をするよなあ」
ギルバート・セイウォル様はアウグスト様系統の大柄で筋肉質の偉丈夫だ。とっても大らかで明るくて、何事も豪快に笑い飛ばしてしまわれる。時々奥様に対して重いけど。基本的に何でも面白かったらオッケーという方なのだけれど、ごく稀に何というか、視座が人類の枠を越えていると言うか、わたしには測りかねるスケール感で物事を見ていらっしゃる方だ。
「状況が苛烈化したら直ぐ仰って下され。我らはこの地に執着などありませんので」
セイウォル当主はごく朗らかに、サラリと告げた。
「セイウォルの家族を害する種の存続に、我らが力を割く意義などありませんからな」
一瞬だけ、その瞳孔を細くさせ、それから直ぐにニコニコと上機嫌でお隣の奥方を見る。
「ネネ、良いよね? ネネ?」
やや声が甘い。褒めて褒めてと言わんばかりの得意顔で、首を傾げてネネ様をのぞき込んでいる。
流石セイウォル、わたし達が居るのなんてお構いなしだ。
「そうですね」と冷静に返すネネ奥様はそれはもうお美しい方だ。何たって、エルン様がそっくり!
エルン様はセイウォルっ子らしく青系統の髪と瞳だけれど、ネネ様は色素薄めの銀髪金目。エルン様の青さが他のセイウォルの方よりも淡い色合いなのはネネ様から引き継いだのだと思う。だってエルン様ってご兄姉で一番ネネ様似だし。
全力で懐く大型犬の様なギルバート様と、それに慣れた様子でクールに何かの書類を確認し出すネネ奥様。そしてそんなお二人に動揺もしなくなった我らルサキーノ家。
「我々も状況次第ではその算段をしておりましたが、その、セイウォルの方々ともなるとまた別の、大事になるのでは……」
わたしもだけど、両親の脳内には、沢山の寝物語、伝承、歴史的資料の記述などが大量に溢れたと思う。セイウォルの方の逆鱗に触れて、見捨てられた都市の悲惨な末路。セイウォルの方々は伴侶を害されない限りは、ヒトに危害を加えない。ただ不満を表明し、立ち去るのみ。優しい、優しい方々なのだ。それはエルン様にこれでもかと愛でられているわたしが一番分っている事。
そんな優しい方々が一人も残らず見捨てられる振る舞いをした都市は、よっぽどの事をしでかしたのだと思う。
今回はまだ、そこまででは無いと思う。今の時点では。
「オレ達は善良じゃない。とても自分勝手で馬鹿な生き物だ。オレは特に馬鹿だから、ネネと家族の事しか考えらんない。それ以外はどうでも良いの。ネネと家族だけが大事。ルサキーノはオレ達の家族。とても大事。でも家族じゃないヤツまでは大切に出来ない。オレ達は勝手な生き物だからね」
だから困ったら直ぐに言って下さい。
直ぐに余計なの全部見捨ててお引っ越しするから。
満面の笑顔でギルバート様は言う。表情淡く、淡々と頷くネネ奥様。彼女も異存は欠片も無いらしい。
お父様はちょっと気圧されている。お母様は微かに畏怖を覚えた表情。
優しく、ないんだ。自称だけれど。でも当主様の仰る事、ぜんぜん実感できない。ギルバート様とってもお優しいのに。奥様に対しても、エルン様に対しても、わたしや、わたしの両親に対しても。
お父様が冷や汗かきつつ思案顔で、つかえつかえ言葉を紡ぐ。
「我々次第で、王都の方が、魔物に蹂躙されてしまう恐れがある……と?」
「だってマイシャー殿。それって仕方ない事でしょ? オレら家族いじめられて許せるほどニンゲン出来てねーですし」
「巣など幾らでも造り直せば良いだけの事。ネネめはこれでも『収納』系のスキルを持ち合わせておりますので、いつでも一族総移動は可能かと」
小さく微笑むネネ奥様。
「ネネの『収納』はすげーんだぜ! 王都のオレらの荷物くらいならぺろっと『収納』出来るんだからな」と自分の事のように得意気なギルバート様。ほとんど無表情ながら、ぽわぽわと嬉しそうな気配を出してるネネ奥様。
「だからオレらの負担とか考えず、いつでも頼って下され。オレ達は、ルサキーノの味方ですから」
と、頼り甲斐しかない頼もしい笑みで頷いて下さった。
ネネ奥様も善意しか感じられない瞳でわたし達に頷いた。
わたし達は誠心誠意、感謝の意を伝えて辞した。
心の底から感謝した。
だって、わたし達に対してこんなに温かい目をして下さるの、もうセイウォルの方々しか居ないもの。
辞した後の移動、お屋敷のあちこちで色んなセイウォルの方々が、わたし達に温かい言葉と、それ以外のニンゲンに対する憤りを口にして下さる。本当にどのセイウォルの方、伴侶の方々も、一人残らず親身で居て下さった。
味方はここにしか居ないと、わたし達はひしひし感じていた。
転移魔法で帰宅後、父マイシャーはぽつりと言った。
「頼もしい。有り難い。本当に心強い。──でも頼ると、王都の民は死ぬ」
母ダリアも暗い表情。
「彼らは人間の様な策謀、暗躍を必要としないから、発想すらないのだわ。だから王都を捨てる決断をする、その前段階の対処をする事なんて考えもしない」
「そうだね。バカ等と謙遜されたのはそういう意味かも知れない。あの方が文字通りの馬鹿とは思えないからね」
「でもこちらがそれをお願いするだなんて到底出来ない。これ以上は厚かましいにも程があるわ。でも、我々には公爵家の教主様相手に情報戦なんて出来やしない……」
「君たちは癒し手で、ほぼ平民だ。我々に酷いことなんて、しないだろうし出来ないだろう。公爵と違って」
大人達の会話、両親の深刻な様子にわたしは口を挟めない。本当に、一体どうしたら良いのだろう。木っ端の男爵家なんだから放っといて欲しいのに。
そんな鬱屈としたわたしの気分を明るく払って下さったのはエルン様だ。メイドのメイファがわたしの部屋に連れて来てくれた。今日は王都結界の補強日だったから仕事帰りに来て下さったわけだ。
「やあ、シルリア」
「エルン様、お仕事お疲れ様でした」
「うん、ありがとう。でもちょこっと魔力見過ぎて目が疲れたから、シルリアに癒やして欲しいな」
「わたしの回復魔法なんかで良ければ喜んで」
「僕にはシルリアの治療が一番だよ」
「そう言って下さるの、エルン様だけです」
もう日課の、ぽやけた回復魔法による目疲れ緩和、ついでに今日の出来事をつらつらと話し合う時間。
「そう言えばシルリアのスキル『恋占』だっけ、そろそろ詳細分かった?」
「……はい。どうやらこのスキル、聖女フィリア・フィリンス様への好感度の様なのです。聖女様による母への侮辱を聞いた途端に父に表示されている好感度がマイナス650になったので」
「なるほど最悪だね。因みに僕は?」
「今現在マイナス15ですね。ハートマークの色が黒になってます。あの、最悪とは?」
「だってまるで君があの聖女に便利に使われそうなスキルじゃないか。あんな聖女なのに。心配だよ」
「でも聖女様にとって有効だと思って頂けたら、この状況も何とかなるかも知れない……?」
「必要ないよシルリア。必要ない。スキルなんて、竜の女神様のおこぼれみたいなものだ。メインに据えて考える様なモノじゃない。気にしなくて良い」
「そう、ですね」
「うん、そうだよ。父上も言ってなかった? いざとなったら逃げれば良いんだよ。無理に向かい合う必要はない」
「そうですね、エルン様……」
うん、そうだ。
きっと、エルン様の言う事が正しい。
でもじわじわと、買い物が難しくなっていった。
まず癒やしへの感謝で良くして頂いていた値引きが一切なくなり、そしてほんの少しずつ、他の家より割高になっていき、そうしてポツポツと、余所の店で買ってくれと言われる様になっていった。
両親も、メイファの一家も、ついでにわたしの顔も割れている。
段々と、食料品が途切れていった。
王都の方々はわたし達の目を見ずへらりと仰る。
「ルサキーノの方々には感謝しているんだよ。本当にね。でもさ、分かるだろ? あたし達は庶民なんだ。公爵様の不興なんて買いたくないのさ」
「いくら癒やしに優れるからと言って調子に乗ったんだろ? 救世の聖女様がお可哀想じゃないか。そりゃ教主様もお怒りになるってもんだ。だってあんなに酷い目に遭った真の聖女様をお守りする立場だものな」
「困るんだよ。懇意と知られたくない。売り上げが減るし、公から出店許可を取り消されかねないんだ」
「リエール公がお怒りなのも仕方ないさ。聖女様がお可哀想なんだから。もう馴れ馴れしく話し掛けてこないでおくれよ。こっちは生活かかってんだから。でもアンタ達が安く癒やしてくれた事は感謝しているんだよ。公のお怒りが解消されたら、その時はまた安く癒やしておくれよ」
でもお父様はギルバート様に訴えない。
だってそれは、王都の彼らの死を意味している。
お父様もお母様も癒やす者だ。
故に、今まで全力で癒やしてきた王都民の死を軽々に望まない。
「大丈夫な筈さ。今はまだ。まだ言わない。だって言ったら死ぬんだ。それは流石に可哀想じゃないか」
薬草だって売り渋られる様になり始めた。
お父様の魔法薬の制作が難しくなり始める。
救世の聖女様が同質の魔法薬を制作できたと、もうお父様は不要だと、わざわざ教えに来る者もいたらしい。満面の笑みだったらしい。
どうして王都の方々は、こんなに否定的なのだろう。
両親に恩ある人も沢山居るのに。役立たずのわたしはともかく、セイウォルの伴侶に選んで頂けたのは、知られているはずなのに。その意味を知っているだろうに。
いつの間にか救世の聖女派だらけになった癒やしの教会ではお母様の癒やしの仕事もすっかりなくなり、お父様の魔法医者の仕事も閑古鳥。魔法薬の制作も数をこなせなくなった。注文も減った。
じわじわと収入源が細まっていく。
だけどまだ、訴える程じゃない筈だ。
まだ我々は、耐えられる。
……でも、いつまで?




